特定非営利活動法人失敗学会 |
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耐震強度偽装発覚
サイドローズエルピー、ゼネラルパートナー
飯野謙次
【シナリオ】
【概要】 2005年11月17日、国土交通省(国交省)は、マンション20棟、ホテル1棟の計21棟の耐震構造計算書に偽装があったことが発覚したと発表した。 世間の耳目を大いに集めた耐震偽装事件が世に知らされた時である。 その後、次々にこれら耐震偽装に関する事実が露呈され、この事件関係者の国会喚問にまで発展した。実に多くの団体、個人が関与し、終結したと思ったら、 後年、同じような別の事件がまた発覚した。 本事件の原因は、耐震構造計算書を偽装した個人の私利私欲とする意見が多い。さらに、コンサルティング会社、設計元請、建築業者がグルになったという黒幕説もある。 確かに私利私欲が原因の一つではあるが、偽装を見抜けなかった建築確認の制度にもっと大きな問題があると言えよう。 そして複雑化した科学技術に対する人間の盲信を反省しなければならない。 【発生日時】 1997年5月ごろから2005年10月ごろまで 【発生場所】 千葉県市川市姉歯(あねは)建築設計事務所 【基礎知識、登場団体と人物】 この事件でその耐震強度偽装が問題となったマンション、ホテル等の発注から引き渡しはおおよそ図1のように展開される。 図1 マンション・ホテルの発注から引き渡しまで この図を念頭に、この事件の主な登場団体と人物を説明する。なお、中には、事件経緯の説明のために登場する団体や人物もあり、 ここに挙げられたからといってこの耐震偽装事件において刑法上問題行為があったとは限らない。本記事では、全員の敬称を略した。 姉歯建築設計事務所:この事件で一級建築士の資格を取り消された姉歯秀次元一級建築士が経営。 建築設計の発注を受け、営業成績、および業界での評判を得るため、耐震構造強度計算を偽装した。 どうせいい加減にやるのだからと、建築物の耐震構造計算も適当に行ったと思われ、偽装発覚前は仕事が速く、 設計と施工のコストが低いと評判だった。本事件で、建築基準法違反で懲役5年、罰金180万円の実刑が確定した。 その後、本事件の偽装に関する国会証人喚問で虚偽答弁を行ったと議院証言法違反で告訴され、 耐震強度が偽装されたマンション物件を購入した住民らからも民事訴訟を起こされている。 ヒューザー:耐震構造強度が偽装された建築物件の多くの建築主だった。偽装発覚当時の社長は小嶋進。 小嶋の演出的な言動が、マスコミの耳目を引いた。耐震構造偽装を知りながら、住民に物件を引き渡したとして、 詐欺容疑で起訴され、現在係争中。 イーホームズ:設計事務所から、耐震構造計算を含め提出された設計書を審査する民営の指定確認検査機関 の一つ。 社長は藤田東吾。2005年11月17日の発表で明らかにされた耐震偽装された21棟のマンション、ホテルのうち、20棟の設計審査を行っていた。 日本ERI:イーホームズと同じく、指定確認検査機関の一つ。次々に発覚していった耐震偽装構造計算の設計審査のいくつかを行っていた。 木村建設:耐震偽装がされたビルの多くを施工した熊本県八代(やつしろ)市の建設業者。社長は木村盛好、事件発覚当時の東京支店長は篠塚明。 2005年11月21日に手形の不渡りを起こし、同年12月21日に自己破産を申し立てた。 平成設計:東京都千代田区の設計事務所。姉歯建築設計事務所をよく下請けとして使った。 木村建設の子会社。2005年12月12日、東京地裁に破産を申し立て、受理された。 総合経営研究所:東京都千代田区のコンサルタント会社。耐震偽装事件が発覚する前は、盛んに建設工期短縮、コスト削減のセミナーを開催していた。 所長の内河建、チーフコンサルタントの四ヶ所猛は国会に証人喚問され、木村建設、平成設計、姉歯建築設計事務所との密接な関係を追及されるも否定した。 アトラス設計:東京都渋谷区の設計事務所。代表、渡辺朋幸。姉歯による耐震偽装を最初に見破ったとされている。 森田設計事務所:東京都世田谷区の設計事務所。姉歯建築設計事務所に設計下請けを出していた。 耐震偽装事件発覚後、経営が悪化し、当時の森田信秀所長が自殺した。 【経過】 本事件の発覚は、2005年10月7日、イーホームズ関係者を名乗る人物の告発に始まる。告発を受けた国土交通省では、同月24日、 イーホームズの立ち入り検査を敢行した。二日後の同月26日、イーホームズは自主的に国土交通省に耐震偽装を発見したと電子メールで報告。 国土交通省では、同年11月10日までに発覚した物件21件(イーホームズが20件、 後の1件は東日本住宅評価センターが指定確認検査機関)の構造計算書などの提出を求め、同月17日に耐震偽装されたビル14棟が竣工済、7棟が工事中、 あるいは未着工であると発表した[1.1]。
指定確認検査機関とは、1998年の建築基準法改正により、特定行政庁が行ってきた確認と検査業務を行うことができると指定された民間業者。
都道府県知事、あるいは2つ以上の都道府県にまたがる場合は国土交通大臣が指定を行う。
17日の発表では、偽装の程度は確認中とされ、その後同月21日に、問題の21棟が具体的に発表され、
それらの実際の耐震強度が Qu/Qun という形で提示された[1.2]。これらマンションに入居済みだった人たちや、一件あったホテルオーナーには、
青天のへきれきであった。特定行政庁とは建築基準法に定められており、建築主事を置く市町村の区域については当該市町村の長で、 その他の市町村については都道府県知事。建築主事とは構造計算などの確認業務ができる人。 表1に2005年11月17日以降、これまで(2008年3月)に明らかになった姉歯による耐震偽装事件の経過を、 最高裁による上告棄却で姉歯の実刑が確定するまでを示す。
【対処・対策】 2005年11月17日の発表[1.1]で、国土交通省はその日から、国、関係都県及び関係特定行政庁からなる構造計算書偽造問題対策連絡協議会を設置し、 21件のビルに対して対応を行うこととした。以下7項目はその抜粋である。
建築基準法施行令[5]によると、耐震性評価に使われる保有水平耐力指標値 Qu/Qun の2つの項は、それぞれ次のように定義されている。 Qu: 保有水平耐力(kN) Qun: 必要保有水平耐力(kN) 同施行令では、その第八十二条の三で『建築物の地上部分については、保有水平耐力が必要保有水平耐力以上であること』と定めている。 つまり、Qu/Qunが1.0以上ないと、その建物には必要な耐震性がないことがわかる。 一方、文部科学省による官庁施設の総合耐震計画基準[7]、および、国土交通省からの発表を合わせると、 Qu/Qun値に対する鉄筋コンクリートビルの地震時の損傷予想は表2のようになる。 偽装による耐震性の不足が懸念されるビルの耐震性再評価で、Qu/Qunが0.5以下になった場合、 国土交通省は自主退去勧告、その後使用禁止命令を出した。また、Qu/Qunが0.5から1.0の場合は、耐震補強を施すことにより、 Qu/Qunが 1.0 より大きくなったことを示せばよいとした。本来、入居者の退去に伴い、全額を払い戻すべき建築主にその賠償能力もなく、 国や自治体の補償も不十分であった。入居者は耐震補強の費用を負担、退去者はローンだけが残ったなど、経済的負担が非常に大きくなり、 姉歯や行政を相手に民事訴訟を起こした者もいる。
図2に姉歯による耐震偽装物件の Qu/Qun 値を、(a) 事件発覚時と、(b) 耐震補強で Qu/Qun が1.0を超えた物件、 取り壊しなどで消えた物件を除いて最近の残件についてプロットする。横軸は、散らばりがわかるようデータ点を散らすために設けたもので、 特に物理的な意味はない。 図2 事件発覚時と最近の姉歯による耐震偽装物件のQu/Qun値 【考察】 この事件ほど、"審査"という工程が形骸化しやすいことを露呈したものもないだろう。この建築設計の審査が形骸化してしまった理由には、 構造計算に使用するツールのブラックボックス化がある。 コンピュータプログラムの複雑さは、年々増していく。本事件のように複雑な形状をモデルにし、 想定入力に対する各部材での発生応力を計算によって予想するのは有限要素法もしくはそれに似た原理の計算法による。 有限要素法とは、解析対象の構造物を有限の要素に分解し、各要素と要素間の境界で成り立つ膨大な数の方程式を、 コンピュータの計算力によって一気に解いて各要素に発生する主応力やせん断応力を算出する手法である。 有限要素法の解析において入力は、各要素の形状、物性、境界条件、それに外力の大きさと作用点、もしくは加速度である。 近年のパッケージでは、構造物を要素に分割して各要素の形状を決めるのは自動的に行うので、注意深く入力しなければならないのは境界条件と外力である。 境界条件とは、ビルの場合、剛な地面に対して単純に固定されているとか、地盤の流動も考えてある程度1階と地下階の動きを許すなどである。 筆者はちょうど、解析解とともに有限要素法が一般に使われ出した過渡期にこういった計算を仕事で行った。 使い始め当時は『有限要素法の解は信用できない』と言われ、解析解もあわせて行い、2つの計算結果がおおよそ合っていることを確認した。 この『信用できない』というのは、計算が間違っているというより、要素形状を手入力で行わなければならないなど、人手に頼る部分が多かったため、 ヒューマンエラーが潜り込んだ時に、それが全く分からないというのが原因だった。 この計算を図3で簡単に説明する。最も単純な解析解は、計算対象のビルとその材料から、 注目している階より上の部分にある質量 m と質量中心位置 z を計算し、入力加速度 a が作用した時にその質量に作用する力から、 注目階に作用する曲げモーメント M (=m x a x z)を求める。その曲げモーメントに対抗するのは、注目階の一番外側にある鉄筋で、 引張側では、曲げモーメントの半分を鉄筋のみで受け持つから、その引っ張り強度を σy とすると、Aw σy x > 0.5 m a z となり、 Aが十分な断面積を持っているかどうかを判断する。ちなみに圧縮側は、コンクリートも圧縮にある程度耐えるので考えなくてよい。 図3.1 耐震構造計算のためのビルのモデル 上記曲げモーメントの他に、せん断強度も考える必要があり、これについては横向きのせん断力 S (= m x a) に注目階の壁全部の内部にある鉄筋の総断面積 Aa と鉄筋のせん断強度 τy の積で対抗すれはよい Aa τy > m a。 このような計算では、たとえば、曲げモーメントに対抗するのは一番外側の壁内部の鉄筋のみなど、多分に安全側に仮定をしており、 実際に必要な鉄筋断面積より大きい結果、すなわち必要以上に多数の鉄筋という答えをはじき出す。 そこで、モデルをより実際の現象に近づけようと、注目階より上を1つの質点と考えないで、 各階についてそれぞれの質量と質量中心を考えると図3.2 (c)のようになる。そしてさらに要素を細かく分割して行くと有限要素法となる。 図3.2 耐震構造計算のためのビルのモデル 今回の耐震偽装事件でわかったのは、複雑な形状の建物を有限要素法で解析した時、その計算結果の検証を行うのに、解析の入力条件だけを検証し、 あとは結果をみて合否を判定するということだった。確かに入力条件をと計算結果の間に出力される数字の羅列を見ても、何ら判定の役に立つものではない。 今回の偽装では、正しい入力条件で行った計算出力の前半部分と、建屋にかかる力を4分の1にして行った計算出力の後半部分を合わせて提出したとあり、 その偽装をわかりにくくするため、通常は出力結果全ページに印刷される認定番号が消されてあったということだ。もし、これが消されていなかったら、 前半部分と後半部分の認定番号が違っていたはずだという。 私たちの身近な例で考えてみよう。たとえばある百貨店で、店員と商品の値段交渉をやっていたとする。 「ちょっと勉強してくださいよ」 「しかたないですね。では、5%引いてと、これくらいでどうでしょう」 と、最近の店員は電卓のキーを難しそうな顔をして叩き、最後に出た計算結果をやにわに客に見せるという技を使う。 私たちは、店員がキーをたたくのをじっと見るわけでもなし、その計算結果を信じてしまうことが多い。本事例の耐震偽装に比べると、 入力検証もしないで計算結果を信じているのだから、本事例より表面的な検証という意味ではさらに悪い。 しかしここで、上記店員と客のやり取りと、本事例、耐震偽装問題の大きな違いは、たとえば、店員と客が10,000円の商品の値段交渉をしていて、 店員が、割り引きましょうと言って15,000円という結果を客に見せたら、客は怒り出すだろう。 つまり、客は表示された数字を単なる数字の羅列としてではなく、その数字に、 『自分が払わなければならないお金』という意味を持たせてその大小を評価しているということである。 一方、本事例の耐震偽装問題では、表示されている印刷の結果を、審査する者が数字として見ていただけのようである。 事実、他の設計事務所の人間や、施工業者が鉄筋の少なさに気が付いている。審査側が出力結果を見たときに、その物理的な意味や、 施工のイメージを考えていたら問題の建築物が着工する前に、設計のやり直しをさせることができたかもしれない。 国土交通省では、耐震偽装ができないプログラムを認定するとして、2008年2月27日にNTTデータによる構造計算プログラムを認定した。 しかし、データや途中計算を改竄(かいざん)できない仕組みを作るよりも、入力条件の様式を決めてテキストファイルに落とし込むようにし、 審査組織でも同じプログラムを走らせることができるようにすれば済むことのように思う。 そうすれば、審査側でも少しは計算結果の物理的な意味を考えるようになるかも知れない。 昨今のコンピュータ技術の発展に伴い、様々なシミュレーションパッケージでどんどん複雑な計算ができるようになってきた。 計算で取り扱う形状が複雑になるとともに、それを単純化しておおよその見当をつける動作というものを、設計者がどんどんしなくなってきている。 これをしなくなると、設計者はどんどん実物に対する感覚を失ってしまい、 ちょっとしたミスで大きな計算間違いをしていてもそれに気づかず看過してしまう。そういうことがないよう、チャンスがあれば、 現場に出かけて自分の仕事と実物を関連づける感覚を養うことが大切である。 【知識化】
【後日談】 本記事の耐震偽装事件を受け、改正建築基準法が2006年に成立、2007年6月20日に施行された。施工前の審査が厳しくなり、 審査請求から認可がおりるまでにかかる時間が長くなり、その間工事に着工できないために住宅着工が落ち込んだ。 姉歯の耐震偽装が発覚した後、札幌市で浅沼良一二級建築士による耐震偽装、アパホテル2棟を含む田村水落設計による耐震偽装が発覚した。 建築基準法改正に伴い、耐震構造計算を行うコンピュータプログラムが多数開発に突入したが、 開発は偽装を防止するための改ざん防止機能を組み込まなければならないなどで大幅に遅れ、 2008年2月22日、ようやくNTTデータのものが国土交通大臣の認定を受けた。 参考文献
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