2014年失敗学フォーラムより

2014/6/24
失敗学会・吉岡律夫

失敗学会は、福島原発事故に関連して、2014年度に、下記の2回のフォーラムを開催しました。そこでの討議の主な結果を以下に紹介します。なお、本メモは、6/24時点で筆者が取りまとめたものですが、今後、古川元晴、淵上正朗、飯野謙次の各位との議論で、訂正する可能性や、連名文書とする可能性があります。

1回目:2014年2月22日
「3.11原発過酷事故と東電等の刑事責任−「未知の危険」と「危惧感説」の再評価-」
講演者:古川元晴
パネリスト:畑村洋太郎、古川元晴、吉岡律夫
司会:淵上正朗
2回目:2014年6月21日
「『東電等の刑事責任』- 再稼動云々の前に白黒つけたいことがある -」
講演者;古川元晴、淵上正朗、吉岡律夫、後藤政志、中尾政之
司会:飯野謙次

討論の主な内容:
現行法理論には2つあり、その1つは「既知の危険の限度で刑事責任を問う」というものですが、これでは複雑化・高度化した近代科学技術のシステムには対応できません。即ち、過去に起きたことがある(既知の)事故を基にするだけでは、起きたことがない事故(未知の危険)は防止できません。また、全く新しい科学技術に対しては、経験が無いわけだから、事故が起きても仕方が無いことになってしまいます。
もう1つは、これに代わるものとして、1960年代から提唱されている「危惧感説」です[Ref.1と2]。ここで危惧感とは「虫の知らせや第6感のような単なる予感ではなく、科学的に予見すること」を意味しています。そして「高度の安全義務を課されている事業者には、科学的な予見により、今までに事故が起きていなくても、未来の危険を予見し、回避する義務がある」という学説です。危惧感説というと、人間の曖昧な思いに重きを置くような説と取られかねないので、後述のように回避措置重心説と称することもあります。
このことは、最新の安全工学の思想、つまり「起きると予想される危険(潜在危険)を洗い出し、リスクとベネフィットのバランス点で設計を行う」という思想、つまり『リスクによる予見と回避思想』と比べると、法理論の危惧感説とほぼ同等と言えます。

[Ref.1] 古川元晴「3.11原発過酷事故と東電等の刑事責任 ―「未知の危険」と「危惧感説」の再評価」法と経済のジャーナル、2014年3月10日号http://judiciary.asahi.com/fukabori/2014030700001.html
[Ref.2] 古川元晴「なぜ日本では大事故が裁かれないのか : 過失を裁く法理の再検討」世界、pp.167-176、2014年6月号

今回のフォーラムのテーマである福島原発事故に関して、議論となった項目は以下の4点です。
@事故は誰の行為に起因して発生したか?
Aどうすれば事故を回避できたか?
B当該状況下で上記回避措置を講じることはできたか?
C当該状況下で事故に対する予見は可能であったか?
@に関しては、本フォーラムでは、当事者の刑事責任を問うことを目的としていません。その理由は、失敗学においては、責任追及をすることは目的ではなく、事故の原因を明確にして、未来の事故を防ぐことが目的だからです。従って、今回の議論の対象外としました。
また、ABの回避措置に関しては、防潮堤のような莫大な経費が掛かる対策は不要で、防水措置や、電源車・給水車の配備などで対応できたはず、との説明がありました[Ref.3]。なお、「全電源喪失後に回避が可能だったか?」については議論の対象としませんでした。この理由は、福島原発事故は全電源喪失が起きないように対策しなかったことが根本原因だと考えているからです。
従って、残るCについて、主に議論がなされました。

[Ref.3]淵上正朗、笠原直人、畑村洋太郎「福島原発で何が起こったか」日刊工業新聞社、2012年

所で、上記の科学的予見とは「リスク」をどう評価するかということです。安全工学では、リスクRは、事故発生確率P(Probability)と、過酷度C(被害の大きさ:Consequence)、の組み合わせで、通常、掛け算と仮定しています。数式で書くと、「R=P×C」です。今回の問題は、発生確率Pと過酷度Cの両方にあります。

1)発生確率の問題
今回の福島原発事故は地震による津波来襲が直接原因であったことは明らかです。従って、津波来襲の確率を科学的に予見できたかどうかが問題になります。これに関して、文部科学省・地震調査研究推進本部(以下、推本)[Ref.4]は、下記のような見解を示しています。
「明治三陸地震と同様の地震は、三陸沖北部から房総沖の海域寄りのどこでも発生する可能性がある」
福島沖での地震発生による津波予測はどの程度だったかは不明ですが「福島沖の更に沖合を含む日本海溝沿いのどこかで、M8.2の大地震が起きる確率が20%である」と示されています。
この推本見解を基に、東電は、平成20年3月「福島原発においては15.7mの津波が予測される」という結果を得ていました。

[Ref.4] 地震調査研究推進本部・地震調査委員会「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」平成14年7月31日  http://www.jishin.go.jp/main/chousa/kaikou_pdf/sanriku_boso.pdf

なお、実際に2011.3.11に起きた地震の震源は右図の通りで、宮城沖を震源とし、三陸〜茨城沖、沖合〜海溝付近までをも含む広い範囲が同時に滑ったとされています。地震学的には、上記の予測とは地震が起きた仕組みが異なるとされています。
一方、地震の規模については、予測のM8.2を遥かに超える広い範囲で起きた為、M9の巨大地震となりましたが、発生場所が福島原発より遠方であった為、津波高さとしては(運よく)予測程度で収まったと考えられます。

なお、実際の地震と比較すること自体は、今回の議論とは直接関係ありません。「3.11以前に予見できて、回避できたか?」が、今回の主題だからです。このことの妥当性については、今後、補記していく積りです。
従って、上記の推本見解という科学的予見を基に、津波対策をしていれば、事故は回避できたはず、と考えられます。しかし、結果として、そうなりませんでした。例えば、平成18年の中央防災会議[Ref.5]では、福島沖の地震可能性が無視され、2011年までほぼこの状態が続きました。但し、推本における科学的予見は、無視されたものの、数値自体が否定された訳ではありません。
これらの理由については、筆者らは、
@福島沖は、今まで巨大地震・巨大津波が起きたことがない「空白域」ということが知られており「ここが他の震源域と連動して巨大地震となることはない」というアスペルティ理論が地震学者の間で広く信じられていたこと、
A過去数百年の大地震や大津波は三陸沖が多く、房総寄りの南の海域では起きないだろうという思い込みがあったこと、
B貞観津波に関する産業技術総合研究所見解に関して、当時、東電本店所属だった吉田昌郎氏が、武藤副社長を説得し、福島原発周辺を掘削して、貞観津波の痕跡は無かったとの調査結果から、福島沖に巨大津波の危険性はないとしたこと(政府事故調査報告書より)、
などについて検討しましたが、これらの理由は3.11の巨大地震自体を予測できなかった理由にすぎないとの意見もあり、これらの経緯は今後、明確にする必要があると考えます。

[Ref.5] 中央防災会議「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に係る被害想定手法について」、平成18年1月23日  http://www.bousai.go.jp/kaigirep/chuobou/senmon/nihonkaiko_chisimajishin/17/pdf/siryou1.pdf

2)過酷度の問題
上記のR=P×C式において、過酷度も問題です。福島原発事故では放射能による直接の死者はいません。「甲状腺がんの発生は事故と関係なく、甲状腺がんでは死亡しない」と医学者は説明しています。一方、10万人以上が避難し、ストレス等で死亡したことに関して、事故との関連が認定された例もあります。
しかし、今回のフォーラムの目的は、最初に述べたように、当事者の刑事責任を問うことではありません。繰り返しですが、「3.11以前に予見できて、回避できたか?」が、今回の主題だからです。

結論:
以上で、福島原発事故の直接原因である津波と事故結果に関しては「科学的に予見され、かつ回避措置が可能であった」という本フォーラムでの命題はほぼ証明されたと考えます。なお、本件の討議の中で、幾つかの重要な指摘があったので、それらを紹介しておきます。

@回避措置重心説
危惧感説は回避措置に重心を置いた説であり、「予見可能性は、回避措置を決めるために必要だが、回避措置は予見可能性から独立しており、『何が起きるか』が分からないと、事故を回避する対策がとれないので、予見は必要だが、確実に予見できる『既知の危険』に限定されず、高度の安全義務が課される業務の場合には、不確実であっても科学的に予見できる『未知の危険』であってもよい」という学説です。不確実であっても科学的な根拠のある「未知の危険」につき、予見可能性からではなく、「社会的に許された危険か、許されていない危険か」によって回避措置をとるべきか否かを判断するというものです。事故の確率予測値の如何という次元の判断とは全く異なる判断方法です。高度化した近代科学技術のシステムに対応するには、今後、こういう考えが主流になっていくべきではないか、と思います。
なお、本項目に関連した事実としては、経産省傘下の機関が、原発に津波が来襲した場合の研究結果を公開しており、全電源喪失で炉心冷却が出来ないと、炉心が熔融し、大量の放射能が流出する、との結果を示していました[Ref.6]。また全電源喪失が起きた場合の対策も検討していました[Ref.7]。これらの経緯は、上記のように、津波の予見可能性は事故を回避する措置を提示する為の設定であったと考えられます。

[Ref.6]「地震に係る確率論的安全評価手法の改良」原子力安全基盤機構、JNES/SAE08−006、2008年 http://www.nsr.go.jp/archive/jnes/atom-library/seika/000010427.pdf
[Ref.7]「改良型軽水炉のシビアアクシデント対策に係る検討」原子力安全基盤機構、JNES/SAE09−022、2009年 https://www.nsr.go.jp/archive/jnes/atom-library/seika/000010529.pdf

A専門家の注意義務
危惧感説及びこれに沿う判例によれば「万全の安全を保障すべき事業者は、万が一にも結果を発生させることがないよう、万全の措置をとる義務がある」とされており、原発の設計・運転・規制に関わる関係者は高度な注意義務が課せられています。従って「業務従事者は一般人より高い注意義務があり、その能力を使わなかったならば、大きな責任がある」とされています。
欧米で最も高名な安全工学者である英国のJ.リーズン教授と、米国MITのN.レブソン教授は、彼らの著書で全く同じことを言っています[Ref.8と9]。即ち、事故の根本原因は、結局は安全文化の問題であり「安全文化とは用心深さの文化である」と述べています。原発の設計・運転・規制に関わる組織と、それを構成する個人は、十分に用心深いのか?が検証されなければなりません。

[Ref.8] J.リーズン「保守事故」日科技連、2005年
[Ref.9] N.レブソン「セーフウェア」翔泳社、2007年

B条理による判断
最高裁判例は、注意義務の判断基準を「条理」つまり社会一般の常識に依るとしています。そして、最近の大飯原発に係る福井地裁判決は「万が一にも過酷事故を起こさないように万全の措置をとるというのが当然の社会的要請であり、条理である」としています[Ref.10]。一方、IAEA(国際原子力機関)は、過酷事故の目標値を10-4/年として、その限度での危険を許容しており、日本の規制当局もこの値を参考としています。このように両者では判断基準が異なります。しかし、科学的な事故発生確率というのはあくまでも科学専門家による科学的な判断方法であり、それが社会的に許容され得るかどうかは、その科学的な判断を尊重しつつも、最終的には「条理つまり一般人の常識や社会の要請の方が上位にある」ので、その判断によって決めるというのが法律的な考えです。このことが常に安全側とは限りませんが、我々の社会は、このような原理を採用していると考えられます。

[Ref.10] 大飯原発差止請求事件に係る福井地裁平成26.5.21判決「過酷事故を招く具体的危険性が万が一にでもあれば、その差し止めが認められるのは当然」http://www.cnic.jp/wp/wp-content/uploads/2014/05/e3ebefe20517ee37fc0628ed32be1df5.pdf

最後に: 工学とは計算できるものしか扱えません。従って、法理論との接点や協同がありえる、という発想は工学者には思いもよらないことでした。日本の学会の殆どは理系か文系かで二分されており、工学や法学など各分野の専門家が結集している失敗学会ならではの協同作業だったと思います。