失敗学会にとっては5年ぶり、2度目の御巣鷹山慰霊登山である。
前回と異なり、アナウンスはいきなり1週間前、
参加者も4名に限定して行った。2007年、甲府側からの山道の運転に懲りて今回は秩父からにしたのだが、
結局山道を登ることに変わりはなく、厳しい行程だった。
行ってみると前と少し様子が違う。2007年の時から1時間ほど遅く旧駐車場に到着したのだが、
駐車場からあふれた路上駐車が多かった。考えてみるとつい先日の高速ツアーバス事故、
それに福島第一原発事故で家に帰れなくなった人、
“事故”という言葉で済ますことは到底できない人災に見舞われ、
社会制度の不備のために置き場のなくなった心の傷を、
少しでも癒してくれる聖地として、この8・12御巣鷹山慰霊登山が位置づけられているようだ。
この慰霊登山への参加者が増えているのだろう。
登山口から杖をお借りし、昇魂之碑を目指した。
途中、後から登ってきた一団と休憩所で一緒になった。後一息と、
先に昇魂之碑にたどり着いたら報道陣に木陰のベンチが占拠されていた。
ちょうど雨が降ってきたのだが、しかたなく雨に濡れたベンチに腰を下ろして休憩した。
すると、先の一団が追いついて来て報道陣に囲まれ、
花を渡されて順番に昇魂之碑に安全祈願をする撮影の場面となった。
順番にお参りをしなければならないらしく、しばらく見ていた。
なるほど、報道写真とはこうして取るのかと感心した。
しかしこちらも痺れを切らし、「安全の鐘」を鳴らして碑の横を通って登った。
降りるときは結構な雨が降ってきた。雨の予報に用意してきた合羽を着、
滑らぬように慎重に降りた。登山口まで戻ると『お疲れ様でした』の声が嬉しい。
他の3名は、今回が初めての御巣鷹山慰霊登山だった。慰霊の園も訪問しましょうと車を回した。
遺族ではないので、近くの中学校校庭の仮設駐車場に誘導され、乗合バンで慰霊の園まで送り届けられた。
まもなく始まる式典の準備でモニュメントの周りはきれいに飾られ、
御遺族の座席も一つ一つ、それぞれの悲しみを支えるためにきれいに並べて準備されていた。
ひとしきり慰霊碑を巡り、展示室を見て慰霊の園を後にした。私たちは遺族ではないし、
式典にふさわしい格好ではもちろんなかった。長い下り坂を4人で歩いていると、
通りがかった乗合バンが気軽に乗せてくださった。
みなで合議の結果、予定通り温泉に寄ることになった。ヴィラせせらぎで“45分後ね”
と時間を決めてそれぞれの浴場に向かった。匿名の方は女性なのでみなで同じ湯船に入ることはできない。
帰りは来た道をひたすら戻っているうちに暗くなり、秩父に着いたときはガソリンスタンドが閉まる直前。
久野さんのナビで間一髪間に合い、満タン返しができた。
今回、5年ぶりの慰霊登山を思い立ったのはなぜだろうか。
昨年の大阪夏の大会で、
8・12連絡会の美谷島邦子さんに御出講いただいたこともあるだろう。
改めて失敗学会の役割について考える機会を得た。
失敗学では精神論で問題解決はできず、繰り返さないための“仕組み”
を創らねば意味がないと説いている。
しかし精神的鼓舞は、その努力をするための大きな動機付けとなる。
事故のあった1985年、私はアメリカに渡ってちょうど1年経ったときだった。
報道は衝撃的だったが、外国にいたため悲愴感は薄れていたと思う。
今回の登山をきっかけに改めて、1987年6月19日付け、
運輸省航空事故調査委員会報告書を紐解いてみた。
そして、新たな違和感を初めていだくことになる。
どうしても疑問が拭えないのは、後部圧力隔壁の不正修理が事故の直接原因だとして、
なぜそんなことがまかり通ったかということだ。関連する記述は、
“3.2.2. 昭和53年大阪国際空港における事故による損傷の修理作業並びにその後の事故機の運行及び整備点検について”、
さらにその中に引用されている“別添1. 昭和53年6月の大阪国際空港における事故の損傷の修理”にある。
運輸省航空事故調査委員会、航空事故調査報告書、62-2
3 事実を認定した理由 【抜粋】
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3.2 解析
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3.2.2 |
昭和53年大阪国際空港における事故による損傷の修理作業並びにその後の事故機の運行及び整備点検について |
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昭和53年6月の大阪国際空港における事故による損傷の修理(別添1参照)並びに [後略]
(1) 大阪国際空港における事故による損傷の修理について
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(イ) |
日航とボーイング社との間で合意された同機の修理に関する全体計画は、
ほぼ妥当なものであったと考えられる。 |
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(ウ) |
[前略] リベット孔回りのエッジ・マージンが構造修理マニュアルに記載された値より
不足している箇所のあることがボーイング社の検査員によって発見された。[後略] |
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(エ) |
前述したリベットのエッジ・マージンの不足に対しては、
スプライス・プレートを一枚はさんで接続するという修正処置がボーイング社の修理チーム技術員によって指示されたが、
この指示は適切なものであったと考えられる。 |
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(オ) |
実際の修正作業では、
一枚のスプライス・プレートのかわりに修正指示より幅の狭い一枚のスプライス・プレート及び一枚のフィラが用いられ、
(エ)で前述した指示とは異なった不適切な作業となった。なお、このような作業が行われたという記録はない。
[中略]
この作業は、ボーイング社の検査員の点検を受けたが、指示とは異なるものであることを発見できなかった。 |
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(キ) |
ボーイング社の担当した構造修理作業についての検査は、
ボーイング社の検査員により米国連邦航空局の承認を受けたボーイング社の規定に従って行われた。
日航は検査員等により作業項目が契約に定められたとおり行われていることを確認するとともに、
あらかじめ定めた検査項目に立会う等の領収検査を行った。 |
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別添1 昭和53年6月の大阪国際空港における事故の損傷の修理 【抜粋】
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4 同機の修理は、東京国際空港において製造会社であるボーイング社が行うこととなり、
日航とボーイング社との間で修理契約(*2)が結ばれた。
(*2)契約に際して次の合意書が交換された。
Repair Agreement No.6 1171 7 2757,
dated June 10, 1978
その後、本合意書の細部について、一部修正が行われた。
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4.1.3 |
ボーイング社は、修理に用いる部品及び材料を供給する。 |
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4.1.5 |
ボーイング社は、修理、検査結果を FAA Approval Form 337(*4)に記載して、
日航に提出する。 |
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(*4) FAA Approval Form 337は、FAA の Repair station (修理改造認定工場)として修理改造作業の完了に際し
FAA に提出される報告書の様式であり、米国では当該修理機の運航への復帰を法的に認めるために用いるものである。 |
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4.1.6 |
ボーイング社は、FAA(米国連邦航空局)により承認された技術及び方法に基づいて修理作業を行い、
ボーイング社の規程に従って検査を行う。
上記の修理計画は、
損壊を受けた主要構造部材は新造器に使用するものと同一の部材(Production Parts)と交換し、
それらの結合も新造機と同一の結合方法(Production Joint)とするという考えを基本としたものである。 |
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7.2 |
修理作業は、昭和53年6月17日~7月11日の間に行われた。
そのうち、後部圧力隔壁に関する作業は、6月24日~7月1日の間に行われた。 |
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7.3 |
後部圧力隔壁の修理作業(関連作業を含む)は、次のように行われた。 |
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(3) |
[前略] 隔壁下半部のウェブ端面に沿って隔壁上半部の既存のリベット穴に合わせてリベット孔あけを行った。 |
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(4) |
上記作業後の修理チームの検査員による検査において、
後部圧力隔壁下半部の左側のL18接続部のほぼ全域にわたって、
リベット孔回りのエッジ・マージンが構造修理マニュアルに記載された値より不足
するという不具合が見出された。 |
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(5) |
上記不具合の対策として、
別添1の付図-3左側(注:下図では右から2番目)に示すように
エッジ・マージンの不足するウェブの合わせ面に、
1枚のスプライス・プレートをはさむという修正処置が修理チーム技術員から指示された。 |
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(6) |
このような指示にもかかわらず、実際の作業は同図右側(注:下図では一番右)に [中略]
このスプライス・プレート及びフィラは、取り外した旧隔壁から製作された。 |
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この報告書の図は、下図の右2つである。左2つは、
アメリカ空軍の報告
“THREATS TO AIRCRAFT STRUCTURAL SAFETY, INCLUDING A COMPENDIUM OF SELECTED STRUCTURAL ACCIDENTS / INCIDENTS”
を見ながら作成した。
第3の違和感は、FAAの報告様式を流用(別添1-4.1.5)してそれで良しとしていたことである。
FAAはあくまでも米国内の安全を考える機関であって、外国の空を飛ぶ飛行機の安全を保証するものではない。
その様式を使ったからといって、ボーイングが緊張しながらサインをしたとは思えない。
これが米国内の機体修理であれば、ボーイングが同じようにサインしたかはなはだ疑問である。
また、どうやら修理を間に合わせるために、日航所有の旧隔壁から修理用の部材を切り出したいと提案して了承されたようである。
なぜだろうか。
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ひょっとして修理を予定期間内に終わらせようという、日本特有の期日の縛りが強かったのだろうか。
安全を優先するなら、
用意された隔壁下半部の寸法が足りないのだから新しい寸法で作り直して欲しいというのが自然だろう。
もちろんそうしていたら、圧力隔壁の修理終了は7月1日には間に合わなかったと思われる。
誰がどこまで知っていたかはこの調査報告書を読んだだけでは判然としない。
それにしても、ボーイングの検査員と修理技師、日航と修理業者ボーイング、
これらの間にコミュニケーションギャップがあったことは歴然としている。
運輸省航空事故調査委員会報告書は、
- 修理作業の計画及び作業管理を慎重に行い、指導の徹底を図る
- 大規模修理では、特別の点検項目を設け継続監視し、指導の徹底を図る
- 後部圧力隔壁等の損壊後における周辺構造・機能システム等のフェール・セーフ性に関する規定を検討すること
を勧告としてまとめている。3点目については、全油圧システムの機能損失がないようボーイングが設計変更をした。
ついでに、ストラップを強化して後部圧力隔壁強度も上げた。
1、2点目については、合意した手順からの逸脱がないよう厳しく管理することだが、
その前に、現場のコミュニケーションを良くする必要がある。
自分たちが所有する旧隔壁から継ぎ板を切り出すことを許し、
さらに幅が足りなかったからともう一枚切り出した上に構造まで変えてしまったのを、
知らなかったのではあまりに情けない。
アメリカの現場作業員は一流企業の人であれ、ガラが悪いことが多い。
気に入らないことがあると怒鳴り散らすし、全ての工具には“クソッタレ”
に相当する(否、もっと下品な)接頭語がつく。
鬼の形相に居直られて竦んでいたのでは国際社会で対等に渡り合うことはできない。
サラダはほどほどにし、もっと肉を食らって英語で怒鳴りあう練習をしなければならない。
【飯野謙次】