特定非営利活動法人失敗学会 |
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(フルバージョンはこちら )春合宿2013 (失敗学フォーラム 108) Part 1参加者: 飯野謙次, 一安洋二, 岩崎雅昭, 岡田敏明, 小田烈弘, 斉藤貞幸, 佐々木英三, 佐々正光, 佐藤公一, 三田薫, 平和昭, 平真寿美, 茶木康友, 高野正志, 中根和誠, 野村明宏, 原口文徳, 平松雅伸, 福本喜枝, 渕上高義, 横井祐一(会員21名) 【一般参加】木村経世(一般1名) [25日から参加] 浅井香葉, 黒澤愼輔, 薄知香志, 寅岩和彦, 中尾政之 三谷洋(会員6名) [25日夜から参加] 中尾英和(会員1名) 失敗学会有志が初めて宿泊を兼ねた旅行をしたのは、2007年の御巣鷹山慰霊登山であった。8月12日だったから春ではなかったし大阪分科会の計画でもなかった。しかしこれを機会に翌年から大阪分科会を中心として、せっかく遠くまで出かけるのだから知見を深める訪問をした時は、宿泊をして周りにもあるだろう学ぶチャンスを生かそうとなった。年に一度であればそれほど負担にもならないだろう。こうして春合宿が始まった。 計画は結構大変だが、これが失敗学会の活動をしていて一番楽しみなイベントとなった。リピーターも多く、なぜか春になると“あの人来るんだろうな” と再会を期待するようになるのも不思議な感覚である。下グラフは、参加者数の変遷。御巣鷹山慰霊登山では1泊2日だったのを、2010年の瀬戸内からは2泊3日となったので、さらに下のグラフには延べ参加人日を示している。 今回は行程も長かったため、最初から貸し切りバスにした。東北ということもあり、東京からの参加が例年より多く、3日間のバス旅行で疲れないよう、座席に余裕を持たせて大型をチャーターすることにした。 計画は失敗学会自慢の事務局ペアが、トイレ休憩のタイミングから昼食のアレンジまで、しっかり段取りを決めてくれた。大いに感謝したい。兵糧をきちんと考えなければ遠征に負けるのは昔からの知恵である。こうして一同は、九州、大阪、名古屋、東京、さらに地元福島から新白河駅西口に集結した。 この2月に、たまたま福島県飯坂温泉で講演をしていた私は、その伝手を頼って、厚顔にもどこか工場見学ができないだろうかとお願いをしていた。そして、住友ゴム白河工場への訪問が実現した。 工場に到着して、まず目を惹くのが植え込みに刻まれた DUNLOP の文字である。今グーグルマップで見てみても、航空写真にくっきりとそれは見える。 私の大学生時代は、スポーツといえばテニスとスキーだった。洗練されたイメージと、バイトで貯めたお小遣いで楽しめたのが理由だろう。そして何よりも気軽に女子学生を誘う格好の言い訳ができた。 当時は、女子学生から研究室付きの秘書さん、他大学の学生さんと様々なイベントを計画しては実行した。取って食べてしまうようなおいしい思いはついぞなかったが、今でも食の嗜好は肉食のため、血液検査表の赤い文字がなかなか消えてくれない。 そのころのプロテニスと言えば、無敵に思えたボルグと悪がきマッケンローの対決が面白かった。1980年の Wimbledon はフルセットの末、ボルグが5連覇をなし、その翌年は DUNLOP のラケットを手にしたマッケンローが雪辱を果たした。そして、1983年からはやはり DUNLOP のグラファイトラケット Max 200G に持ち変えるのだが、このモデルは女子のステフィ・グラフも愛用し、ヨネックス一辺倒だったナブラチロワまでこっそり使ったというのだからすごい。 この Wimbledon の歴史を調べてみると、日本はまだ明治10年だった1877年に始まったとある。そして 1902年から DUNLOP のスレジンガーが公式球として採用されている。 一方、DUNLOP の歴史は 1888年に始まる。息子の三輪車のために圧縮空気で膨らますタイヤを、スコットランド人、ジョン・ダンロップが考え出したのだ。翌1889年には Dunlop Pneumatic Tyre Co. Ltd. が設立されたが、その特許権は1845年に発明家トムソン (Robert William Thomson) に先んじられていたため認められなかった。Dunlop の空気タイヤはよく売れたが設立10年後にして会社は苦境に立ち、事業部門の身売りが始まり、1985年にはイギリスのコングロマリット BTR plcに吸収されてしまう。日本、台湾、韓国向けのスポーツ用品部門が住友ゴムの子会社に買収されたのは 1963年のことである。 その名前は世界各国で、タイヤ、テニス用品、ゴルフ用品、スポーツウェアに残されているが、商売としては成功しなかったジョン・ダンロップの功績は大きい。あるいは商売にはあまり興味がなかったのかもしれない。 以下、宿題の合宿後感想文を送ってくださった参加者から、住友ゴム白河工場を訪ねた感想を記す。
【飯野謙次】
参考文献
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