特定非営利活動法人失敗学会 |
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航空機トラブル続出
サイドローズエルピー、ゼネラルパートナー
飯野謙次
【シナリオ】
【概要】 2005年、前半は日航、そして後半は全日空で数多くのトラブルが発生した。 幸い死者や重傷者の出る事故に発展したものはなかったが、天候等少しでも周りの状況が変わっていれば、 大惨事につながっていたと思われるトラブルもあった。国交省は日航、全日空両グループに対し、複数の厳重注意を行い、 日航に対しては事業改善命令まで出した。航空各社は手順の見直し等の対応をしたが、効果は翌年以降に現れた。 【背景となる情報】 日本の旅客航空業界は、日本航空グループと全日本空輸グループの二大勢力、新興勢力のスカイマーク、北海道国際航空、 スカイネットアジア航空、スターフライヤーの他、近距離を結ぶオリエンタルエアブリッジ、天草エアラインなどの地域航空会社がある。 日本航空グループと全日本空輸グループについて、詳細を以下に示す。 日本航空グループ 前身は、特殊会社(会社形態で事業を行うも、民間からの設立ではなく、国策上必要な事業として設立された会社。 旧電電公社、郵便局、専売公社など)として1951年に設立された日本航空株式会社。略称は、JAL(ジャル)、あるいは日航。 現在は、株式会社日本航空として統括するグループ会社のうち旅客関係と、2008年現在の使用機材は以下の通り。
747-300/300SR/400D/800、767-200/300/300ER、 777-200/200ER/300ER、マクドネル・ダグラス MD-81/87/90、エアバス A300-600R。 以下各社の現運航機種は社名の後に表記する。
全日本空輸グループ 前身は、同じ1952年12月に設立された、東京を拠点とするヘリコプターによる宣伝の日本ヘリコプター輸送株式会社と、 大阪を拠点とする西日本の極東航空株式会社。1957年12月から1958年3月にかけて2社が統合されて全日本空輸となった。 特殊会社として発足した日本航空に対して純民間企業である。1986年より、国際線定期便に参入した。 一般的には全日空、もしくはANA(アナ)と呼ばれている。グループの一般旅客事業会社と、2008年現在の使用機材は以下の通り。
次に日航、全日空グループの主な使用機種について説明する。 ボーイング 1968年の就航以来5,000機以上生産され、現在も続いている人気機種。マクドネル・ダグラスのDC-9や、 エアバスA320などと競合する。用途は地方や短距離用で航続距離は5,000km前後(-700ERは10,000km)。 特徴は左右の主翼の下にそれぞれ1台ずつエンジンが取り付けられた双発式。 胴体幅は3.76mで、中央に通路を設けて左右に3人ずつ座るのが標準的な座席配置。 全長35m前後。-100から-500までは最大離陸重量55トン前後で、2000年に生産終了。 -600以降は、NG(New Generation)シリーズと呼ばれ、新技術を取り入れて最大離陸重量75トン前後となった。 乗客数は機種によるが約180名まで。機体損失事故は2007年8月までに136回(総死者3,674名)だが、 1997年以降就航したNGシリーズでは、3回(総死者268名)。
1969年の初飛行以来、ジャンボの愛称で知られる人気機種。1991年以降の-400型は改良型とされ、 それ以前のクラシックと呼ばれるタイプは724機で生産が終わった。2007年までの売り上げ数は1,392機。競合機種はエアバス A380。 左右主翼の下にそれぞれ2台ずつエンジンが取り付けられた4発式で、胴体幅は縦7.85m、横6.49m、客席前方は2階建。 通路が2本あり、エコノミーキャビンは3・5・3と横に11人座るのが標準的座席配置。乗客数は最大524名。 改良型では、最大離陸重量400トン超、航続距離も14,000kmを超えてニューヨーク・香港間の直行が可能。 導入当時は、利用者が少なく、航空運賃下落のきっかけとなり、海外旅行者増加の一因となった。 機体損失事故は2008年7月7日までに46回(総死者2,850名)で、この中には520名の犠牲を出した日航の御巣鷹山事故がある。
1982年に就航開始。1,000機以上販売され、現在も続いている。用途は中距離用だが新型では航続距離が10,000kmを超える。 737シリーズと同じく双発式だが、最大客室幅が最大4.7m、全長55m前後。2・3・2の座席配置が標準だが、 スカイマークは2・4・2としている。乗客数は機種により、200-375名。最大離陸重量は150トンを超えるものもある。 機体損失事故は2004年現在、11回(総死者569名)。 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件で世界貿易センタービルに突っ込んだのは2機ともボーイング767型機であった。
この機種は当初767の派生機として計画されていたが、1986年から開始された市場調査、設計にまで顧客の声を反映する設計思想により、 777として1995年に運航を開始した。当時ボーイング社はスタンフォード大学の生産性設計[6]を受講しており、 その考え方を主力製品に反映したものと言えよう。2007年に受注数は1,000機を超えた。 737、767と同じ双発式だが、対機体で見ると、よりエンジンが大きくなっている。胴体横幅は外部 6.19m、 内部 5.86m。エコノミーキャビンの標準的座席配置は2・5・2で、乗客数は機種により、300から1クラス仕様では550名にもなる。 ただし、最大離陸重量は250 - 350トン。機体損失事故は2008年1月のブリティッシュ・エアウェイズの1回(総死者0名)。
MDシリーズは、DC-9 の改良機種として開発され、MD-81は、1980年に就航開始。MD-90はさらにその後継機だったが、 MD-80シリーズは1999年で生産が終了(計1,191機)、1995年に初納入されたMD-90は2000年までに116機納入された。 その間、1997年にボーイング社に吸収合併された。 双発のエンジンは胴体後部、垂直尾翼の直前に取り付けられている。 胴体幅は、外部で横3.35m、縦3.61m。標準的座席配置は2・3で、150名前後を収容する。 最大離陸重量はMD-80シリーズが65トン前後、MD-90は70トン前後。機体損傷事故は、MD-80シリーズが23回(総死者 1,023名)、MD-90が1回で死者1名。
三発式ワイドボディーのDC-10は、1971年に運航を開始。日本では、2005年10月31日に全機退役した。 全部で386機が世界中に納入された。両主翼の下にそれぞれ1つずつと垂直尾翼の下部に3つ目のエンジンがあった。 胴体径は6.02m。エコノミーキャビンの座席は 2・4・2で、2クラス仕様で255名分の座席があった。 2008年現在、日航でもDC-10は使用されていない。最大離陸重量は250トン前後。機体損傷事故は、29回(総死者 1,262名)。
エアバス・インダストリー エアバス社は、アメリカ企業の航空機市場独占に対抗してフランスと(当時)西ドイツの会社が、1970年に共同出資して設立。 後にイギリス、スペインからも参加があって、ヨーロッパ4カ国からの国際協同会社となった。愛称エアバス、あるいはSAS。 A300は、その最初の機種で、主翼下に2台のエンジンを取り付けた双発式。A300/310は1974年の初納入から計816機を納入し、 1998年に旅客タイプは生産を終了した。A300-600は、全長54.1m、胴体径5.64mとボーイング737と似たようなずんぐり体形。 エコノミーキャビンの座席配置は2・4・2でおよそ270の座席がある。最大離陸重量は170トン前後。 機体損傷事故は300/310合計で24回(総死者1,769名)。
エアバス社による2シリーズ目の開発機。150人乗りの中・小型機を目指したもの。1988年の初就航以来、318/319/320/321のA320シリーズで、 3,572納入済みの人気機種。発注は6,297機にも上る。競合機種はボーイング737やMD-80/90。 主翼下に2台のエンジンを取り付けた双発式で、全長37.6mに胴体径は3.96mとA300やボーイング737と似たずんぐり体形である。 座席は、エコノミー3・3の中央1通路式で、2クラスタイプで150席ある。最大離陸重量は73.5トン。 機体損失事故は2008年5月現在19回、 (総死者628名)。 ボンバルディア・エアロスペース ボンバルディア・エアロスペース社は重工業のカナダ、ボンバルディア社の航空機部門。 前身は1928年にイギリスのデハビラント社(『失敗学のすすめ』のコメット機でおなじみ)がトロントに設立したデハビランド・カナダ社。 同社は第二次世界大戦中にカナダ政府の非営利企業とされた。デハビランド・カナダ社が1979年に計画を発表したDash-8は、 1984年に運用が開始されたが、1986年にボーイング社がデハビランド・カナダをカナダ政府より買収、 その後1991年にボンバルディア・エアロスペースに売却。Dash-8は、現在ボンバルディア・エアロスペースにより、 生産が続けられており、日本では、YS-11の後継機として活躍している。名称は現在、Dash-8 と統一されているが、 de Havilland Canada の DHC-8 の呼び名がまだあちこちで使われている。 この近距離用機種はここまで見てきたものと違い、主翼は高翼配置、すなわち胴体の上部に配置され、 それぞれの下にターボプロペラエンジンを搭載する双発機である。 最新式の400シリーズは、2・2の客席配置により定員は約70名で、 現在までに313機の製造済みを含めた発注がある。1984年以降のDash-8生産機数は900以上。 胴体径は、2.69mと小さく、最大離陸重量は29トン。機体損傷事故は、2002年12月までに6件(総死者46名)。 1990年11月21日のバンコク航空の事故では、悪天候の中、着陸しようとココナツ農園に墜落、38名が死亡した。
1986年にボンバルディア社がカナディア社を買収。70年代後半よりカナディア社が開発していたCL-600の後継機で1989年に開発が始まったが、 名称にはカナディア社のCRJ: Canadair Regional Jet が残された。CRJ-200は、最初のCRJ-100のエンジンを大きくして最大離陸重量を大きくしたもの。 近距離ジェット機として人気を博し、1992年の初納入から1047機が納入済み。 2.69mの最大胴体径は、2・2の配置の座席を収め、乗客数は50。機体後部左右に2台のエンジンが取り付けられている。 最大離陸重量は23トン。CRJ-200の機体損傷事故は2回(総死者57名)。
【経過】
日時/場所:1月22日、21:16頃 / 新千歳空港
日時:3月8日
日時/場所:3月11日、18:00頃 / 韓国、仁川(インチョン)国際空港
日時/場所:3月16日 / 羽田・新千歳間
日時/場所:3月20日、12:45頃 / 帯広空港
日時:4月10-12日
日時:4月22日
日時/場所:5月8日、11:40頃 / 札幌から南東に約370キロ、太平洋上
日時/場所:5月15日、18:30頃 / 成田空港
日時/場所:5月15日 / 成田空港
日時/場所:5月15日、18:30頃 / 大阪・羽田完
日時:5月18日
日時/場所:6月5日、11:05-12:32 / 長崎羽田間
日時/場所:6月15日、10:00頃 / 羽田空港
日時/場所:6月17日、10:55頃 / 大阪空港
日時/場所:7月23日、20:00頃 / 和歌山県上空
日時/場所:7月24日、7:57頃 / 新千歳空港
日時/場所:8月12日、19:46頃 / 福岡市上空
日時:9月28日、10:30頃
日時/場所:10月29日、16:50頃 / 高知県沖
日時:11月14日発覚
日時/場所:12月1日、16:50頃 / 鹿児島空港
【原因】
経過の節に書いたように、2005年には様々なトラブルが発生した。本失敗年鑑シリーズでは、科学技術振興機構の失敗知識データベースと同じく、 「対処」は失敗が発生した時にその結果が大きな事故に発展、負傷者が増加、あるいは二次災害が発生することのないように取る対応、 一方の「対策」は長期的に見て、同じ失敗を繰り返さないように行う対応としている。 各トラブルの対処は、緊急着陸、気圧低下では酸素マスクを降ろしての緊急降下、配膳ワゴンを乗務員が手で押さえて着陸したものから、 故障を抱えたまま、あるいは航路途中のどこかで部品が脱落しながらも無事目的地に到着、着陸後まで気がつかなかった、部品の取り違えに長期に亘り気づかなかったなどある。 計器故障に気がついて離陸を中止したものは、正しい対処ができたものと言えよう。
【対策】
【考察】 参考文献
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