特定非営利活動法人失敗学会 |
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証券誤発注
失敗学会員
宮﨑 敬
【シナリオ】
【概要】 2005年12月、東京証券取引所(以下、東証)マザーズに上場されたジェイコム株式会社の株式(以下、ジェイコム株)について、 東証の参加者であるみずほ証券の担当者が、顧客から受託した売り注文を誤って価格と株式数を逆の数値で発注し、その直後に初値が決まった。 誤発注に気づいた担当者等は直ちに取消し作業を行ったが、東証のシステム上の不具合により取消すことができなかった。 そのため、みずほ証券は、自己の計算による買い注文を発注し、残った売りポジションを相殺した。 この過程において、ジェイコム株は初値が付いた後に制限値幅の下限まで下落し、その後一転して制限値幅の上限まで上昇する結果となった。 また、大量の約定が行われた結果、同社の発行済株式数を大きく上回る約定が成立し、受渡決済が実質的に不可能となった。 最終的に東証の決済を担当する日本クリアリング機構の判断により、株券の授受に代えて、金銭により決済が行われた。 【発生日時】 2005年12月8日 【発生場所】 東京証券取引所、およびそのオンラインサービス 【登場団体と背景情報】 東京証券取引所:1878年(明治11年)に創立された「東京株式取引所」を前身とし、1949年に設立された日本を代表する証券取引所。 1982年に株式売買の一部にシステムを導入し、その後システム化を拡大し、1999年には人手による立会場が廃止された。 2001年に株式会社組織となり、さらに2007年には持ち株会社「株式会社東京証券取引所グループ」の子会社となった。 マザーズは、次世代を担う高い成長可能性を有した企業に、直接金融による早期の資金調達の途を確保することを目的として、 東証が1999年11月に創設した市場。マザーズ(Mothers)という名称は、"Market of the high-growth and emerging stocks"の頭文字から取っている。 ジェイコム:1993年に設立された大阪市中央区に本社をおく人材派遣会社。 当初はパッケージ旅行の企画事業を目的とし、その後マルチメディアサービスを開始し、さらに総合人材サービス事業へと発展。 2005年に東証マザーズ市場へ上場(本件)し、2007年には東証第1部指定となった。 みずほ証券:みずほフィナンシャルグループ傘下のみずほコーポレート銀行の子会社(現在は農林中金も出資)で、主に機関投資家などと取引する証券会社。 本件直前中間期である2005年9月末の株主資本は3千8百億円強。 日本証券クリアリング機構:金融商品取引法に基づく「金融商品取引清算機関」の免許を受け、 東証を含めた全国6証券取引所市場における有価証券の売買に係る清算業務を行っている機関。 東証とともに「株式会社東京証券取引所グループ」の子会社。 【経過】 誤発注が行われ、その取消しができないことが確定するまでの経緯を本節に、その状況を踏まえた一連の対処を次節に記載する。 また、事件発生当日の各当事者の動きを表1に時系列で整理した。なお、証券取引にかかる用語(※を付したもの)については「用語解説」を参照されたい。 09:00 東証マザーズにジェイコム株が上場。公募売り出し価格※は61万円で、公開株式数は3千株。取引開始から買い優勢で始まった。 売り注文は少なく、順調に買い気配※を切り上げる展開だった。みずほ証券は、顧客から「61万円以上の値段で1株売りたい」との注文を受ける
【対処】 12月8日(木) 09:35 みずほ証券は買い注文を出した投資家に12月13日までに株券を渡す必要に迫られ、自己の勘定で大量の買いを開始。その後ジェイコム株は大幅に上昇。 誤って発注された「61万株」はジェイコム社の発行済み株式総数(1万4千5百株)の42倍に当たる。 みずほ証券は同日時点で270億円の損失が発生したと発表するが、翌日以降の取引で買い戻しを完了する必要があることから、 損失はさらにふくらむ可能性がある状況となった。東証株式市場はほぼ全面安となり、日経平均株価は前日比301円30銭安の1万5千183円36銭で取引を終えた。 これは同年3番目の下げ幅であった。また、誤発注による損失発生の懸念から証券会社の株価が軒並み下落したほか、銀行株などにも下げが波及した。 みずほ証券はこの日の記者会見で「財務や資金繰りに問題はない」と発言、 また同証券の親会社であるみずほフィナンシャルグループは「全面的に支援していく」とコメントを発表した。 また、日銀は「現状では懸念していないが、資金決済に今後、悪影響を及ぼさないかを注視していく」(金融機構局)ことを明らかにするとともに、 金融庁は同日、みずほ証券に報告を求めた。 12月9日(金) 市場ではみずほ証券による大量の買い戻し思惑から気配値が一段と上昇するとの見方が広がり、 東証は株価形成が不安定になるのを懸念しジェイコム株の当日売買を停止。 同日夜、東証は、システムを担当する富士通から「東証のシステムに不具合があった可能性がある」と口頭で報告を受ける。 12月10日(土) 富士通から東証へ、システムに関する調査結果を書面で中間報告。同日深夜東証はシステム不具合の存在を最終確認し、東証天野常務が陳謝。 12月11日(日) 東証は、誤発注の取消しができなかった原因を当初みずほ証券の処理に問題があったとした点を謝罪するとともに、 当面、新規上場銘柄にかかる監理強化を行う旨の社長名でのコメントを公表。 東証、日本クリアリング機構、みずほ証券の3者は、ジェイコム株の決済日である13日に向け、 決済の特例を認める「非常時条項※」に基づく現金決済の具体的な仕組みと条件の協議に入る。 12月13日(火) 総発行済株式総数を大幅に上回る取引が成立してしまったため、通常の決済(株券と現金の交換)はもはや不可能となった。 日本証券クリアリング機構の規定に基づき「決済条件の改定」が行われることとなり、 株券の授受に代えて一定額の金銭(特別決済値段※である912,000円に授受する株数を乗じた額)により、約定日から起算して4営業日目であるこの日に決済された。 この時点でみずほ証券の損失は最終的に400億円に達することが判明。 処分 東証は誤発注問題の責任をとって、鶴島社長、吉野専務および天野常務が辞任するとともに、他の役員6名について減俸処分とした。 鶴島社長の辞任に伴い、西室会長が当面の間、社長を兼務することとした。 また、東証は内規に従い、みずほ証券に対し過怠金1,000万円を賦課した。これは、「証券業に係る電子情報処理組織の管理が十分でない」こと、 および「取引の信義則違反」があったため、とされている。 みずほ証券に対する金融庁の業務改善命令(後記「対策」参照)を受け、 みずほ証券は持ち株会社であるみずほフィナンシャルグループおよび親会社であるみずほコーポレート銀行とともに、本件にかかる「責任の明確化」として、 トップおよび担当役員の報酬カットを決定し公表した。 損害賠償請求および訴訟 みずほ証券は、「誤発注後直ちにそれに気づき複数回数にわたって取消し注文を適切に行ったにもかかわらず、 東証のシステムの不具合により取消処理が行われなかった等により最終的に400億円強の売却損が発生した」として、 翌2006年8月に東証を相手取り、損害賠償請求を行った。これに対し東証は支払拒否方針の回答を行ったため、 みずほ証券は同年10月に損害賠償請求訴訟を提起(本稿執筆段階では東京地裁にて口頭弁論中)。 【用語解説】 公募売り出し価格: 株式を公募又は売り出しするときに決定された、投資家が買い入れるための価格。 既に発行された株式の時価、流動性、事業内容、経営成績、財政状態などを勘案し、さらに投資家の需要を調査するなどして、 主幹事証券が発行体と協議のうえ決定する。 買い気配: 買い注文が多く、それに見合う売り注文が少ないときに値段がつかない状況のこと。 ストップ安・ストップ高: 株価が値幅制限※いっぱいまで上昇することを「ストップ高」、下落することを「ストップ安」という。 制限値幅: 証券取引所で株価の変動幅を制限すること。 市場価格が大きく変動すると、投資家に不測の損害を与えるおそれがあるため、株価の変動幅を上下一定範囲に制限している。 非常時条項: 日本証券クリアリング機構の業務に関する基本規則である「業務方法書」第82条には、 天変地変、経済事情の激変、品不足その他やむをえない理由によるときは、決済条件を変えることができると定められている。 特別決済値段: 日本証券クリアリング機構が、本件にかかる現金決済のために 「誤発注に始まる一連の経過がなかったと想定した場合の価格を基礎として算定」した価格。 【原因】 誤った内容の異常な数値の取引が発生し、さらにそれを取消すことができなかったために、市場が大きく混乱するに至った原因を以下に整理する(図1参照)。 図1 みずほ証券誤発注事件に見る問題点 証券会社による誤発注(取引株数と株価の数値の取り違え) 本件の直接の原因は、証券会社が誤った数値の取引を東証で約定したことにある。 証券会社が発注に使用しているシステムでは、東証に注文内容を発信するボタンを押すとチェック機能が働き、 入力値が一定の水準を上回ると「異常値ですが執行しますか?」などの警告が出るので、「Yes」「No」の選択により実行か中止かを判断するしかけとなっている。 異常値の水準は自由に設定が可能であり、また、法人顧客の場合は大口取引が多いため警告が頻繁に出ることから、 「Yes」で対応することが半ば習慣化していた可能性がある。 もしもこのケースが「ありえない数字」であったならば、どこかの時点で異常を発見できた可能性もある。 しかし、実際には取引単位が7種類におよび、またさまざまな規模の取引が頻繁に行われているため、異常として認識する感覚が劣化していたと考えられる。 また、証券会社のトレーダーは、いかに顧客の注文を多くさばくかという点に関心が集中しているため、安全や秩序が後回しになる傾向があったものと考えられる。 したがって本来は事故から身を守る警告メッセージも、取引を妨げる煩わしいものと化し、「無視」されたのである。 東証システムの不具合による、「約定取消し」の不成立 電話で受け付けた大量の取引をシステム端末の操作を通じて発注する業務においては、言い間違い、聞き間違い、操作ミスなどのエラーが発生する危険を常に伴う。 問題は、これらのエラーをいかに防ぐか、さらに一旦発生した後はいかに素早く発見して対処するか、である。 本件においても、誤発注当事者であるみずほ証券自身が2分後にはその誤りに気づき、すぐに取消しの行動に移ったにもかかわらず、 結果として取消しができなかったことが市場全体を混乱させるに至った原因となっている。詳細は以下のとおりである(図2参照)。 図2 ジェイコム株の株価の動きと東証システムの処理状況 上場初日の株価は初値が値幅制限の基準値となる。ジェイコム株の場合、初値が67万2千円であることから、値幅制限は77万2千円から57万2千となった。 みずほ証券が「1円」という下限価格以下の株価で発注を出した結果、東証のシステムは下限価格である57万2千円に読み替えて処理を行う(みなし処理)ように設計されている。 そして、この下限価格に対して買い注文が殺到したため、ジェイコム株は約定処理が次々と連続して行われる「連続対等中」という状態になった。 実は、この「連続対等中」に関して、システム上の決定的な不具合が潜在していた。 初値決定後のみなし処理への変更・取消しが連続対等中に行われた場合、本来は取消せる状態にある取引に関しても、 システムが「全株約定済み」と誤認するために取消しができない状態となっていたのである。 この不具合は本件の5年前に行われたシステム改定の際に生じていたが、その後発見されることなく、本件により初めて顕在化したのである。 市場管理体制および情報管理体制が不十分 本件において、異常な数値の取引の発注責任が証券会社にあることは明白であるが、 一方、市場を管理する東証の立場からは、このような異常取引に対するガードをかけることが求められる。 しかし、本件では東証のシステムは発行済み株式数を大幅に上回る異常な売り注文をそのまま受け付けた。 東証システム部としては「銘柄ごとに受付株数の上限を決めると、システムに負荷がかかり、反応速度が遅くなる」との理由から、 この時点では異常値に対するシステム面でのガードはかかっていなかったのである。 さらに、誤発注の2分後からは東証とみずほ証券の間で、異常事態が起きていることを察知した上でのやりとりが行われた事実が報じられているが、 結果として問題解決には結びついていない。 また、東証はこの日、大量の「カラ売り」と大量の買戻しが行われる異常な状況下でもジェイコム株の売買を止めなかった。 証券業協会が誤発注再発防止のために設置したワーキンググループ(後記「対策」参照)の調査結果によれば、外国の証券取引所の中には、 常に市場の状況をウォッチする立場の担当者を設置し、 あらかじめ決められた基準をオーバーする異常値が発見された場合には一旦取引を停止する運営をしている例が報告されている。 こうした観点からも、本件における東証の機能は極めて無防備だったといわざるをえない。 また、原因を作った当事者であるみずほ証券は、9時27分の誤発注の直後に誤りに気づき、 取消し不能な状況の中で9時35分からは反対売買(買い注文)を繰り返すという状況の中で、ついに取引終了後までこの事実関係を開示しなかった。 これらの事実が示すことは、大きな数量での誤発注という異常事態への対処および市場の混乱という危機に対する手立てが極めて不十分な状況であったといえる。 【対策】 事故発生後に各当事者から公表された、再発防止策にかかる方針およびその取り組み状況は以下のとおり。 金融庁 12月14日 金融庁は、東証に対して、「今後、本件のような事案以外のシステム障害も含め、可能な限り想定される事案について、 その発生が防止されることとなるような改善策を講じること」および市場監理体制の見直し等について業務改善命令を出した。 日本証券業協会 みずほ証券が加盟する日本証券業協会(以下、日証協)は、本件を含めた誤発注事故の発生状況を踏まえ、 事故直後の2005年12月19日に株式の誤発注防止および誤発注後の対応などを研究するワーキンググループを立ち上げた。 このワーキンググループが2006年11月14日に発表した「誤発注の再発防止及び発生時における対応について」では、 「約定取消しのあり方」について、「一旦約定が成立してしまった取引については、市場の公正性及び連続性確保の観点から、原則として取消されるべきではないものの、 安全性の観点から重大な影響を及ぼすと判断される場合に限り、最終的な手段として、 一旦成立した約定の取消しその他必要な措置を講じることができる権限を証券取引所が持つべきである」との結論に達している。 また、ワーキンググループでは、協会員(証券会社)における誤発注の未然防止のための内部管理体制の整備について、 2006年3月に「中間整理」として取りまとめ、同年4月に理事会決議として制定した。主な内容は、以下のとおり。 「協会員における内部管理体制の整備について」(実施日:2006年10月1日)
みずほ証券 みずほ証券は、本件の原因究明および今後の再発防止を目的として、弁護士および大学教授を含む外部有識者を中心とした特別委員会を12月14日に設置し、 今後、社長に対する答申、提言を行うと発表。また、12月22日に金融庁から出された業務改善命令に対する報告書を翌年1月20日に提出し、以下の改善計画を明らかにした。
東証 前述の日証協のワーキンググループの中で指摘された、誤発注発生時の取引取消ルールの整備を進めるために、 「取引所取引に係る約定取消しルールに関する検討ワーキンググループ」が2006年11月28日に東証に設置された。 そこでの検討結果は翌2007年4月24日に公表され、さらに同年9月30日には、東証業務規定の改正というかたちで約定取消しルールが制定された。 12月14日に金融庁から出された業務改善命令に対する回答として、2006年1月31日に提出された改善報告書の概要は以下のとおり。
また、本件発生から1ヵ月も経たない2006年1月5日には、日興シティグループ証券の従業員が個人の資産運用目的で日本製紙グループ本社の買い注文の際、 「2株」とすべきところ、誤って「2千株」と申し込み、同証券会社がそのまま執行した。約定直後に日本製紙グループの株価は急騰し、値幅制限いっぱいまで買われた。 このケースでは、同証券会社の法規監理部の書類審査を経て、株式売買担当者が注文を執行する仕組みとなっていたが、法規監理部の審査担当者が株数の誤りを見落とし、 さらに株式売買担当者は不審に思い株数が正しいかを当該従業員に電話で問い合わせたが、買付金額については触れなかったため、誤りとして認識されずに執行された。 同日、東証の西室社長は、証券会社による誤発注が連続した事態を受け、「売買単位を見直していきたい」、 「(全銘柄の)単位の統一は無理だが、現在のように何でもありにすべきではない」との考えを明らかにした。 その後、東証が中心となり、全国の証券取引所が足並みを揃えて、売買単位を「100株」と「1000株」の2種類に統一するための行動計画を2007年11月に発表した。 現在東証では、売買単位を「1株」から「3000株」までの7種類を認めている。 その結果銘柄間での株価比較を困難にするなど取引の利便性を損ねているとともに、株価と株数の取り違えなどの誤発注を誘発しているとの認識に立ち、 集約化に向けた具体的な対策に着手したもの。ただしこの集約化は、多くの市場関係者に影響を及ぼすことから、 2008年4月から2012年4月の間に3段階に分けて対応することとし、しかもあくまで上場会社に対する「協力要請」という形をとっている。 富士通 誤発注の取消しができない仕様となっていた東証システムは富士通が製作したものであるが、同社が本件に関して公表しているコメントは、 「顧客との間での仕事の役割分担と責任分担を明確化することが必要」というものに留まっている。 今回の直接の問題点である「初値決定後のみなし処理への変更・取消しが連続対等中に行われた場合」の仕様に関しては、 東証と富士通の間で明確な文書での確認はされていなかったと報じられている。システム開発会社は自らの責任範囲を極力保守的に捕らえる傾向があるので、 本来であればむしろ自社の保身を優先させるところであろう。 しかし、東証のような公的機関のシステム、社会インフラレベルの大型案件を他社(日立)との競争に打ち勝って手に入れた経緯、立場からは多くを語れないものと推察する。 【考察】 問題の本質 本件はそのタイトルが示すように「発注を間違えた」という事件である。 筆者は当初、ヒューマンエラーの観点から、システム画面のレイアウト、警告メッセージの扱い方等に関心を持った。 しかし、調べる過程で、本件の本質的な問題点はもっと違うところにあることを痛感した。 誤入力自体は単純なミスである。 また、取引現場の実態として、警告メッセージの存在意義がほとんどなくなり、 「無視」されたことは「原因」の項で述べたとおりである(証券関係のブログには「誤発注の取消しを装ってカラ売りをするトレーダーがいる」という書き込みすら見られる)。 また、本件直後には、「なぜ証券会社や取引所のシステムは、異常値を受け付けないようにガードがかかってないのか?」というコメントも見受けられた。 これについては、「制限を設けないでほしいと言ってきたのは証券会社である。特に機関投資家を相手に大口取引するホールセールの会社から、 『上限を画一的に決められると困る』という指摘を受けていた」との証言がある(日経コンピューター、2006年2月20日記事での天野前東証CIOのインタビュー)。 一方、誤発注取消しができない原因となった東証システムの仕様ミス発生の根底には、 東証という超大口発注者とシステムベンダーの関係という問題も存在していると考えられる。 これは、異例処理についてはベテラン担当者と開発担当者の口頭のやりとりで進めたために数々の仕様ミスを生んだ社会保険庁の例にもつながる問題である。 本来、システム開発にはユーザー(発注者)と製造者(システム開発会社)との明確な責任関係が不可欠であるが、そのユーザーは製造者にとってはまさに「お客さま」であり、 規模や存在が大きくなればなるほど特別な関係が生じやすくなると考えられる。 そして、この問題は、本来行うべきシステムテストが十分に実行されないということにもつながっていくのである。 これにより、ユーザー側は「システムのことはすべて業者任せ」という体質に陥り、自らの組織の中にはシステムの全体像について正しく掌握できる管理者がいなくなる。 その結果、何か不具合が起きたときの状況把握、原因究明も「業者任せ」となり、このことが対外的な公表を遅らせ、さらにその内容にブレや迷走が生じるリスクにつながる。 上記の一連の事実から、あらためて「人間は必ず間違える」ということを前提に全ての問題に取り組む必要があると考える。 システムに関しては、操作の誤りにとどまらず、システム自体も人間が作るから間違っていることもある、ということである。 もちろん、システムによるチェック、取引のルール・制度等の「しかけ」を最大限に活用して事故を防ぐ努力は有効かつ必要である。 また、「取引」である以上、それに参加する当事者はさまざまなリスクを背負っており、自己責任でそれらをコントロールすべきことは当然である。 一方、取引所は社会的なインフラであり、経済活動を支える公的な機関として、危機管理の責任を負っている。その使命からは、 考えられる異常事態を可能な限り事前に洗い出して対策を講じることが必要である。 しかし、それでも「完全」は望めないことを前提にすれば、後は実際の場面において、「何かおかしなこと」が起きていないかを常にウオッチし、 もし不審な光景を見たら取引を一旦止める権限を持った人を現場(市場)に置くことが必要となる。 さらに言えば、その後も東証のシステム障害が度々発生しているが、取引所を安定的に運営するためには、 「必ず間違う」人間が作ったシステムへ全面的に依存することは極めて危険であると言わざるをえない。 前述の日証協ワーキンググループの報告によれば、ニューヨーク証券取引所では、立会人が取引所で株式を売買する立会場を残している。 システム経由で扱う取引株数を1件あたり1,100株未満と制限しているため、立会場での取引金額は全体の60%近くを占めている(件数ベースでは5%)。 立会場を残している結果、注文をさばくためのコストは東証に比べ高くなっているが、システム一辺倒によるリスクは回避されている。 人間のエラーを検知し補完すべきシステムにもまたエラーがあり、それを補完する役目は結局人間となるのである。言い換えれば、 今や社会はデジタル化に邁進しているが、アナログを完全に放棄することは極めて危険なのである。 対策の評価 以上の考察を踏まえて、これまで公表されている対策を評価してみよう。 まず、日証協、証券会社および東証が採用した、「発注の際の上限数量の設定」、「買付代金または売付有価証券の事前預託」および「取引監視機能の導入」 は本件のような総発行済み株数の40倍を超えるような異常取引を防ぐためには効果が期待できると考える。 実際、これらの一連の対策が導入された2006年以降は、銘柄相違などはあるものの、少なくとも異常数量を伴う誤発注事件は起きていない(表2参照)。 また、取引単位の種類を減らす努力も、数値誤認による事故を防止するとともに、異常値検出を容易にする効果が期待できる。 一方、東証のような社会インフラとしてのシステムの仕様ミス、トラブルを根本的に改善する問題については深刻である。 その後も長時間にわたり取引が停止するほどのシステム障害が絶えず、東証は対応を迫られている。 関係者らの証言によれば、それまでに構築された東証のシステムは、 スピードや安全よりもきめ細かさを優先させた結果、非常に複雑で肥大化したものとなっていた(前出、日経コンピューター、鈴木CIOインタビュー)。 社会インフラとしての取引所も、一方では参加者である証券会社に支えられる株式会社組織である。 そのような立場にある者として安全性と利便性をどのように扱っていくかのポリシーが今後、ますます問われて行くのである。
【知識化】
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