特定非営利活動法人失敗学会 |
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イージス艦あたごと漁船清徳丸の衝突事故
サイドローズエルピー・ゼネラルパートナー
飯野 謙次
【シナリオ】
【概要】 2008年2月19日(火)、午前4時7分ごろ、海上自衛隊護衛艦あたごと漁船清徳丸(せいとくまる)が衝突した。あたごは、船首に擦過傷を受け、清徳丸は大破、船主(58歳男)とその長男(23歳)は行方不明となり、捜索が数10日間行われた後、2人とも認定死亡とされた。あたご乗組員の一部は、見張り員からの報告で、03:40には、清徳丸を含む4隻の漁船を認識した。しかしその後、距離が近くなって清徳丸以外の漁船に気を取られるなど、危険な状態に気が付いたのは、衝突の1分前、04:06のことであった。 あたごは機関停止、自動操舵中止、後進一杯を試みるも、間に合わなかった。一方の清徳丸は、04:04と04:06 の2回にわたって面舵(進行方向右向き)を切って、あたごを左舷に避けて、あたごの前を横切ろうとしたが、間に合わなかった。 この時なぜ、面舵を切ったかの疑問が残ったが、裁判も終了した2013年のおよそ1年後、海上保安大学校の准教授により、何があったか推測された。清徳丸乗員は、あたごの大きさも進行方向を勘違いした可能性が強い。 【発生日時】 2007年2月19日(火)、午前 4時 7分ごろ。 月齢11.5日、晴れ、北東の風、風力2,月没時刻5時7分,日出時刻6時23分。 【発生場所】 千葉県野島崎の南方約43㎞、大島から南東に約20㎞(東経139.80167度、北緯34.51806度)の海上。図1中、赤い×印が衝突の場所である。 図1 イージス艦あたごと漁船清徳丸の衝突場所 【背景情報】 清徳丸は、全長16メートル、総重量7.3トンのマグロはえなわ漁船。船体は繊維強化プラスチック(FRP: Fiber Reinforced Plastic)製。2月19日、午前1時ごろ、千葉県川津港を他の漁船3隻と合わせて計4隻で出発して、三宅島北方海域を目指していた。乗組員は、58歳の男船長と23歳のその長男の2名であった。 一方のあたごは、イージスシステムを搭載した護衛艦。全長165メートル、幅21メートル、基準排水量7,750トンである。長さ比で、清徳丸の10倍、重量は1,000倍であった。事故時の乗員は、艦長ほか280名。イージスシステムとは、1970年代に完成した艦載対空防衛システム。その後の開発は現在でも続いている。あたごは2月6日午前、ハワイ真珠湾を出港し、2月19日午前に横須賀港に寄港予定だった。 【事象】 大破した清徳丸は船体が真っ二つに割れ、エンジン回りは海底に沈んでGPSの記録等が失われた。10日後に、そのスクリューを海洋研究開発機構の無人探査機が撮影した。事故に至る経緯は、あたごの記録と乗組員証言、それに清徳丸と同行していた残り3隻の漁船乗組員の話を元に、推定された。事故については、国土交通省海難審判所による海難審判と、横浜地裁(第1審)、東京高裁(第2審)があったが、あたご、清徳丸双方に原因があったとする海難審判の判決がインターネットで閲覧できる。後者の刑事裁判では、あたご乗組員は無罪となり、上告はされなかった。 海難審判後の刑事裁判では、検察と弁護団による、漁船の挙動や位置に違いがあり、真実は不明である。本書では主に海難審判の判決の理由を元に事故に至る経緯を解説する。
【原因】 上記 03:48 と03:50に、あたごから見えた漁船団の舷灯の色について記述した。これは、赤、緑の舷灯、白のマスト灯と船尾灯は、夜間の航海で他の船舶を認識したときに、相手方の進行方向や、向きを知るうえで基本となる。長さ50メートル以上の船では、マスト灯が2個、50メートル未満では1個、どちらもマスト灯より低い位置に、進行方向右側に赤い舷灯、左側に緑の舷灯を照射する規則である。図6に、衝突前のあたごと清徳丸の灯火がどうなっていたかを示す。 当日の月没時刻は5時7分、月齢は11.5日、日出時刻は6時23分であった。つまり、夜明け2時間以上前、月は結構大きかったものの、西の空に沈む1時間前、清徳丸からは逆光になるだけではなく、船体には灯りが付いていて、月光であたごの船影を遠くから認識することはできなかったと思われる。相手を肉眼で認識するには、船灯だけが頼りであった。 図7 衝突したあたごと清徳丸の灯火 今回のような事故を未然に防ぐための法律に、海上衝突予防法がある。その第15条第1項にはこうある。 『二隻の動力船が互いに進路を横切る場合において衝突するおそれがあるときは、他の動力船を右げん側に見る動力船は、当該他の動力船の進路を避けなければならない。この場合において、他の動力船の進路を避けなければならない動力船は、やむを得ない場合を除き、当該他の動力船の船首方向を横切つてはならない。』 図7の関係から、相手を右舷に見ているのはあたごの方であり、漁船団の進路を避けなければいけなかったのはあたごだった。避けるためには、行会い船航法では、右側通行と決まっているので、右に面舵を切る、減速する、あるいは停止するのいずれかである。しかし、あたごはこのいずれの対応も行わなかった。理由は、3:40、および3:57に行った速度測定を十分時間をかけて行わなかったため、漁船団はほぼ停止していると判断され、海上衝突予防法第15条にある『衝突するおそれ』がなく、漁船団はあたごの右舷を後ろに遠ざかっていくものと思われたからである。 また、本段落は筆者の憶測であるが、漁船は長さでイージス艦の1/10、重さ比は 1/1,000であった。またイージス艦の航行中は、乗組員の訓練中でもある。訓練中の海上自衛隊護衛艦と、商業的漁が目的の漁船とでは、実際の重さだけではなく、使命の重さが違う。小回りも効く漁船の方が、遠慮して衝突を避けて当たり前という『気』が双方にあったのではないだろうか。今回の事故が、漁船と海上自衛隊艦艇との初めての遭遇ではないはずである。そのようなときに、双方どうするのか。どうやら、海上自衛隊艦艇が回避行動を取ることは少ないようである。1988年のなだしお事件でも、なだしおの回避行動が遅く、間に合わなかった。 原因はしかし、漁船側にもあったというのが、刑事裁判の判決である。漁船団の先頭を進んでいた幸運丸の船長は、新聞記者の質問に答えて、3:30には、自船のレーダーで、あたごを認識していたという。しかし、衝突を避けるために漁船団が右に舵を切ったのは、あたごと清徳丸衝突の4分前で、それまで特に衝突を避ける動作を取っていなかった。先頭の幸運丸は、ぎりぎりあたごの前を横切ったことになる。 さらに、清徳丸の右を進んでいた金平丸は、いったん右に舵を切ったものの、かわしきれないと思って左に舵を切りなおして助かっている。清徳丸はこの時、さらに右に舵を切って、運悪くちょうどあたごの先端が、清徳丸左舷中央に当たる位置に進んでしまったのである。 この時、漁船団がなぜぎりぎりまで衝突回避行動を取らなかったのか、また、なぜ衝突の可能性を高める右に舵を切ったか謎であった。これが、東京高裁の控訴棄却(2013年6月11日)、検察が上告をしなかったことで(2013年6月26日)終了した裁判の1年後、海上保安大学の西村知久准教授(当時、現在教授)によって明らかにされた。 図7に示したあたごの2つのマスト灯は、両方が船体の前部に描いてある。これは、西村論文の知識があってこのように描いたものである。同論文にあるあたごと、貨物船のマスト灯の比較を図8に示す。 (a) 貨物船のマスト灯位置 (b) あたごのマスト灯位置 図8 典型的な大型船マスト灯の位置とあたごのマスト灯位置の比較
前述のように、事故があったのは夜明けの2時間以上前、晴天ではあったものの、清徳丸からあたごの位置と姿勢(方向)を見分けるのは、これら2つのマスト灯と舷灯(図8のように緑が見えていたはず)だけであった。
3:40にあたごが定めた進路は、328o(時計の12時方向を0oとして、時計回り)、一方の清徳丸は3:00に進路を215oと定めていた。両者の間の角度は清徳丸が右に舵を切るまでは113o程度だった。図8(b) の艤装は適当に書き込んであるが、艦影の長さと、マスト灯位置は正確に写し取っている。2つのマスト灯が艦体中央にあると仮定して、これを113o回すと、図9(a)のようになる。艦影の長さが真横から見た時に比べて92%になっている (cos(90o-(180o-113o))=0.92)。この時の見え方、すなわち清徳丸からあたごを見た時の艦影は、図9(b)のようになる。図9(a)は、2つのマスト灯距離が同じになるよう、図8(a)の貨物船を回転させたら、船影がどうなるか予想したものである。図9(b)のマスト灯間距離は、図8(a)のマスト灯間距離のおよそ12%であり、これを実現するのは、2つの船舶の交差角度が173oの時である(cos(90o-(180o-173o))=0.12)。つまり漁船から見ると、あたごとはほぼ正対する180oに近いものと錯覚したのではないかと思われる。 漁船団の先頭にいた幸運丸があたごをレーダーで確認したのが3:30、あたごが漁船団を認識したのが3:40。この時両者の距離は20km程度であり、マスト灯で進行方向を見極める必要もなかったのだろう。その後両者が近づくにつれ、あたごは漁船団のマスト灯(各船に1個)と赤い舷灯、漁船団は2つのマスト灯と緑の舷灯が見えたはずである。しかし、実際には、あたごは4つの漁船全てに注意を払っていたわけではなかった。 (a) あたごと同じようにマスト灯が見えるとき、貨物船との交差角は173o (b) 交差角113oで漁船からあたごを見た時 図9 あたごマスト灯と同じように貨物船マスト灯が見える条件
漁船団とあたごの間の距離が2km程度と非常に近くなった時、マスト灯から判断して、ほぼ正対していると勘違いした魚船団が、右に舵を切ったのは、行会い船航法では右側通行と決まっているので当然であろう。
【考察】 3:50 に航海長Cから水雷長Bに引継ぎがなされ、Cに漁船団は後ろにやり過ごすと聞いていたものの、Bは、念のためと思って確認をしている。この時、十分な時間をかけてこの確認を行っていれば、漁船団の速度をもっと正確に判断できていたはずだと思うと非常に残念である。また、Cも、自分が漁船団を確認したときの位置をBに伝えていれば、Bは、自分が確認したときの位置から、漁船団が決して停止していたのではないことに気が付いたはずである。 漁船団も、少なくとも幸運丸は3:30から大型船が左前方向にいたのに気が付いていた。ただし図9に描いたように、後ろのマスト灯が他の大型船と同じように、艦体の後ろの方にあると思ったため、その姿勢と進行方向を見誤ったのである。図10に、漁船団が思った大型船の向きと進行方向を示す。図10は図8の船体長、マスト灯位置を元にしている。図7はわかりやすいように、あたごのマスト灯間隔を広めに描いている。 図10 漁船団から見えた大型船進路の想定 2009年1月22日の海難審判の後ではあったが、2011年、2013年の刑事裁判判決の前に、防衛省の名前で『護衛艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故について』という文書が2009年5月22日に公開されている。同文書の前身は、海難審判結審前にだされ、「見張りが適切ではなかった」、「措置が不十分」、と自ら書いており、2009年5月の最終版では、直接的要因、間接的要因に分けて、不適切、不十分だったことを列挙していて、ずいぶん潔いといえよう。 しかし同文書には、再発防止策も掲載されているが、「徹底を図る」、「管理を適切に行う」、「能力の向上を図る」、「練度の向上を図る」、「チームワークの強化」、「指導を徹底する」、「教育訓練に周到を期する」の文言、すなわち精神論が多い。唯一見つけた実質的効果のありそうなことは、「通常航海における各当直員の勤務要領の明確化」である。それまで、明確でなく、記憶に頼っていたなら、これを明確にするのは効果があるだろう。 もう一つ実践の価値があると思われるのは、言葉による伝達に頼ることを改めることである。例えばログブックを作って、周りの状況については常に距離、方位、速度を書き込むなど行っていれば、航海長Cから水雷長Bへの漁船団の位置について正しく伝わった可能性が高い。もちろん有事になれば、いちいち書き記す時間はないかもしれないが、今回のように多少余裕があるときに、誤って衝突事故が起こる確率は確実に下がると思われる。 【参考文献】
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