特定非営利活動法人失敗学会 |
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新幹線のぞみ号台車亀裂事件
2023年5月
サイドローズエルピー・ゼネラルパートナー 飯野 謙次
【シナリオ】
【概要】 2017年12月11日(月)、新幹線のぞみ34号は、乗客およそ1,000人と乗員7名を乗せて博多駅を13時33分ごろ出発した。 博多・新大阪間はJR西、新大阪からはJR東海の管轄となる。出発直後から乗員が異臭と異音に気づき、指令所に連絡。 岡山で保守担当員3名が乗車して、異臭、異音を確認し、列車が新大阪に到着するまでに、保守担当員と指令所が相談をするも、 状態が通常ではないとしつつ、断言できないとする保守担当員の言葉で、 JR西指令所は、異臭がするものの走行可能として新大阪駅で停車中にJR東海に引き継いだ。 新大阪出発時、京都駅、保守担当員が待機していた名古屋駅でも到着時の異音と乗車時の異臭が確認され、報告を受けた技術担当員は床下点検を要請。 指令は出発停止を運転員に伝えた。これが博多出発からおよそ3時間30分後の17時頃であった。 床下を点検した保守担当員は13号車台車に油漏れを発見、本列車の運行は取りやめとなった。 その夜23:40ごろ、車両所への移動の準備中、JR東海の社員が13号車台車枠に亀裂を発見した。 事故後の調査で、台車の主要構造部品が製造時に指定より薄く削られ、その溶接部から発生した亀裂は、 高さ170mmの34mmを残して、146mmまで成長していた。 名古屋駅で運行を取りやめたので、事故にはならなかったが、もし時速300キロメートル近くでこの台車が破壊していたら、 乗客乗員全員を巻き込む大事故になっていた可能性がある。さらに対向列車、後続列車も安全に止まれたかは疑問がある。 【発生日時】 2017年12月11日、13時 30分ごろから17時ごろ 【発生場所】 山陽新幹線博多‐新大阪間、及び東海道新幹線新大阪‐名古屋間 図1 全国に広がる新幹線網(2023年4月現在) 【事象】 今や北海道の一部まで路線を伸ばした新幹線網は、主要4島の四国を除いて全国に広がっている。図1に今の新幹線網を、本報告に登場する山陽新幹線を赤で、東海道新幹線を青で示す[1]。東海道新幹線は1964年、東京オリンピック開会式の10日前、10月1日に東京-新大阪間で営業を開始した[2]。当時3時間10分かかったこの区間を、今では最高速度285km/hで2時間21分、新大阪-博多間は山陽新幹線が最高速度300km/hでやはり2時間21分でつなぐ。 本事件があったのぞみ号は、博多から新大阪の山陽新幹線区間と、新大阪から東京の東海道新幹線区間を通して走行する予定であった。山陽新幹線区間はJR西日本、東海道新幹線区間はJR東海の管轄である。乗務員による異常の検知とやり取り、指令所とのやり取りは、JR西日本のニュースリリースに詳しい[3,4]。ここでは[4]を元に主な出来事を時系列で紹介する。博多駅出発時には、乗員として、運転手、車掌長1名、他車掌2名、チーフパーサー1名、他パーサー2名の計7名がいた。指令所にはJR西日本の指令長1名と他指令が2名いた。
参考文献[4]の記述はここまでで、以下は参考文献[5]の記述を基にしている。
のぞみ34号は、名古屋駅ホームに停車したままだったが、15日未明に移動作業が始まり、まず東京寄りの16号車から14号車を名古屋市内の車両所に移動[6]、その後、16日真夜中過ぎに13号車を100m移動させてクレーンで釣り上げ、問題の台車を外して、新しい台車を組付けて12号車と連結させた。この13両編成の列車は名古屋車両所まで自走[7]。亀裂の入った台車は、JR西日本の博多総合車両所に運んだ[5]。 【台車損傷の原因】 図2 台車に亀裂が見つかったのぞみ34号13号車(最後尾が博多側1号車、先頭が16号車) 図2に、問題の記号番号 785-5505の13号車を示す。亀裂が入っていたのは、図中2台ある台車の東京寄りの方である。 図3は、この台車を簡略化して書いている。台車には4個の鉄製車輪があり、前側2個と後側2個がそれぞれ車軸で繋がっており、車軸は左右それぞれ2本ずつのスプリングで左右の側ばりにぶら下がっている形だ。これらスプリングで、車輪の振動を吸収するとともに、車体が乗っている空気ばねも振動吸収に寄与している。側ばりと直行している横ばりにはモータが固定されており、その軸回転はWN継手(Westinghouse-Natal継手、開発した会社の頭文字)を介して歯車ボックスに伝わり、それが車軸を回転させている。 図3 亀裂が入っていた新幹線台車の簡便図 亀裂が入っていた側ばりは、東京側台車の進行方向に向かって左側ばりの前輪、2つあるスプリングの後ろ側の軸ばね座が溶接されている後ろ側の溶接部である。図4にその部分を拡大して示す。側ばりの亀裂部は、漢字の「目」の字を横にしたような断面をしており、高さ170mm、幅160mmである。その底面に軸ばり座が強固に溶接されている。 図4 亀裂の場所 図5に側ばりと軸ばね座の溶接を簡略に示す。実際には軸ばね座には、他の部品取り付けのための穴や、側ばりを抱え込むようについ立状の突起があるようだが、亀裂とは関係ないので省略してある。 図5 側ばりと軸ばね座の溶接結合 参考文献[5]にこの組立の手順が書いてあるが、まずコの字型の部材に補強板をすみ肉溶接で固定し、これを2つ突き合わせて目の字の断面を作る。この時、 裏あて金で付き合わせ溶接の強度を増す。次にすみ肉溶接用にスロット穴を開けた軸ばね座を溶接するのだが、その前に、軸ばね座が当たる部分を平らに研磨して座りをよくする。図6にこの研磨で平らにする部分を示す。 図6 側ばりに軸ばね座を溶接する前に、当たり面を平らにする 今回この溶接部から亀裂が発生したのは、この軸ばね座溶接で側ばり側に平らな面を用意するのに、削り過ぎたのが原因と思われている。側ばりの鋼板は厚さ8mmで、軸ばね座の当たり面を用意するとき、削ってよいのは板厚が7mmになるまでと規定されていた。ところが亀裂が入っていた側ばりの底面厚さは、最も薄い箇所で4.7mmだった[5]。 発生した亀裂は、底面の全長160mm、目の字の4つの垂直方向の構造板で、外側から順に146mm、117mm、108mm、141mmであった。参考文献[5]に掲載されている写真と注釈をそのまま、図7に掲載する。 図7 側ばりで発生した亀裂[5]
図7が示しているように、この亀裂の先端は16mmギャップが空いていた。図3を見てわかるように、車軸の位置が前にずれていたことになるので、モータ、WM継手、歯車の芯がずれていたことになる。参考文献[5]によると、このWM継手の相対変位許容値は10mmであるのに、24mmずれていたと推定され、その温度は300℃程度になっていたと再現実験で確認された。継手内部のグリースが車内の異臭やモヤの原因だったようである。参考文献[5]には、この継手の変色の写真もあるので、参照されたい。
【当事件に関する問題点】 上記で見たように本事件の直接原因は、規定に反する加工がなされて、機械部品が所要の強度を有していなかったことである。しかしその他にも、異常に気が付いてから、3.5時間も列車を通常通り走行させ続けたことも大きな問題である。以下この2つの問題について解説する。 側ばりの研削しすぎ 付き合わせ溶接の余盛が残った面に、別の平らな部材を溶接で接合するときに、そこを削って平らにするのは当然である。参考文献[5]によると、作業指示書があり、そこには側ばりの軸ばね座と側ばり下板の隙間を0.5mm程度とあった。また「側ばり下面のグラインダー仕上げは行ってはならない」と定められていたという。これは、明らかに作業指示書がおかしい。付き合わせ溶接をした余盛があるのに、それにグラインダーをかけないで、2つの部材間距離を0.5mm程度とするのは無理である。 現場作業者には、この作業指示書は配布されず、現場管理者までであったが、現場管理者は「グラインダー仕上げは行ってはいけない」とは伝えずに、隙間が0.5mm程度とだけ伝えたという。当然であろう。ただし、もう1つの規定、側ばり下板の厚さは7mm以上なければならないが伝わっていない。これが作業指示書には書いてなかったのだろうか。参考文献[5]ではわからなかった。 この7mm以上の規定が重要であるなら、作業指示書に書いてあるべきだし、本来なら溶接前に、板厚を測定して記録する手順になっていなければならない。奥まった場所で測定しにくいが、特別の治具を制作してもいいし、今では超音波を利用した非破壊厚さ測定器もある。 そうなっていれば、用意された側ばりが、所要の寸法に溶接組立できない形状になっており、その前工程に突き返されるべきものであったことがわかる。 漫然と運行を継続したこと 最初に異音と異臭が知覚されたのは、博多駅出発直後である。しかし車掌長は、異音を通常と感じ、においも「そういえば」程度に感じた。そしてこの車掌長は広島駅出発後に異音、においを確認するが、気にならなかった。そして、経過をよく読むと、車掌長は、においとモヤについては指令に報告するが、異音については自分が感じないためか、報告をしていない。参考文献[5]には、関係者の年齢が書いてあるものの、車掌長が誰であるかは分からない。本報告の博多‐新大阪間の事象記述は参考文献4を元にしている。しかし、今度は参考文献[4]には年齢が書いていない。両記述からの推測になるが、車掌長は、経験約17年4か月の56歳の車掌aと思われる。非常に失礼になるが、問題だと思うのであえて書くが、音、においに対する感覚が他の車掌や乗員に比べて鈍くなっていてもおかしくはない。時間経過後に、においや音の確認は、車掌長ではなく、それを感じた他の車掌が行うべきだろう。 本事件に関しては、多くの記事が書かれているが、保守担当員と指令員のコミュニケーションのまずさが非難されている。保守担当員が新大阪で床下検査を提言したのを、指令員は聞き逃したとされているが、その前に「臭いはあまりしないが、音が激しい。床下から「キーン」という高めの音がしている。自分の見解としては床下を点検したいけど、そんな余裕はないよね」と言ったのはちゃんと聞いている。 JR西とJR東海の関係 JR西が行わなかった床下検査を、JR東海では行って大事に至らずに済んだことだが、筆者は新大阪での運用管轄交代に違和感を覚えた。床下から異音、車内には異臭とモヤがあった。それがJR東海の指令員に伝わったのは、新神戸直前の 15:38であった[4]。新大阪出発時には、のぞみ34号には保守担当員が不在となり、手配できたのは新大阪出発50分後の名古屋駅であった。新大阪まで列車の異常を観察していたJR西の保守担当員は、そのまま継続して乗車しようとは思わなかったのだろうか。あるいはJR西の指令員が、JR東海の指令員にもっと早く伝えて、新大阪からJR東海の保守担当員が乗車できるよう手配を促せなかったのだろうか。同じ列車が管轄地域をまたいで乗り入れているのだから、もう少し協力体制に融通を効かせられないものだろうか。 もし事故になっていたら、 冒頭に書いたように、本列車の乗客はおよそ 1,000人、乗員は最初7人、広島から車掌が1人、岡山から保守担当員が3人乗車した。途中で耐えきれずに側ばりが折れていたらどうなっていただろうか。図3に示すように台車には後ろの車軸でつながった2輪、前は折れた側ばりにぶら下がった車輪と車軸を介して繋がっている右側輪、歯車箱にはWM継手を介してモータがつながっている。すぐには何かが外れて飛んでいきそうにはないが、もし車輪、歯車箱、WM継手のどれかが外れるか、破壊してそれが台車の下に巻き込まれていたらどうだろうか。時速300km/hのトップスピードであれば、脱輪は免れないだろう。新幹線のすれ違い時の列車間距離は、確実に確認できない情報源ながら、山陽新幹線で0.94m[8]だから、もし進行方向右側に脱線していたら、反対向きの新幹線列車と衝突していた可能性はある。 後続の新幹線列車はどうだろうか。参考文献[9]によると、275km/h で走行している新幹線がブレーキをかけ始めてから止まるまでの距離は、4,000m弱なので、初速275[km/h]*1,000/3,600=76.4[m/s] の t 秒後のスピードは、加速度(α一定)として 76.4 - αt [m/s]。移動距離は、76.4t - 0.5αt 2 m である。この距離がちょうど4,000mとなる条件を探すと、α= 0.730[m/s2] で止まるまでの時間は、105秒である。この同じ加速度を、300km/h(=83.3m/s) の初速度に当てはめると、停止するのは114秒後、走行距離は4,756mである。 一方、のぞみの発車間隔を見ると、近いところで6分後、すなわち 83.3 * 6 * 60 = 30,000 [m]、30km後ろを走っていることになる。追突を避けるには、114秒前までに急ブレーキを掛ける必要があり、360 - 114 = 246秒、すなわち4分 6秒以内に、何らかの自動通知システムが働いて、後続列車に通知、あるいは指令所から急停止の指示が出なければならない。何かの自動通知システムがあるか、ネットで調べたがわからず、chatGPT に尋ねてみたら、指令から各列車に通知がなされるとあった(これも確実ではない情報源)。指令所は、即時の状況判断と通知をする必要がある。 意図は何だったか 失敗学会では失敗事例について、その失敗を引き起こした関係者の「意図」は何だったかを記録することが重要であることに気が付いた。事例に意図を記録することによって、何か新しいことや、未経験のことを行おうとする人が、同じ意図を持った人が過去にどのような失敗をしたかを検索することを容易にする。ここでは2つの問題、側ばりの削り過ぎと、台車損傷列車を運行し続けたことについて、当時者の意図を考える。 側ばりの削り過ぎについては、現場作業者は「規定通りに強固な溶接接続をなそう」と思ったのである。失敗は、単にもう一つの側ばり下面板の厚さに関する規定を伝えられなかったので、知らなかったのである。 列車運行を一時停止して床下検査をしなかった保守担当員と指令員の意図は、もちろん「列車をスケジュール通りに運行すること」であった。ただ、この目標と、「乗客乗員の安全を守る」という目標のバランスを誤ったのである。 このように、失敗事例に関して当事者の意図を考えると、「よかれ」と思っているところから出発していることが多い。 【参考文献】
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