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シンドラー、エレベータ事故
東京大学農学部
本記事は、2006年12月11日、畑村洋太郎失敗学会会長の第5回失敗学会年次大会講演
『エレベータ事故に学ぶ』を元に構成しました。
中村拓也
【シナリオ】
【概要】 2006年6月3日、東京都港区共同住宅12階のエレベータにおいて、 男子高校生が自転車に乗ったまま後ろ向きにエレベータから降りようとしたところ扉が開いたまま上昇し、 男子は内部の床部分と12階天井の間に挟まれ窒息死した。 このエレベータの製造社製のエレベータでは以前から度々トラブルが起こっていたものの多くの欠陥が放置されていた。 【発生日時・場所】 2006年6月3日、午後7時20分ごろ、東京都港区共同住宅「シティハイツ竹芝」エレベータ12階 【経過】 2006年6月3日午後7時20分頃、東京都港区共同住宅「シティハイツ竹芝」12階のエレベータにおいて、 男子高校生がエレベータの床部分とエレベータ入り口の天井に挟まれ死亡するという事故が起きた。 死亡した男子高校生は同マンションの13階に住む女性と一緒に1階からエレベータに乗ったが、 この時自転車を引いて前向きに乗り込んでいた。 エレベータが12階に停止したので男子高校生が自転車にまたがって後ろ向きで降りようとしたところ、 エレベータが扉を開いた状態のまま突然急上昇したため、男子高校生はエレベータのかごの床部分とエレベータ入り口の外枠天井部分との間に挟まれた。 体を折り曲げて頭と足をエレベータ内に残し、背中を外に出した状態であった。 同乗していた女性がすぐにエレベータ内の非常ボタンを押して同マンションの防災センターに事故を通報、 防災センターの職員が119番通報して男子高校生は約40分後に救急隊員により救助されたが、全身打撲と頭部骨折で間もなく死亡した。 その後の司法解剖の結果、死因は胸や腹部を強く圧迫したことによる窒息死と判明した。 【背景情報】 製造元 シンドラーエレベータ社(以下シンドラー社)はスイスに本拠を置くシンドラーホールディングスの日本法人であり、 エレベータやエスカレータの製造・販売・保守・管理を行っている。 グループ全体では米オーチス社に次ぐ世界二位の昇降機メーカで、 1985年に日本エレベータ工業の株式を30%取得してグループ化することで日本市場に進出し1991年に現社名へ変更した。 しかし日本国内に本格参入を果たしたものの三菱電機、日立製作所、東芝エレベータなどの大手の牙城を崩せず、 1998年には官公庁に狙いをシフトさせ、低価格を売りに主に公共事業における入札で受注を重ねてきた。 事故の起きたマンションは当初シンドラー社が保守点検も担っていたが、 港区が指名競争入札を導入した結果2005年度からは毎年異なる非メーカ系の保守会社が請け負っていた。 今回の事故をきっかけに表面化したシンドラー社製エレベータのトラブルは全国で100件を超え、 ニューヨークや香港など海外でもこれまでに3件の死亡事故が報告されている 保守 機械の常識として「機械を売るよりその後のメンテナンスの方が儲かる」というのがある。 昔はメーカが自分で持っている保守業者を使わせることで、最も利益を上げることが出来た。 しかし競争相手として別の非メーカ系保守業者が参入して来ると、当然メーカとしては大事な儲けを奪われたくない。 そこでメーカ側は保守に必要な情報を出さず、保守をさせないことで自らの利益を確保しようとしたのである。 当然これは公正取引委員会が優越的地位の濫用に触れるとして注意していたが(2002年:三菱電機ビルテクノサービスに対して)、 エレベータ業界は改善していなかった。 非メーカ系保守業者からは、自分達が保守をやろうとしてもシンドラー社は必要となるデータを一つも渡さなかった、 だから危ないと言っていても直しようがなかった、という発言も出ている。 規制の緩和によってこれから競争はますます増えていくだろうが、その時に一番大事なのはまず社会の安全だとの認識を徹底し、 そのためには何をきちんと守らなければいけないかをはっきりとさせなければならない。 エレベータ 事故が起こったロープ式エレベータ(トラクション式)の基本構造について図1に示す。 図1 ロープ式エレベータの構造例(トラクション式) 人が乗るかごはレールに沿って上下するようになっており、ロープで吊り上げられている。 ロープは巻上機内の綱車(プーリー)、そらせ車といった構造を介して反対側のつり合いおもり(カウンターウェイト)と繋がっており、 無駄な力を使わず、かごを持ち上げることが出来るようになっている。なおロープとプーリー、そらせ車の間は摩擦力だけで動いている。 また機械室には、調速機というエレベータのかごが動く速度を常に監視し、異常時の対処を行う監視装置と、 コンピュータによりエレベータの動きを制御する制御盤が存在する。 エレベータにはかご側緩衝器や非常停止装置という非常時の被害を最小限に抑えるための機構が存在するが、 かごが落ちる方向にだけそれらは付けられており、かごが持ち上がるほうにはこういった装置は付いていない。 つまりつりあいおもりが下がるほうには非常停止装置もないし、最後にぶつかる緩衝装置もない。 エレベータは長い歴史をかけて発達してきたが、かごが落ちる方向に対応するような技術のみが発達してきたことが分かる。
様々な原因が重なり合って今回のエレベータ事故が引き起こされたが、大きく「直接原因」、「社会について」、「設計について」の3つに分けて述べる。 直接原因 「ブレーキパッドがすり減るとブレーキがかからなくなる」と報道されたが、仮に全てが摩耗し無くなってもブレーキ腕部分が動きさえすれば摩擦でブレーキドラムは止まる。 よってパッドがすり減ったので止まらなかったという説明は間違いではないか。パッドがすり減るとブレーキのかかりが悪くなることはあるが、 何もしないのにエレベータが動き出す、というブレーキが完全に力を与えなくなる状況は考えられない。 実際の原因はブレーキを開く信号の異常、つまり制御部分の不良と思われる。そうすると考えられるのは以下3つである。
また、半導体を作る工程で光やX線を当てるが、その元になる基盤にゴミが付着していると誤った配線が出来る。 これが半導体のコンタミネーションによる誤配線であり、しばしば不良動作を起こす。 一番可能性が大きいのは実装基盤の経年劣化である。近年はポリイミド樹脂などを用いているが、多層で作ったプリント基板は経年劣化をしてしまう。 これが10年から15年も経過すると断線、他の所と繋がる、割れる、といった様々な不具合が発生する。 今回の事件の直接的な推定原因としては、これらが複合的に発生したのが考えられる。 社会について 時代背景についてまず原因を考えてみよう。マイコンは1980年頃に出現し1990年代にかけて普及した。 便利、安全、能率向上という理由で誰もが考えなしにマイコンを導入した時期である。 そして今になって前述の組み込みソフトのバグのように様々なトラブルが起こり始めている。 今後も日本中、世界中でマイコンが使われている機械のトラブルが続きかねない。 次に「技術の系譜」というものについて考える。マイコン化という「近代化」が進められる一方で、 歴史の古いメーカは往々にして昔ながらの機械、システムに固執してしまう。その結果、マイコンを使った新しいシステムを取り込むのが他より遅れることとなる。 もしシンドラー社もそうであれば、シンドラー社製の制御部分の心臓部は、他のメーカ、特に日本の技術に比べると数年遅れていた可能性が非常に強い。 日本のエレベータは世界に進出していないので、世界市場からするととても弱小なものに映るかもしれない。 しかし恐らく技術面においては、日本はマイコン化を進めながら同時にたくさんの電子化やメカトロニクス化を進めていったので、 非常に多くの経験を持っていた。「メカニカルな土壌」が立派に育っていたのでシンドラー社にとっては非常に参入しにくく、 ようやく参入しても本質的なところまでは踏み込めない内に製品を出さざるを得なくなったのがトラブルの原因である可能性がある。 設計について 本事故の背景説明で、エレベータの構造について記述したが、その設計では、かごが落ちることだけ考えており(4重にまでなっていた)、 つり合いおもりが落ちることは考えておらず、機械的非常停止はかごの落下にしか作用ないようになっていた。 参考文献4より、カウンターウェイト質量が 3,025kg、かご質量が 2,100kg である最大積載荷重が1,850kgだったから、 カウンターウェイトは最大積載荷重の半分がかごに乗った時にその質量とかごとを合わせた質量による重力とバランスしていることがわかる。 事故が発生した時のかご側質量を多い目に見積もって、自転車1台の質量を20kg、乗員2人で120kgとすると、2,240kgになる。 ワイヤ等の不均衡分は無視してカウンターウェイト質量との差は785kg。重力加速度がこの質量差分に加わって、およそ785kgfの力がかごを上に押し上げたことになる。 人間の頭が大人約200kg、子供ならば約100kgの力で挟まれると死んでしまうというから、大人の頭でも完全に挟んで潰してしまう力が出ていたことになる。 2004年に発生した六本木ヒルズ回転ドア事故(男児が頭を挟まれ死亡)のモデル実験においてセンサーをドアに挟んだ時の力が約800kgだったことを考えると、 このエレベータは人が挟まれば絶対に殺してしまう荷重が出る機械だったと言える。これだけの簡単な計算で判明することが放置されていたことは非常に恐ろしい。 ここで、機械と人間の関係について考える。人は概して『機械は安全なはず』という思い込みを持っており、設計時の想定漏れで大事故が起こる。 シンドラー社からすれば自転車に乗ってエレベータを利用するなど考え付かなったかもしれないし、事実そのような発言もある。 しかし自転車に乗っていれば後ろ向きでなければ出られないこと、自転車を一階に置いておいたら盗まれてしまうと自分の階まで持って上がること、 高層のビルに住宅を持ったら当然自転車は乗って入ることは当然想定されるはずである。多くの想定漏れがあり、それが大事故に繋がってしまったのだと言わざるを得ない。 また、そのようなことは想定しなかったと当事者は言うが、それは設計者が見なければならなかったことを、見たくないので見なかったからである。 しかし散発する不具合は自分の責任には思えないのが現実である。設計をする人間はもっと自分の作る物の使い方、使われ方をよく考慮して設計しなければならない。 【対策】 今回の事故は、2004年3月に東京・六本木ヒルズの回転ドアで男児が死亡した事故を受け、 国土交通省などがエレベータなど建物内で起きる事故の兆候をとらえるシステムの構築中に起きた。 回転ドアの死亡事故の後、死亡事故に至らない事前の軽微な不具合情報が生かされていなかったことが判明。 国土交通省は2004年7月、エレベータを含む建物内で起きた事故例を集約し関係者で情報を共有するシステムの整備を決め、 2006年度中の実用化に向けて準備を進めていたところであった。 このエレベータ事故を受け、国土交通省は当時全国あっ他に8,834基あったシンドラー社製エレベータの緊急点検を指示し、 シンドラー社製以外のエレベータについても、全国の国関連施設に設置されていた約2,000基の過去の不具合を調査した。 再発防止策としては、欠陥情報をメーカが行政に報告するリコール制度の導入する方針を発表。 また、コンピュータプログラムで制御される安全装置はプログラムミスを完全に防ぐことは出来ないと指摘し、以下3つの義務化を提言した。
【知識化】 昔は人間が分担する領域と機械が分担する領域が、程々に上手い具合に接していた。所々抜けている箇所で事故が起こるから、 さらにこれをカバーするために機械側が出てこようとする。センサーの使用やメカトロニクス化の促進により機械を制御して安全性を高めようとしたのがそれに当たる。 そうすると機械が非常に内側の領域にまで入ってきて一見安全になったように見えるが、代わりに人間が分担している部分はかなり小さくなってしまっている。 人間の領域が小さくなっているのに機械の側がそれに応じて出てきていない箇所があるとすると、その隙間のところで新しい事故が起こってしまう。 図8にこの現象を概念的に示す。 図8 人間と機械の分担領域の変化がもたらす事故 私たちの日常生活において以下のような体験は誰でもするが、この現象をうまく説明する例と言えよう。 このように、人間と機械の接点で次々と事故が起こる。前述したマイコン化に伴うトラブルはこれからも起こるであろうし、 特にこの人と機械が受け持つ領域分けの問題では徹底的に事故が、それも信じられないような事故がこれから多発するに違いない。 【参考文献】
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