特定非営利活動法人失敗学会 |
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志賀原発2号機運転差止判決
サイドローズエルピー、ゼネラルパートナー
飯野謙次
【シナリオ】
【概要】 1999年に着工した志賀(しか)原子力発電所(以下、志賀原発)2号機は、同年、 地域住民ら135名による建設差止請求をする訴訟(後に運転差止請求に変更)により、 2006年3月24日、石川県金沢地方裁判所の第一審判決で運転差止を言い渡された。 被告の北陸電力は控訴し、2009年3月18日の控訴審判決では結果が逆転し、運転差し止めが取り消された。 住民側は同月31日、判決を不服として上告を行った。 志賀原発2号機は、2006年3月に経済産業省から使用前検査合格証を交付されていた。 すなわち、国が示した耐震基準に合格していたが、上記第一審判決は、行政の基準では不十分と司法が判断していたことになる。 内閣府原子力安全委員会は、1995年の兵庫県南部地震を契機に着手していた耐震指針[3]の見直しについて、 2006年9月19日付で改訂、原子力事業者に既存施設等の耐震安全性を評価、報告するよう指示した。 これを受けて志賀原発2号機はこの新指針に基づく耐震安全性を確保していることを2008年3月に中間報告した。 なお、2号機では、2006年11月より2008年3月にかけて、耐震安全性を向上させる工事を1,246箇所実施していた。 【発生日時】 2006年3月24日 【発生場所】 石川県金沢地方裁判所、石川県金沢市 判決対象の志賀原発2号機は、石川県羽咋郡(はくいぐん)志賀町(しかまち)、赤住(あかすみ)地区にある。 【原因】 国の耐震基準を満たしていたため、安全性は十分と確信していたところ、 第一審がちょうど結審されようとしていた2005年8月の宮城県沖地震において、 東北電力女川原発で耐震基準の想定を超えた揺れが観測された。 裁判官は旧基準では十分な耐震安全性が得られるとの確信が持てず、運転差止の判決を言い渡した。 【基礎知識】 世界で稼働中(点検などの理由で停止中のものも含めて)の原子力発電所は、日本原子力産業協会の資料によると、 2006年12月31日現在、アメリカ合衆国103基、日本69基をはじめとして、全部で511基ある。 ウィキペディアによると、2002年の世界総発電量およそ16兆kWh の16.2%が原子力発電によるもの。 2004年の日本ではもう少し原子力への依存度は高く、約30%であった。高速増殖炉の“もんじゅ”、新型転換炉の“ふげん”など、少数のものを除いて、 原子力発電所で水を蒸気に沸騰させている原子炉のほとんどが軽水炉である (私たちになじみの深い水H2Oは軽水原子2個と酸素原子1個が結合した軽水。 地球上の水素原子の99.985%は軽水素)。軽水炉には大きく分けて、『失敗年鑑2003、保全データねつ造事件』で取り上げた沸騰水型と、 『失敗年鑑2004、美浜原子力発電所熱水噴出』で紹介した加圧水型の2つがある。 本記事事例で取り上げる志賀原子力発電所2号機は、沸騰水型ではあるが、改良型沸騰水型軽水炉(ABWR: Advanced Boiling Water Reactor)と呼ばれる型式である。 従来型に比べ、改良点が多々あるが、わかりやすく、かつ重要なのは制御棒駆動方式(FMCRD: Fine Motion Control Rod Drive)と原子炉内蔵型再循環ポンプ(RIP: Reactor Internal Pump)の2つである。 FMCRDは、従来は水圧式で6インチ毎にしか位置を設定できなかった制御棒駆動方式(CRD)に比し、電動モータとリードねじで制御棒位置を細かく設定できるものである。 またRIPは、今まで炉内を水が循環するのを炉外の大型再循環ポンプ2台と、そこまで循環水を導きもとに戻す大型パイプで行っていたのを、ポンプを小型化、 台数を増やして原子炉圧力容器に直接取り付け、原子炉外部に循環するパイプをなくしているものである。 本記事の対象となった志賀原発2号機では、原子炉内蔵型再循環ポンプが10台ある。 これにより、『失敗年鑑2003、保全データねつ造事件』の囲み記事に書いた再循環パイプのギロチン破断はその事故そのものを想定しなくても良くなった。 図2に比較のため、通常の沸騰水型軽水炉の再循環系配管と制御棒駆動機構の概要を示し、図3に改良型沸騰水型軽水炉の構造概略を示す。
図2 沸騰水型軽水炉の再循環系配管と制御棒駆動機構の概要 図3 改良型良型沸騰水型軽水炉の概要[11] ちなみに図3に示すカプセル型の原子炉圧力容器を内部に持つ建屋(原子炉格納容器)が鉄筋コンクリート製であることは改良型沸騰水型軽水炉の特徴ではなく、 改良前の最新型沸騰水型軽水炉 BWR6 でも、同様な鉄筋コンクリート製原子炉格納容器(Mark III)に格納されているものがある。 たとえば、筆者が20数年前に立ち上げ試験に見習い技師として参加し、多くを学んだスイスのライブシュタッド (Leibstadt) BWR6発電所は、 その原子炉格納容器が鉄筋コンクリート製の Mark III だった。図4に本記事対象の志賀原発2号機の原子炉建屋の構造を示す。 表1は、その2号機の主な諸元である。 図4 志賀原発2号機の原子炉建屋構造(北陸電力ホームページの図を元に作成)
【経過】
2006年3月24日の第一審判決で裁判長は以下のように述べたという。 『主文、志賀原発2号機を運転してはならない』 このとき、原告は歓声を上げ、被告は呆然としたと報道されている。まるでドラマのワンシーンが目の前に浮かんでくるようだ。 続けて説明された理由では、原告の主張のうち、いくつかを退けるものもあったが、 上記主文にいたった理由の概要は以下の4点に集約される。
一方、原子力安全委員会は、耐震指針を1978年に策定、1981年、2001年に改訂していたが、2006年9月19日の改訂とともに、 原子力事業者に既存施設等の耐震安全性の評価とその結果を報告するよう指示した。 これを受けて北陸電力では、志賀原発2号機の耐震安全性を評価し、中間報告を2008年3月に国に提出している。 この過程で、その耐震安全性は現状で十分あると評価したものの、北陸電力はさらに裕度を持たせるため、 同原発に2006年11月から2008年3月にかけて1,246ヶ所の耐震裕度工事を実施した。 【背景】 図5に能登半島全景と、志賀原発のある赤住地区、邑知潟断層帯の位置関係を示す。 赤住地区の北約7kmに位置する富来(とぎ)地区は、本節、背景の説明に登場する。 現在の羽咋郡志賀町は2005年9月1日の合併まで、志賀町と富来町に分かれており、図5中、富来地区と示したところは、 富来町福浦地区と呼ばれていた。 図5 能登半島、志賀原発と邑知潟断層帯の位置関係 志賀原発建設について、北陸電力・石川県・地元推進派と地元反対派の軋轢は、実に1967年、北陸電力が地元に原発建設を申し入れ、 県議会の総務委員会が『県は公害の補償について、その責任を負うことで推進』と決議したところに始まる。 その後の推移は、参考文献2、表3.4 「志賀原発建設計画の推移」に詳しい。 本記事で取り上げなかった1号機も含めてそこからの抜粋と、1994年以降の経緯を追加して、図6に示す。 アメリカから起こった原子力発電産業では、1960から70年代、絶対に安全という謳い文句とともに、 花形産業として次々に新しい発電所が建設されていった。日本でもその影響を受けて、国を挙げて原子力発電所建設を目指した。 この勢いに最初に水を差したのは、1979年のスリーマイルアイランド発電所の炉心溶融、放射性物質放出事故である。 そして1986年、史上最悪の原子力発電所事故がソビエト連邦のチェルノブイリで起こった。 また、大きな事故のなかった日本でも1995年、もんじゅでのナトリウム漏えい火災事故があり、 さらに1999年のJCO臨界事故では作業員3人のうち、2人が命を落とした。 これら報道は、原子力発電所が建設済み、あるいはこれから建設されようとしている地域の住民に大きな不安を与えた。 図6には、志賀原発建設のタイムラインにこれら事故・事件も併せて表示した。 図6 志賀原発建設計画の推移とその間内外で発生した事故・事件 【対策】
図7 新たに主蒸気隔離弁に取り付けられた防振器(写真:北陸電力) 【考察】 本事例では、第一審で旧基準が不十分として原発運転差止が言い渡されたが、静岡県、浜岡原発訴訟(2003年7月訴訟、 2007年10月26日判決)では、「大崎の方法」は適切と運転差止の請求が棄却されている。 つまり、ある基準が、耐震性解析に不適と一つの裁判で判定されたからと言って、 その判定が日本全国に散らばる原子力発電所に適用されるというわけではない。 本事例では地震を予測することが問題の中心にあり、人間がこれまで培ってきた予測の技術をもってしてもそれが100%当たることはなく、今後もない。 ただし、地震発生時の観測の技術は着実に進歩しており、予測のための技術の発展とともに、より正確な予測ができるようになってきた。 地震発生のメカニズムもずいぶん解明が進んでいる[7]。近い将来には、地下に蓄積された地殻のストレスを解放してやることで、 巨大地震を未然に防ぐ技術も開発されるかもしれない。 1952年から2001年の間に、医療現場、研究用実験なども含め、重大な放射線被ばくをした人数は世界で856名、 内死亡者132名である[6]。このうち日本では、1999年のJCO臨界事故で被ばくした3名の他、原子力発電関係以外で長崎1名(1998年)、 千葉3名(2000年)の計6名で、死亡者は、JCO臨界事故での被ばく者3名のうちの2名である。 これに対して交通事故で命を落とした人は、1970年の 16,765名をピークに、最近では1992年に11,451名のピークがあり、 その後着実に減少して2007年は、5,743名であった。 ただし、警察庁による交通事故による死者の定義は事故発生から24時間以内に死亡した人である。参考文献8を見るとよくわかるが、 負傷者数、事故件数はともに増えており、死者数の減少は、医療技術の進歩、 エアーバッグなど自動車に搭載された“命を助けるため”の装置によるところが大きいようである。 このように、交通事故によって命を落とす人の数は原子力発電関係での被ばく事故による死者をはるかに上回っているのに、 私たちの社会から自動車をなくそうと言い出す人はほとんどいない。 これは、自分の社会生活に提供される便利さとの兼ね合いで、ある程度の危険は伴うもののそれがないと困るから自動車をなくそうとは考えないのである。 これに対して原子力発電による社会への貢献は電力供給という見えにくい便利さのため、その存在の必要性を意識しにくい。 また、原子力以外のエネルギー、新エネルギーの開発で原子力にとって代えようとの意見もある。 しかし、事実、1963年福岡県で起きた三井三池炭鉱爆発事故での死者・行方不明者458人をはじめ、 石炭採掘の歴史では死者は何千人にもなっている[10]。火力発電は確実に二酸化炭素を大気中に放出しており、今、 地球温暖化への影響が懸念されている。 風力や太陽熱発電もある程度実用化されているが、同じ電力量を生み出すためのコストが高く、企業や一般消費者にとっては、 より高い電気代を支払っても他の発電方式を望むか、今の電気代レベルを維持して原子力発電を継続するかということである。 報道を通してのみ原子力発電所近隣の住民対応を視聴する人は、その地域住民たちが全員、 建設に反対しているかのように錯覚しがちだが、現実はそうではない。 たとえば“地元住民による訴訟”と聞くと地元住民が全員原告のように思えるが、よく聞くと、 『地元住民○○名が、』と全員ではないことがわかる。原子力に限ったことではないが、発電所建設に伴い、 用地買収、雇用の創出、地場産業の活性化など、地域にとっての利点も多い。 本事例を含む志賀原発でも地元住民が賛成派、反対派に分かれて反目していた[2]。 “原子力発電”というと条件反射のように反対を唱えるのではなく、きちんと自分で評価・判断をし、 その上で反対をするなら反対、賛成ならば賛成と意見を唱えるようにしたい。 【知識化】 基準、規格、指針などは、制定した時に、制定した人たちのその時の最良の知識に基づいている。 このため、制定前にはわかっていなかった事柄が、制定後に新たな知見として表れてきて、 そのために基準を見直す必要がでてくることがある。たとえそれが国の機関によって制定されたものであってもである。。 【よもやま話】 地震というと、震度という尺度はなじみがあるが、マグニチュード、ガル、 さらにはモーメントマグニチュード[4] など出てきて一般にはわかりにくい。 震度というのは、各地表地点での揺れ具合、すなわち私たちが直接感じる地震の大きさである。 マグニチュードは、震源でのエネルギーの尺度である。震源は深くて遠ければ被害は少ないし、 浅くて近ければ被害は大きい。地震が発生したとき、震源のすぐ上では直下型地震というわけである。 ちなみにマグニチュードとエネルギーの関係は次式による。 ここで、Eがエネルギー、Mがマグニチュードである。よって、マグニチュードが2増えると、エネルギーは 103倍、すなわち1,000倍になる。 ただし、これは震源のエネルギー値であって、構造物にかかる力が1,000倍ということではない。 震源のエネルギー値を想定した上で、構造物にかかる加速度や力を予測するには、構造物の質量分布、構造物から震源地までの距離、震源の深さ、 途中の地盤構造などを加味してシミュレーション等、コンピュータに頼った数値解析を行うのが一般的である。 地震による揺れは、曖昧ながらもわかりやすい震度の他、振幅(振れ幅)や加速度のガル( [9]参照)で評価する。 参考文献
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