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ロンドン同時爆破テロ >>会員用フルバージョンはこちら
失敗年鑑2005
ロンドン同時爆破テロ
サイドローズエルピー、ゼネラルパートナー
飯野謙次

信条が変われば行動も変わる

ロンドン同時爆破テロ原因の分析 [ 拡大 ]

【シナリオ】
1.価値観不良
2.異文化
3.イスラム教
4.過激派
5.組織運営不良
6. 運営の硬直化
7.武力解決一辺倒
8. 調査・検討の不足
9. 事前検討不足
10.過激派発見できず
原因
11.(過激派)不良行為
12.(過激派)倫理道徳違反
13.殺意を持った迷惑行為
14.爆弾製造
15.爆破
行動
16.破損
17.大規模破損
18.爆発
19.身体的被害
20.死亡
21.負傷
22.社会の被害
23.社会機能不全
24.公共交通網麻痺
結果

【概要】
 2005年7月7日、朝のロンドン中心部地下鉄線路内でほぼ同時刻に3箇所で爆発があり、 そのおよそ1時間後に今度は2階建てバスで爆発が起こった。原因はイスラム教過激派による自爆テロで、 4名のテロ実行者が周到に計画を立てて自爆テロを行った。
 一般人52名が巻き込まれて死亡し、750名以上が負傷した。テロ実行者4人ももちろん死亡した。 英国当局は直ちに他にも同様のテロがなされないか警備を最高のレベルに引き上げ、さらに負傷者の救助に奔走して、 一時ロンドン中心部はその機能が停止した。 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロを実行したイスラム教過激派組織アルカイダが犯行声明を出したが、実際に系統的指示により、 このテロが実行されたかどうかは不明である。

【発生日時・場所】
2005年7月7日、08:50 ロンドン市内地下鉄3箇所で、さらに09:47、ロンドン市内地上を走る2階建てバス1箇所で爆発。 民間人が52名死亡、750名以上負傷し、テロ実行者4名が死亡した。

【背景となる情報】
イスラム教 (Islam): ムハンマド(Muhammad、西暦570-632。以前の日本では英語音モハメッド、トルコ語音マホメットで呼ばれた。 ムハンマドは標準アラビア語音)が教祖の宗教。キリスト教に次いで世界第2の信者数を持つ。中国、日本などの漢字文化圏では回教とも呼ぶ。 唯一神アラー(Allah)を信じ、経典はコーラン(Qur'an)。イスラム教徒をムスリム(Muslim)とも呼ぶ。
 イスラム教の75%以上を占めるスンニ派(Sunni)と15%前後のシーア派(Shi’a)が2大宗派をなす。それぞれがまた細分されるが、 2派の最大の違いは、教祖モハメッドの後継者がその従弟であり娘婿でもあった第4代後継者アリ(Ali)だけである(シーア派)か、 初代から第3代までの後継者も含める(スンニ派)かである。
 図1に、各国におけるイスラム教信者比率をスンニ派とシーア派について示す。中近東を中心にアフリカ北部、東ヨーロッパ南部から、 ロシア、カザフスタン、さらにアジアではアフガニスタン、パキスタン、インド、バングラデシュ、インドネシアまで広がっている。 日本でも少ないものの信者もおり、その礼拝堂であるモスクも存在する。
 戒律は厳しく、忠誠を誓う他、毎日の礼拝、奉納、ラマダンと呼ばれる断食行、マッカ(旧来はメッカと読まれた。 マッカは標準アラビア語音)への巡礼が定められている。

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(http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Islam_by_country.svg
を基に、尺度表示部を見やすく変更)
図1 世界各国のイスラム教信者比率

イスラム主義 (Islamism):イスラム教を宗教として見るだけではなく、イスラム教徒の原点への回帰と全体の統一を目指した政治活動を信条とする。 イスラム教を唱える人、あるいは団体により、その目的や手法が異なり、イスラム教を断定的に定義することは難しい。 温厚派は、西洋民主主義との共存を目指し、過激派はその徹底的な排除を目指している。

イスラム原理主義 (Islamic Fundamentalism):20世紀初頭に現れたキリスト教原理主義に対比して、 英語圏で生まれた言葉。原理主義は根本的な狭義の教えに従おうとする動き。 イスラム教でコーランに忠実に従おうとする一派に対して使用された言葉だが、 日本では狭義→視野が狭い→過激派と曲解し、テロ行為者をイスラム原理主義者と、一時誤ってこの言葉が使われた。

イスラム過激派 (Islamic Extremists): イスラム主義者の中で、戦闘行為、テロ行為によってイスラム教の理念を実現させようとする一部。 その反社会的思想や行為から、イスラム過激派を指して、彼等はイスラム主義者の一部ではないというイスラム教徒もいる。

アルカイダ (Al-Qaeda): イスラム過激派の1グループ。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の実行犯として世界中に知られた。 リーダーは、ウサマ・ビン・ラディン。アルカイダによるテロは、人や爆弾を積み込んだ自動車の自爆が多い。 アメリカ同時多発テロは、それが2機の飛行機であった。
 アルカイダは国際テロ組織に発展し、整然とした命令系統が決まっていないとも言われている。 2004年には、イラクの聖戦アルカイダ組織を名乗るグループが、24歳の日本人旅行者を拉致し、日本自衛隊のイラクからの撤退を要求した。 これが日本政府に拒否されると青年の頭部を切断、後日その様子をインターネット上で動画配信して世界を震撼させた。

タリバン (Taliban): アフガニスタンは、その北をタジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン(図2参照)と接しているが、 これら3国は、1991年に崩壊するまでのソビエト連邦(ソ連)の一部であった。 そのソ連は1979年12月24日、共産政権を安定させる目的でアフガニスタンに軍事介入、それは1988年までの9年間続く。 ソ連撤退後のアフガニスタンは、政情不安定が続き、スンニ派イスラム教徒によるタリバンが台頭、 1996年から2001年の間アフガニスタンを支配する傍ら、パキスタンにも勢力を伸ばした。
 タリバンは現在、パキスタン軍諜報機関から援助を受けているとされている。リーダーは、ムハンマド・オマル(Mullah Mohammed Omar)。 結成当初、混乱したアフガニスタンを鎮めるのではないかと期待されたが、破壊的、非民主主義的な活動から次第に国際社会に忌避されるようになり、 2000年のバーミヤーン石窟仏陀像の破壊、アルカイダによる2001年のアメリカ同時多発テロ事件から国際社会の大部分から完全に敵視されるようになる。
 特にアメリカ合衆国と英国は、不朽の自由作戦(Operation Enduring Freedom)を宣言、軍事行動に出る。 その結果タリバンは次第に範囲を狭めるも、アフガニスタン南部とパキスタンの一部に依然勢力を持ち、アルカイダを保護している。

ジハード (Jihad): 日本では、聖戦と訳されることが多い。本来は、自己内部での正義のための内なる戦いと、 外部との戦闘行為の意味を合わせ持っていたが、外部テロ行為を正当化するためにイスラム過激派が盛んにこの言葉を使ったため、 自爆テロを含めた戦闘行為を意味すると思われている。

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図2 中近東およびその周辺地図

テロ実行犯:本事件のテロ実行犯は、以下4名。本節ではその生い立ちを概説する。
      モハメド・サディック・カーン(Mohammad Sidique Khan)、パキスタン系英国人、30歳
      シェザード・タンウィア(Shehzad Tanweer)、パキスタン系英国人、22歳
      ハシブ・フセイン(Hasib Hussain)、パキスタン系英国人、18歳
      ジャーメイン・リンゼイ(Jermaine Lindsay)、ジャマイカ出身、19歳

図の表示は会員のみ  カーン、タンウィア、フセインの3人は境遇が似ている。リーズ市(Leeds)、あるいはその郊外で育ち、 イスラム教の影響を強く受け、熱心な信者であった。カーンとタンウィアは学業の成績も良く、どちらもリーズ・メトロポリタン大学に進学している。 ただし、タンウィアは2年で中退。フセインは2年制大学を卒業している。
 3人は、家庭も裕福な環境で育ち、体格も大きく、運動もできた方であった。カーンは2001年ごろから、地域の教育、学外の体育館、 キャンプなどで若者のリーダーとして活躍していた。タンウィアとフセインは2002年ごろからイスラム教に強く傾倒し、 フセインはあからさまにアルカイダ支持を口にしていた。地域のイスラム教コミュニティで3人が知り合ったのは自然の成り行きと考えられる。
 一人境遇の違うリンゼイは母親の離婚、再婚とともに1歳の時にリーズ郊外に移住。学業、運動ともに優れたものを見せていたが、 2000年に母親がイスラム教に改宗すると自身もすぐに改宗。この頃から交友関係が荒れ、 学校でアルカイダを支持するチラシを撒いて注意を受けたこともあった。母親は2002年に不倫の末アメリカに移住、 リンゼイはリーズ市近郊に一人残された。同年、インターネットで知り合ったイスラム教に改宗した英国系白人と結婚、 翌年ロンドン近郊にある妻の実家に移るが、イスラム系コミュニティの強いリーズ市郊外に出かけることがしばしばあった。 おそらくここで、イスラム系活動をしていたカーンと出会ったものと思われる。

英国シークレットサービスの歴史: 1909年、ドイツの諜報活動に対抗してシークレットサービス局 (Secret Service Bureau)が設立された。 そして国内の外国諜報活動を監視する国家安全部(Security Service、SS、もしくはMI5とも呼ばれる)と、 英国に危害を及ぼす可能性のある海外諜報活動を監視する英国情報局秘密情報部(Secret Intelligence Service、SIS)の2つに分かれた。 SISは、1930年ごろよりMI6(Military Intelligence section 6 - 軍情報部第6課)とも呼ばれたが、今では正式名称は、SIS。 ジェームズ・ボンド(James Bond)が活躍するフィクション、007は、元MI6職員のイアン・フレミング(Ian Lancaster Fleming)が原作。
 冷戦の終結とともに1990年代前半に組織が見直され、国家安全と情報を司る機関は、SS、SIS、 と1946年に政府暗号学校(Government Code and Cipher School、GC&CS、1919年設立)から改組された政府通信本部(Government Communication Headquarters、GCHQ) の3つになった。 GC&CSは第二次世界大戦中、アラン・チューリング(Alan Turing)の活躍で、ドイツ軍が使用していたエニグマ(Enigma)暗号を解読したことで有名。

英国諜報安全委員会(ISC, Intelligence and Security Committee): 英国総理大臣により、国会議員の中から9名が任命される委員会。 英国内の諜報機関を監視する。1994年の情報機関法(Intelligence Services Act)成立とともに設置された。

総合諜報委員会(JIC, Joint Intelligence Committee):1936年に設立、1957年に内閣府の組織下に入る。 ISCの監視下にもあるこの組織は、シークレットサービスの項で述べた3つの諜報組織、SS、SIS、GCHQとさらに、 防衛省(MOD, Ministry of Defence) 直下で民間人と軍のスタッフで形成される防衛諜報部(DI, Defence Intelligence)を監視下において英国政府の諜報分析の基準を定める。

総合テロリズム分析センター(JTAC, Joint Terrorism Analysis Centre):ロンドン中心部に位置し、政府関係省庁、交通、金融、電力、 通信などの主要企業や組織に常に情報発信を行っている。センター長はSS長官の指示の元、SS、SIS、GCHQ、DIに加え、 ロンドン警視庁テロリスト対策司令部などに指示を出す。

上記国際諜報活動を行う機関の他、英国全体の警察活動を行うニュー・スコットランド・ヤード(New Scotland Yard)、 ロンドン中心部以外のロンドン近郊を担うメトロポリタン警察(Metropolitan Police)、ロンドン市警察(City of London Police)がある。

【経過】
 テロ前日の6日、ロンドンは2012年オリンピック開催の決定に沸きかえり、 ロンドンの北北西約600キロメートルのオーヒテラーダ(Auchterarder)、 グレンイーグルズ・ホテル(Gleneagles Hotel)でG8首脳国会議(日本、ドイツ、英国、米国、フランス、イタリア、カナダ、ロシア)が始まった。 翌7日のテロ発生後、英国ブレア(Blair)首相は、その日のうちにロンドンに駆けつけた。当日7月7日における実行犯4名の足取りを以下に説明する。
 
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図4 爆弾を製造していた Alexandra Grove とリーズ市北西部

3:58 タンウィア、カーン、フセインの3名を乗せた水色の日産マイクラが、リーズ市(Leeds)ハイドパーク通り(Hyde Park Road)の監視カメラに写る。 ハイドパーク通りは、爆弾を製造していたと目される アレクサンドラ・グローブ 18番地(18 Alexandra Grove)に近い。
5:07 リンゼイが一人で乗った赤いフィアット・ブラバ(Fiat Brava) がルートン(Luton)駅駐車場に到着。
6:49 先のマイクラがルートン駅に到着、ブラバの隣に駐車する。車から降りた4人はそれぞれ、 荷物で膨らんだバックパックを背負った。マイクラには背負ったものとは別の爆破装置、拳銃が座席に残されていた。 これらは万が一、運転途中で止められたときに使用するためだったと思われている。
7:15 4人はルートン駅の改札を通過。07:21、キングズ・クロス・テムズリンク線(King’s Cross Thameslink) のホームに向かうところを駅の防犯カメラが捕らえている。 4人を乗せた列車は07:40にルートン駅を出発。
8:23 列車がキングズ・クロス駅に到着。4人は地下鉄に向かう。ここで4人が抱き合い、 陶酔したような様子であったとの目撃談がある。4人はここで分かれた。
8:50 カーン、タンウィア、リンゼイの3名が持っていた爆弾が爆発した。
カーンは、環状線(Circle Line)西向き列車2両目先頭ドア近くにおり、彼を含めて7人が死亡、163人が負傷した。
タンウィアは同線東向き列車2両目後方におり、彼を含めて8人が死亡、171人が負傷。
リンゼイはピカデリー線南向き列車1両目2組目と3列組目座席の間におり、彼を含めて27人が死亡、340人以上が負傷した。
8:55 4人目フセインがキングズ・クロス駅から出てきて、他の3人に携帯で連絡を取ろうとする。 もちろん電話はつながらず、その後フセインは再びキングズ・クロス駅に降り、売店で9Vの電池を購入する。
さらに、地上のマクドナルドに入り、最終的に混雑した30番バスの2階後部に陣取る。
9:47 フセインの爆弾が爆発、彼を含んだ14名が死亡、110名以上が負傷した。 図5に4つの爆弾が爆発した場所を示す。

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図5 ロンドン市内、テロ爆弾が爆発した場所

【原因】
 テロ発生から数時間後、欧州アルカイダ秘密組織(The Secret Organisation Group of Al Qaida in Europe)を名乗るグループが犯行声明をインターネットに載せ、 イラク、アフガニスタンに対して軍事行動を取っている他国政府に警告を発した。ただしこの声明内容、 つまりこのグループが本事件のテロ首謀者だったかどうかは確認されていない。

 ロンドン警察は、テロ後カーンの遺書を発見していたが、その後9月1日、アラビア語放送局アルジャジーラ(Al Jazeera)がカーンのビデオメッセージを放映した。 この放送では、アルカイダ指導者のウサマ・ビン・ラディンに次ぐナンバー2、アイマン・アル・ズワヒリ(Ayman al-Zwahiri)のコメントも放映され、 アルカイダによる本事件テロの支持を表明した。さらに、9月19日、2回目の放送では、ズワヒリはアルカイダが本事件テロを実行したとまで言っている。
 一方英国当局は、このアルカイダによるテロ実行の声明は証拠が無いので確認できないとしている。

【対処】
 最初の3つの爆発が起こった直後、情報の錯綜とともに混乱が起こり、それは11時ごろまで続く。 これら爆発がテロによるものとわかると英国中で最高の警戒態勢が布かれ、ロンドン以外の地方都市では持ち主不明の荷物が次々に隔離破壊された。
 キングズ・クロスなど駅構内では負傷者の治療が行われた。ロンドン中心部の交通システムは、夕方4時になってようやくバス系統が復帰、 その後主要な電車系統が復帰するも、地下鉄は翌朝から復帰が始まった。8月初旬に環状線、ピカデリー線が復帰するまで地下鉄の回避運行は続く。
 携帯電話網はテロ爆発後の10時には容量が飽和し、緊急連絡を優先する構成に切り替えられた。通常の地上線電話もつながりが悪くなった。

 英国ブレア首相はG8の会合から急遽ロンドンに戻り、17:30には“警察とシークレット・サービスはこれまでにない調査を行って実行者を弾劾する”と声明を出した。
 女王は、“国家の深いショック”を表明し、他の王室の人々と病院等を巡り、“影響を受けた者、そしてその親戚や友人に深い同情”を訴えた。 さらに“このように罪無き人々を陥れた残忍な行為をもってしても私達の生活は変わらないことを思い知るだろう”、と宣言した。
 負傷者の救出を最優先させながら、警察は強力に捜査を推し進め、テロ発生から数日で4人の氏名、当日の足跡、爆弾製造のアジトなどを突き止めた。

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(http://en.wikipedia.org/wiki/File:Russell_square_ambulances.jpg)
図6 爆発後、ラッセル広場に集まった緊急車両

【対策】
 テロ後の捜索により、リーズ市のアジト(図4)を突き止めた警察は、7月12日にリーズ市内6箇所、 13日にはロンドンの北西50キロメートルにあるアイリスバリー(Aylesbury)1箇所の強制捜査に踏み込んだ。 この強制捜査の結果、一人が逮捕され爆薬が発見された。警察は、ルートン駅に駐車してあったタンウィアの車からも爆薬を発見している。

 7月21日、12:26、12:30、12:45、再びロンドン地下鉄3箇所で爆発があった。そして、7月7日と同じように13:30、路線バスで爆発があった。 ただしこれら4つの爆発は、信管が破裂して大きな音を出したのみで、用意されていた爆薬は爆発せずに済んだ。直接のけが人は出なかった。
 この時の爆薬が7月7日のテロに使用されたものと同じタイプだったこともあり、アルカイダの関与が考えられたが、 犯行声明を出したのがアブ・ハフス・アルマスリ・ブリジェード(Abu Hafs al-Masri Brigades)で、アルカイダとの関連は不明な過激分子の模倣行動と見られている。
 この7月21日のテロ未遂に関与した6名が逮捕起訴されたが、誤逮捕も多く、 22日には関係のなかったブラジル移民が地下鉄車両内でメトロポリタン警察に射殺され、警察は世間の非難を浴びた。

 後日、国家安全部がカーンの活動を事前に把握していたことがわかり、7月7日のテロを防ぎ得たのではないかと世論が高まった。 英国政府は反社会的活動の事実を調査中であったが、カーン等を特定するまでに至ってなかったと釈明した。

【考察】
 背景の項で少しアフガニスタンの歴史を記述したが、1970年代終わりに社会主義勢力を伸ばそうとアフガニスタンに介入したソビエトに対し、 現タリバンの前身勢力やアルカイダに軍事支援を積極的に行ったのはアメリカ合衆国である。その後、にらみ合っていた米ソの冷戦終結、 ソ連の崩壊後、アフガニスタンは内戦の連続、タリバンの台頭にさらされる。
 蓋を開けて見ると、タリバンはどんどんイスラム教思想を極端に解釈する方向に進み、自爆テロで一般市民を巻き込む他、民族差別、 女性の社会的権利の剥奪を行った。このタリバンのやり方が、イスラム教圏の他国も含めた国際社会に非難されることとなり、介入を受ける。
 2001年のアメリカ同時多発テロは、アメリカの介入に対する反発としてアルカイダが実行したとしている。 本事件のロンドン同時爆破テロも、アルカイダが組織的に指示をしたかどうかは不明だが、少なくともアルカイダに傾倒していた4名により、 英国の介入に反発した行為だと実行グループのリーダー的存在だったカーンがビデオと遺書を残している。
 ただし本事件の場合、英国政府の報告書によるとカーンは殉職することが崇高な行為であると信じていたようである。

 人により、信条が違えば行動も変わる。特に確固たる自我が形成されず、身体的能力がピークを迎える20歳前後において、 強い影響を与える話術を持った人の話しを聞いて感銘を受けたとき、信条が形成されることが多い。 反社会的思想を持ち過激な行動に出る人は、この時期にそういった反社会思想のリーダーに影響された場合が多い。 これは民族的なものとは限らず、例えば日本でもオウム真理教による地下鉄サリン事件があった。

【知識化】
  • 現代社会は雑多な人の集合体であり、時には過激思想を持った人間も混じっている。
  • 自テロ行為、特に自爆テロに対しては、私達の社会はまだ脆弱である。

参考文献
1 BBC Homepage
1.1 London Attacks, BBC News Special Reports,
1.2 London bomber video aired on TV
1.3 Creative Commons
2 イギリス内閣府 Cabinet Officeホームページ
2.1 Could 7/7 Have Been Prevented?, Review of the Intelligence on the London Terrorist Attacks on 7 July 2005, Intelligence and Security Committee, 2009年5月
2.2 The Prime Minister's Written Ministerial Statement, 2009年5月
2.3 Report into the London Terrorist Attacks on 7 July 2005, Intelligence and Security Committee, 2006年5月,
2.4 The Government's Response to the Intelligence and Security Committee's Report on Rendition
3 The World Factbook, Field Listing:: Religion, CIA
4 Wikipedia, The Free Encyclopedia
4.1 List of countries by Muslim population
4.2 イスラム教
4.3 イスラム教信徒数と分布
4.4 イスラム原理主義
4.5 Islamic Fundamentalism
4.6 イスラーム過激派
4.7 Islamic Extremism
4.8 Al-Qaida claims responsibility for London 7/7 bombings
4.9 7 July 2005 London Bombings
4.10 War on terrorism
4.11 Soviet war in Afghanistan
4.12 Taliban
4.13 イラク日本人青年殺害事件
4.14 エニグマ (暗号機)
4.15 Alan Turing
5 London bombings: the truth emerges, Jason Bennetto and Ian Herbert, The Independent, 2005年8月13日,
6 総務省統計局刊行,総務省統計研修所編集「世界の統計 2009」、総務省ホームページ/世界の統計 世界地図(アジア)
7 Official Secrete Intelligence Service Website 
7.1 SIS OR MI6. WHAT'S IN A NAME?
8 Security Service MI5
8.1 MI5 History
9 ロンドン地下鉄路線図
10 Report of the Official Account of the Bombings in London on 7th July 2005, 2006年5月11日, 英国政府公式文書
11 Creative Commons
12 Attribution-Share Alike 3.0


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