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失敗学講演の旅 19 Part3

弘法大師の肉声を聞く

(Part 1 はこちら)
(Part 2 はこちら)

 善通寺ホームページによると、 総面積は45,000平米、東京ドームの建築面積よりわずかに小さい。境内は伽藍という東院と、 誕生院と呼ばれる西院、そして西院から済世橋をさらに西に渡ったところに大きな駐車場がある。

 最初にたどり着いた南大門は、善通寺駅方面から歩いてきた時の入口、東院の南側にある。 東院には五重塔、大楠の他、善通寺本堂である金堂がある。金堂の中をのぞいてみたが、ほとんどのお寺がそうであるように暗くてよくわからない。 しかしこのお寺は良心的だ。横のお堂に小さめのレプリカが展示してあり、こちらは金ピカの仏様がでんと座しておられるのがよくわかる。 しかし本物ではないからなのか、私が訪れた時は他にだれもいなかった。

 西院に向かう細い通りの入口、 中門の左右に五百羅漢が配されている。ウィキによると羅漢は正式には阿羅漢。サンスクリット語 "arahat" の主格 "arahan" の音からということだ。 私の少し前の世代は“アラカン”と聞くと嵐寛寿郎を思い、私の世代はその真似をしていた笑点の林家木久蔵(現在は木久扇[きくおう])を思い出す。 その時々の文化やもっと世俗的な流行で人の語感は変わる。
 500もの仏様を全て見たわけではないが、ここの羅漢は身近な感じがしておもしろい。 “あ、こんなおっちゃん、この間飲み屋で見たよ” と思わず笑ってしまいそうになるものや、やたらおなかの出たメタボの仏さんまでいろいろだ。ウィキの有名どころリストに載っていないのは、比較的新しいからだろうか。 写真の石碑には、善通寺創建千弐百年記念と刻まれており、先の善通寺ホームページでは、創建807年とあるから、この500羅漢ができたのは、2007年のこととなる。

 西院に渡る通りを抜けると、二体の金剛力士像に守られた仁王門がある。 阿吽の睨みをかいくぐってその先の回廊を抜けると、いよいよ弘法大師生誕の場所とされる御影堂だ。 もちろん、このような立派なお堂が最初からあったわけではなく、佐伯家の邸宅地に後からこのお堂を建てている。
 お堂に上がってみると受付があり、戒壇めぐりと宝物館拝観500円也の切符を売っている。 宝物館を見たいと思って切符を購入したのだけど、戒壇めぐりを抜けたところに入口がありますと言われた。
 長野県善光寺の戒壇巡りに行ったことがある。それは夏休み中のことで大変な人出だった。 戒壇巡りも列を作って入口の階段を降りたので、壁を伝っているのか、前の人にぶつからないようその背中に手を置いているのかよくわからないままだった。 後ろのおばちゃんもずっと私の背中に手を置いていたので、見知らぬどうしが長い電車ごっこをしているようなものだった。

 幸い今回は周りに誰もいなく、1人で静かに弘法大師様との結縁に向かった。 結縁とかいて“けちえん”と読む。 一般的な“けつえん”、すなわち血族の結婚等で親類になることと区別するため、 仏と縁を結ぶ時は読みを変えたのだろうか。
 前後に人が全くいない状態で真っ暗な回廊を巡ると妙な気分に襲われる。 注意書きにしたがって壁に沿わせた左手には、一身の全神経が集中していた。 何度か角を回ったあと、どこにセンサーがあるのか足元を照らす明かりがほの暗く灯いた。 そして音が流れ出し、弘法大師様の声が響いてきた。 よくわからないなあとしばらく見ていたが、ふと足が前に進むと急に室内が明るくなった。
 後ろから押してくる人もなかったので、第一段階の明かりで立ち止まってしまったから中途半端な照明になっていたのだ。 その声は最近の技術を使い、古い肖像画などから、もし生きていたらこんな声だったというのを再現しているらしい。 人をひれ伏させるような野太い声だった。
 ばち当たりなことに、どこにセンサーがあるのか探すのに気を取られて説法の内容は忘れてしまった。 エンジニアのさがである。ついでに通路の壁に仏様の姿が描きこまれているのが、結縁の間の明かりに照らされてわかった。 スピーカーには "BOSE" のロゴと、世俗的なことにまで気がついてしまった。
 結縁の儀を終え、再び真っ暗な回廊に戻った。やがてほんのりと灯りが見え、もといた世界に戻るのぼり階段が見えてきた。 社会に戻るのはいやだとそこでがんばってみたところで、すぐに追い出されるに決まっている。 暗黒の回廊を通り、弘法大師の肉声を耳にして再び暗黒を通って現世に戻る。 この不思議体験は他にはない。観光客で溢れかえった有名どころの寺院での経験は似て非なるものだった。

 お目当ての宝物も無事拝観でき、御影堂を出てそぞろ歩きをしていると目立たぬところに閻魔様を見つけた。 嘘をつくと舌を抜いてしまう恐い神様だ。 しかし最近は、そう言って子供を叱っている親を見ることも少なくなった。日本は無神を信条とする人が多い。 だからこそお盆には墓参り、受験生が家族にいると神社に出かけ、クリスマスを祝う。 そのうちラマダンを実践する人も出てきても不思議ではない。
 日本では信教の自由が憲法で保障されているので、公立学校での道徳教育はいかに宗教色を出さないかということがむずかしい。 宗教ではないが国家斉唱、国旗掲揚に関して大阪での物議が耳に新しい。

 個人の自由を謳うと、その個人の集まりからなる集団をまとめることはむずかしい。 その国歌で“自由をまもる正義のための戦い”を讃えるアメリカには、"Pledge of Allegiance(忠誠の誓い)" があり、学校始業時や国会の開始時に暗唱される。星条旗とアメリカ合衆国への忠誠を声に出すのだが、4回なされた改訂の最後は1954年のこと、“国家” が “神の下の国家” と ". . one nation under God . ." の太字2文字が加えられた。
 この2文字が2000年代になって大きな論争の種となった。すなわち、個人の自由に反すると喧々諤々の議論が今も続いている。 最高裁による生徒に強制はできないという判決もあれば、控訴裁判所による“神”への言及は生徒の自由を侵すものではないとの判断もある。 1969年にこの論争を言い当てたコメディアンがいる。Red Skelton の4分ほどのスキットがそれを紹介している。 英語ヒアリングに自信がある方はこのリンク をクリックして視聴すると良いだろう。忠誠の誓いをわかりやすく解説した上で、最後に "under God の2文字が加えられたことで、この誓いが教育現場から消えてしまったらなんて残念なことだろう" で締めくくっている。
 現在、学校にその暗唱を奨励しているのはアメリカ50州のうち半分程度である。

(第19回終了)
【飯野謙次】

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