福知山線脱線事故のあと
2005年4月25日、107名の尊い命を奪った福知山線脱線事故が発生した。ちょうどその時、
私は山陽新幹線で近くを通っていた。
事故を知ったのは新居浜の駅で乗り換えの時、大勢の人が食い入るようにテレビモニターを見ていた時だった。
その時はまだ、
死者数十名と報じていた。
その後失敗学会では、2007年大阪夏の大会
[
公開アナウンス
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報告(会員のみ)]で、
この事故でご遺族に講演を聞かせていただき、その演者から、是非事故調の報告書を読み、
思ったことを教えてほしいと
大阪分科会に依頼があった。
この長く詳細にわたる報告書を読み、またその記事を年鑑に発表するため、再び読むことになった。
その結果は
2008年大阪夏の大会で発表
()し、
さらにここに紹介する記事を書いた。
本事故は非常に痛ましく、亡くなった方の苦痛やご遺族の心痛を推し量ろうにもとてもできないことだ。
私達にできることは、せめて同じような事故、同一の原因による災害を少しでも減らすこと。
しかし、この事故に対するその後の対策の報道を見るたび、
どうも運転者の注意力強化にあまりに力を注ぎすぎているのではないかと感じる。人の注意力に頼っていては、
いつまで経ってもこのような災害を防ぐことはできない。同じ運輸業界ながら旅客航空の世界では、
『パイロットは正常な操縦をできなくなることがある』前提で対策を備えている。
今一度、原点に戻って考え直さなければならないのではないか。
[ 飯野謙次 ]
失敗年鑑2005記事
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