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「第22回失敗学会大阪夏の大会」に参加して

新潟 山本 直弘

 失敗学会のフォーラム、大会ではいつも新たな気づきや知見をいただいているので、毎回できる限り参加させていただいています。今回も講師の先生方のお話から新たな学びがありました。改めて感想と考察をまとめましたので提出いたします。

平松 雅伸先生と吉田裕先生のお話から考えたこと
 先の大戦で迷走をし、多くの死者を出した挙句に敗戦となったこと、これは国を率いる指導者たちの「状況認識の甘さ」や「勢いだけの戦術(情報・データに基づく根拠がない)」などその要因は枚挙のいとまがないのでしょう。正しくても都合の悪い情報は無いことにして、誤った情報で国威高揚を図ったいわゆるプロパガンダが国を覆い国全体の道を誤らせたことは間違いないことだと思います。
 国も企業もトップに立つ者は不都合な事実にどう向き合わなければならないのか、これは永遠のテーマなのかもしれませんが、トップはなぜ判断を誤ってしまうのでしょうか。日本では他国より「失敗を許さない」という意識、文化が強く根付いているように感じます。特に組織において上位に立つ者は「現場や外部からの情報に振り回されたくない」「自分がリファレンス、判断を間違うはずはない」という意識が強く、専制的な傾向(意識・無意識によらず)があるようです。階層構造がある中で判断と責任が伴う場合はどうしても「(正しいか誤っているかわからないにもかかわらず)自身の理念を優先し、(自分にとって都合の悪い)他人の声を聞かない」ということになりがちです。
 一方なぜ新潟の豪雪の中での列車立ち往生では乗客に連帯感が生まれたのでしょうか。乗客同士は基本的に赤の他人です。外見で性別・年代といった大まかなことはわかってもその人がどのような人であるかは実際にコミュニケーションをしてみないとわかりません。ここでの人間関係は特に上下関係のようなものはなくフラットです。しかも置かれた状況は同じ。何とか乗り切るためには協力するしかない。さらにこの状況から脱すれば基本的に関係性はなくなります。そしておかれた状況は自分が招いたものではなく(気が楽)、さほど深刻でもなくいずれは解消する可能性が高い。
 つまり人間は立場や置かれた状況によって判断や対応が適切であったり誤ったりするということなのだと思います。特に上位に立つ者は置かれた不都合な状況が長引くと判断を誤り深刻な状況に陥りやすいのだと思われます。

岡田敏明先生のお話から考えたこと
 先生のお話を受けて「日本は再び成長に向かうことができるのか」という点にフォーカスしてみたいと思います。
 日本経済はなぜここまで落ち込んでしまったのか、そして持ち直してきているというのは本当なのか。要因が単純ではないからこそ再生も容易ではない、岡田先生の話を伺いながら考えました。
 7月の参院選では「物価高」「コメ問題」「外国人」への対応・対策が主な争点となり、これらが解決すれば経済は良くなるといわんばかりの主張が溢れました。しかし給付金、減税をすれば経済は良くなるのでしょうか。温暖化対策を抜きにしてコメをはじめとする農業や漁業の異変は解決できるのでしょうか。外国人との共生なくして日本は持続可能になるのでしょうか。問題はそんなに単純ではないと思います。
 第二次世界大戦後、日本は欧米の文化と技術を迎え入れ、改良を重ねて高品質・低価格な製品を世界の市場に提供しました。高度経済成長期は物価と所得が同時に伸びたことで企業は成長し、暮らしは豊かになりました。しかし低価格競争が激しくなるとともに生産における原価、特に人件費抑制のため生産拠点を中国・東南アジアに移す動きが急速に広がりました。これによって日本も欧米も技術の流出・移転と国内の空洞化が顕著になりました。また度重なる経済危機を経て企業の保守傾向、つまり「失敗を避ける」意識の高まりで開発力が低下し、成長も足踏み状態となっています。加えてアベノミクス(の異次元金融緩和)によって淘汰されるはずのゾンビ企業が延命し、日本経済の新陳代謝を阻害して成長の足かせになっていることも疑う余地のないことです。
 私たちは資本主義が民主主義と自由主義で成り立つ経済システムであるかのように錯覚をしていたのではないかと思います。東西が分断されていた世界は冷戦の終結後共産圏に資本主義的経済が広がり、今世界経済の実際は専制資本主義(国家資本主義?)ともいえる経済システムが席巻しつつあります。専制主義国家は判断・意思決定が早く、民意に対して網羅的ではないためトレンドさえ読み誤らなければ民主主義より早い成長が期待できることから専制主義の大国を追随しようとする途上国が後を絶ちません。
 ではこれから日本はどうすればよいのでしょうか。まず国内の産業の空洞化を解消する手立てを講じる必要があるのではないでしょうか。「日本の価値」を国債の格付けで見てみると海外の主要格付け会社で現在AAAにしているところはありません。国内の格付け会社ではR&Iが2011年にAA+に引き下げたことがニュースになりその後格付けは見直されていません。そもそも何かアクシデントがあると国債を発行して財源とし補助金・給付金をばらまいて延命を図る手法は日本の経済に底力、成長力がないことの証として見透かされています。つまり日本経済に自助再生能力がない(補助金漬けの状況に甘えている)ことを露呈してしまっています。国の借金を際限なく膨らませていることは日本に対する信用を低下させるのに十分な要因となっていて、「価値の棄損」は国民全体の意識の問題でもあることを認識しなければならないはずです。トランプ政権の関税政策で顕著になった日本国内の購買・消費力をはるかに超えた工業製品の過度な生産力。基幹産業と言われる自動車、電気製品は輸出が滞れば直ちに苦境に立たされます。カロリーベースの食料自給率全国平均38%は100%を超える北海道、東北、新潟によってなんとか支えていますが、都市部は低水準でとりわけ東京は0%、地域の農業が衰退すれば国全体が飢えに苦しむことになります。グローバル経済に頼りすぎたところをある程度国内回帰させたくても低賃金と人口減少、高齢化で生産力・購買力が追い付きません。減反から増産に舵を切っても明日からコメが生産できるわけではありません。どんなに素晴らしい少子化対策を行っても明日から労働人口が増えるわけではありません。自由が行き過ぎてゆがんだ民主資本主義の下では格差が拡大するばかり。政府がノウハウのない国民に積極的な投資をけしかける一方で企業の内部留保600兆円越え、個人金融資産2200兆円越え、国の借金1300兆円越えという現状で、いったい誰が日本の経済再生の原動力になるのでしょうか。資本主義が成長と富の共有という本来の趣旨をはずれ投資が個の「利」の追求手段として一部の資金的余裕(財力)がある者に利用されている状況は健全な経済成長にはほど遠いと言わざるを得ません。
 国の歳入歳出の決算における法人税の増や企業の収益回復・設備投資の増は緩やかな経済回復を示すものとされていますが円安による為替差益によるもので成長の実態がないとの指摘もあります。物価高騰は主に原材料高騰によるもので人件費の伸びが追い付かないとすれば消費は伸びず経済成長にはつながりません。設備投資意欲の高まりと言っても国際競争力のない商品の過剰生産で何が起こるのでしょうか。高度経済成長期とは全く異なる状況をどう打破するのでしょうか。
 参院選で明らかになった「公」より「個」を取る意識が強まる中で「社会の持続性」を未来志向で考えられなくなっていることは憂慮せざるを得ません。
 もし日本を再び成長のレールに乗せたいのであれば「失敗を恐れない挑戦」に投資を促すしかないのではないでしょうか。安定と挑戦のバランスは難しい命題ですが、安定はAIに任せてもある程度実現可能でしょう。今後AIが一層高度に進化したとき人間に残る価値とはどのようなものでしょうか。私は「ミスすること」「とりえない選択をすること」が人間の価値として残るのだろうと考えています。日本の「失敗を許さない文化」から「失敗に学び生かす文化」に変えていくことこそが再生の第一歩なのではないかと思います。
 法や制度は立法府である国会で制定されますが新法以外に多くの法や制度が改訂を重ねています。しかし一方官僚や国会議員の認識が環境変化を正しく認識せず、戦後に制定されてから長く改訂が行われないまま進化しない「制度」が手つかずで残されているケースがあります。トヨタの不正とされるものはまさにこのケースにほかなりません。東池袋の事故で親子2人を死亡させた旧通産省の元技官トップは、高齢化社会で交通にどのような問題が生じるか見通しを立ててメーカーに対策を求める立場であったにも関わらず、有効な具体施策を立てることなく自らが重大事故の当事者になってしまいました。私たち一人ひとりが担う役割と責任は社会活動においてなくてはならないものですが、そのポジションに求められる役割をきちんと果たさなければ社会活動そのものが期待通りに機能しなくなる、その事例にほかならないと考えられるのです。
 一人ひとりが今直面するおびただしい危機を直視せずに「誰かが解決してくれるのを待っている」だけでは経済成長どころか社会の現状維持もできないことでしょう。

福元満治先生のお話から考えたこと
 エネルギー資源の乏しい日本ですが大量のエネルギー資源の輸入先である中東についてあまり多くを知られていないし語られることも学ぶことも少ないのが実態です。
イスラム教へのなじみが少ない故にひとたび事件が発生すると「イスラム教は怖い」という意識に支配されやすいのも事実です。 一方ユダヤに対してはナチスによる迫害など歴史上厳しい境遇に置かれてきたという情報を根拠に「同情的」になりがちです。 しかしいずれも断片的な情報とそれに基づく先入観で判断しているように感じられます。中東問題は単純ではなく一つの側面から見ただけでどちらが一方的に悪いと決めることはできません。
 地球上の随所で絶えず紛争・戦争が起こり惨禍が繰り返されていますが、その要因は「資産や資源を渡したくない、取られたくない」「自分よりいい思いをしている、得をしているのは許せない」といった自己本位の考え方や思い込みが根底にあると考えられます。
 SDGsのスローガンである「だれひとり取り残さない」というキーワードの本質は「他者の存在、アイデンティティ、価値観や考え方を否定しない」ということにほかなりません。社会の持続性という観点で7月の参院選で「外国人排斥」が声高に叫ばれ、その主張に共鳴した有権者が一定のボリュームであったことは今後日本の社会を不安定にするだけでなく、成長そのものに阻害要因となることを懸念せざるを得ません。外国人投資家の日本買い叩きやインバウンド旅行者の目に余る行いと、日本で働く外国人に関する諸課題は全く別の次元の話です。ただ一つ共通する点があるとすれば「日本では日本のルールに従う」ということであり、それは日本人であっても外国人であっても区別はないはずです。
 私の数少ない海外渡航経験で痛切に身に染みたことは「日本人は外国のことを知らなすぎる」ということでした。それは日本人が悪いということではなく外国人が持つ日本人への差別感情と同時に日本人の外国人に対する差別感情がお互いの理解を難しくしているということです。
 日本の人口減少が加速度的に進む状況下では、どんなに効果的な少子化対策を行っても当面の労働人口減少は避けられません。外国人との協働なくしては日本の経済は発展するどころかシュリンクする一方となるでしょう。外国人排斥を主張する人には日本人だけで経済を再生する具体的な方法を示していただきたいものです。AIの活用は一定の効果を上げるかもしれませんが、AIを鍛えるスキルがない現場での劇的な効果への過度の期待は夢・幻想に終わることでしょう(AIは用途や分野に応じて鍛えなければならず、勝手に育つわけではありません)。
 日常生活において中東との関わりを意識することはあまりありませんが、中村哲医師と行動を共にされた福元先生の講演を伺って改めてお二人が特別な存在であったを再認識し、凶弾に倒れたことは非常に残念なことだと思いました。中東や東南アジア、インド、アフリカの急成長を支え急速に存在感を増す中国、ロシアに対し、先進国の中でも優位性や存在感が薄れる一方の日本がさらに内向的になれば「価値の棄損」は免れないでしょう。日本が再浮上できないのは政治だけの問題ではなく国民や企業の意識改革が一向に進まないことも大きな要因なのではないでしょうか。「日本の価値」という大きな看板を降ろさないで済むために何をしなければならないのか、お二人の活動にヒントがあると思いました。

最後に今回のフォーラムに参加しての自身の感想と考察
 戦後80年の節目の今年、新聞やテレビでは多くの特集が組まれました。広島、長崎の被爆体験を軸とする話、戦争に至るまでの経緯、戦後の混乱から復興そして転落。体験者の高齢化でリアルを知る語り部が徐々に減る中でどのように語り継いでいくのか。世界的に自国第一主義が台頭し「新たな戦前」を懸念される状況でどのように平和を支えていくのかがテーマになりました。
 アメリカに代表される「自由主義の下での資本主義」は、富の偏在を助長し社会における格差を拡大してきたとの見方があります。自由であることは民主的であることとは別の話であり、「秩序のない自由」は民主的とは言えません。そして今世界は共産圏であるはずの東側専制主義諸国が世界の資本主義経済に乗り出し、アメリカまでもが専制資本主義(国家資本主義)化しつつあります。グローバル経済はトランプ関税だけでなく中国に代表される専制資本主義者の台頭で大きくゆがみ始めています。日本は資本主義の理念が国民に浸透しないうちに欧米を追随し資本主義らしき経済で発展すると同時に世界で最も社会主義的とも揶揄される制度(セーフティネット)を整備してきました。その仕掛け(社会保障制度)は今岐路に立たされています。
 さて日本は経済を立て直し生き残れるのでしょうか。
 人口も経済も東京への一極集中が一向に是正されない一方で、地方は県も各自治体も市民も危機感が非常に薄いように感じます。誰もが少しまずい状況かもしれないと感じているのかもしれませんが、「本当に困っている人の絶対数はとても少ない(社会を動かすほどのヴォリュームにならない)」のだと思います。温暖化に起因する気象災害を含め災害など何か事が起これば補助金・助成金で何とかなってしまいます。新潟など食料自給率(カロリーベース)が100%を超える地域は、日常の食料が身の回りにあるもので何とかなってしまいます。だから変えようと思わないしいつまでも続いてほしいという保守的感覚に覆われてしまいます。人口減少は確実に加速度的に進んでいるのにどうするのかというビジョンを持っている市民は見当たりません(首長ですらです)。解決策の一つであるDX、AI活用は進めざるを得ない状況ですが、「何のために何をどのようにデジタル化するのか」ということが市民に理解されないまま行政はDXを目的化されています。そしてその解決手法は「使えない人、使わない人」を起点にしていることから本当の目的に到達できないまま、システムだけが宙に浮く可能性を残しています。
 これまでの日本は「失敗をしないこと」が失敗を許さない文化から生まれた最上位の価値観であり、それが失敗をする人を作らない教育、スピンアウトした(しそうな)人をこぼさない制度(社会保障やアベノミクス)で社会を維持してきたと言えるのではないでしょうか。しかしこれからは「不本意な結果に終わったことの知見を挑戦のエネルギーに変えて生かす」という文化・価値観を育てる教育(人材はコストではなく資本)こそが日本再生のカギに他ならないと思います。
 今回のフォーラムの午前の部の最後に山岡さんのお話、失敗学をもっと社会の広い範囲に展開していくという意見に賛同いたします。


失敗学会では、このレポートに対する感想、ご意見などを募集します。順次レスとして掲載(基本記名式)させていただきますので、どしどしお送りください。

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