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第12回失敗学講演の旅: 雨のしまなみ海道を往く
(Part 1: なぞの水道局と幻の国宝)

ここまでの経緯>>

   第59回失敗学会懇談会は大和ミュージアムの前で解散した。一人、また一人と次の目的地、あるいは帰路について行った。 残り8人くらいになって、じゃあ、昼でも食べようかと近くのショッピングセンターに行ったものの、 どこも家族連れが列をなしてすぐには食事にありつけない状態。では皆さん、また会いましょうと中尾先生、元研究生の菊野さん、 松山までお帰りになるため急遽同じ車で同行が決まった岡田さん、と私の4人で菊野さんが用意してきた豪華セダンに乗り込んだ。
   ちなみに今回、僕は講演をしていない。この「失敗学講演の旅」も、中尾先生の講演に便乗だ。 ここから松山までの旅程もおんぶであれば、この記事もおんぶの形になった。体育会系の御出身だし、 パワーあふれる先輩なので、ここはおんぶしてもらおうと決め込んだ。
   まず向かったのは入船山。中尾先生は本当は水道局に行きたいという希望だったのだが、 まあ途中だしというで寄ることになったようだった。おんぶしてもらっている僕には行き先をどうこう言うことはできない。
   降り立ってまずは腹ごしらえ。見知らぬ街の見知らぬ食堂では、カレーがあればカレーを頼むことになっている。ここで、 「おれはラーメン通だから」ってラーメンなぞ頼むととんでもない目に会うことがことが多い。日本製の市販ルウを使えば、 まずいカレーを作ることは不可能に近い。
   さて、入船山に入ってみると、そこには1998年に国の重要文化財に指定された “旧呉鎮守府司令長官官舎”があった。それはそれは立派な和洋折衷の2階建ての家屋で、しかし、 豪華な調度品や内装を写真に収めるのは忘れ、東京ではまずお目にかかれない縁側や、勝手口の格子窓に気を取られた。 観光客とは気まぐれなものである。

   30分ほども入船山で過ごしたろうか。車に戻って、今度は“水道局”を目指すことになった。 入船山からさらに登り、狭い道をああでもない、こうでもないと走った後、ここに違いないと停車した。
「じゃ、行ってくる」
と言い残して中尾先生が単身、鎖をまたいで上り坂をさらに登って行った。
「水道局って何?」
「さあ。あれ?飯野さん、行かないんですか」
「何も聞いてなくて。菊野さんが案内するのじゃなかったの?」
「僕も初めて聞きましたよ。岡田先生、なんだか知ってますか」
「さぁあ、なんでしょうねぇ」
取り残された3人が不思議な空間に漂っていると、2分もしないで中尾先生が戻ってきた。
「中まで行けなかったよ。でもちょっと見えた」
「......」
「じゃあ、行きましょうか」
「そうですね」
「行きましょう」
   こうして先生と、つままれ三人組は松山を目指して出発した。後でネットで調べると、 どうやらここには、宮原浄水場低区配水池という文化遺産があるらしい。


   一路東に尾道に向い、そこから、“しまなみ海道”に乗った。しまなみ海道とは、 1999年5月に開通した広島県尾道市と愛媛県今治市の間に横たわる島々を11の橋で渡した有料道路である。 正式名称は西瀬戸自動車道だが、愛称のしまなみ海道でよく知られている。ここを舞台にした内田康夫の 「しまなみ幻想」という秀作ミステリーもある。
   尾道側から次々に緑に覆われた島々を渡っていくと、 雨を落とさんとする雲と、そのはるか向こうから光を注がんとする太陽が競い合って不思議な空模様を醸し出していた。 斜張橋、吊橋、と近代橋の技術博物館にでも来たようだ。
   目指すは大三島おおみしまにある大山祇おおやまずみ神社。 ここの国宝・重要文化財の刀剣と甲冑を是非一見して欲しいと菊野さんのお勧めだった。 同神社のパンフレットによるとここで祭られているのは、大山祇神おおやまずみのかみ(男神)である。 日本の神話によると、伊邪那岐神いざなぎのかみ(男神)と伊邪いざ那美なみのかみ(女神)が交わって日本の国土や自然物が形成され、 そして神々も産み落とされていった。その中の一人が山の神、大山祇神である。 カタログには単純に天照あまてらす大神おおみかみ(女神)の兄神と書いてあるが、 これだけ読むと二人兄妹だったかのような錯覚を受ける。
   天照大神が天の岩戸に隠れた話があまりによく知られているので、そう書いたのだろう。日本の神話によると、 伊邪那岐神と伊邪那美神はさんざん生産を営み、最後に火之ひの迦具土神かぐつちのかみを産んだところで伊邪那美神がその出荷口に火傷を負い、 死んで黄泉の国に行ってしまう。伊邪那岐神は怒って火之迦具土神を殺し、伊邪那美神を黄泉の国まで追うが、 その朽ち果てた姿を見て逃げ出し、みそぎ中に左目を洗って生まれたのが天照大神という。
   だから大山祇神と天照大神は単純に兄妹というわけではなく、父親は同じだが兄のみ母がおり、妹は父の染色体だけを受け継いだことになる。 とすると、雌雄が逆転するはずはないのだが、バージン・マリアから生まれたイエス・キリストも逆転したのだから、 単体から生殖をせずに発生した個体は、親体と雌雄が逆転する というのが正しいのかもしれない。 ちなみに伊邪那岐神が鼻を洗った時に生まれたのが、後に天照大神を困らせた須佐之男命すさのおのかみ(男神)である。

   境内を歩いていくと目を引くのが、樹齢2,600年、国の天然記念物に指定されている乎知おちのみこと御手植の楠だ。 いつから2,600年前なのかがよくわからないが、これが正しいとすると紀元前600年ごろ、すなわち縄文後期から弥生時代にかけてのことになる。 よって乎知命の御手植は、『日本書紀』に記された神武天皇の東征と時期を同じくするわけだが、大山祇神社のパンフレットによると、 神武天皇の東征前だとある。ただし、神話上は日本初代の天皇、127歳まで生きたとされる神武天皇自体、その存在を確実にするものはない。『古事記』、『日本書紀』が完成したのが8世紀だから、紀元前の記述は口承に頼った記録、もしくは、ある程度の史実をモデルにしたかもしれないが、 作者の創作である。

   とりあえず拝殿の前で手を合わせ、国宝館受付へと足を運んだのが午後4:40。すると、 午後5時閉館の国宝館への入場は午後4:30で終了ということだった。
「わざわざ東京から遠路来たので、10分だけでも、」と食い下がる菊野さん。
「じゃ、まあ。入口はこの奥ですから」
と受付は突破。しかし、その“奥”が曲者だった。
   10mくらいの緩やかな石段を登ると入口の建物があり、そこには年配の女性が人待ち顔でもなく、 今日も一日終わってやれやれという風情で、我らが近づくと『何者ぞ』という胡散臭げな視線を投げかけてきた。
   ルールを曲げての交渉には最も手ごわいタイプである。しかも、 大阪ではないもののここは関西圏。無理を通す交渉術にかけては敵も百戦錬磨に違いない。先ほどの「...遠路はるばる...」 の手も、ものの見事に粉砕され、『もう、中では閉める段取りをしていますので、、』と言われてあっさり退散することになった。 しきりに悔しがる菊野さん。
「うん、まあそんなに悔しがらなくても、お二人は何を見逃したのかもよくわかってないようだし」と鋭い観察眼の岡田さん。
   こうして一行4人は、大山祇神社を後にし、再びしまなみ海道へと向かって行った。

Part 2>>
(いいの・けんじ)


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