失敗事例

事例名称 水島のタンク破損による重油流出
代表図
事例発生日付 1974年12月18日
事例発生地 岡山県倉敷市水島海岸通り4丁目2番地
事例発生場所 三菱石油(株)水島製油所
機器 ドームルーフタンク
事例概要 1974年12月18日、瀬戸内海に面した製油所で、ドームルーフタンクの溶接部に割れが発生し、重油が漏洩した。重油の移送に失敗し、タンクの直立階段の転倒で防油堤が破壊し、流出した重油が排水溝を経て瀬戸内海へ拡散した。海上でのオイルフェンスの展張作業も難航し、重油の流出量は約8万キロリットルにも及び、瀬戸内海の1/3が汚染されるという空前の大事故となった。直立階段の設置工事をタンクの水張り検査中に行い、基礎固めが不十分で基礎地盤が局所的に沈下し、タンク本体に過大な応力が作用したことが、割れの原因である。本事例を契機として石油コンビナート等災害防止法が制定され、また消防法が改正された。
事象 三菱石油(株)水島製油所のタンクヤードで5万キロリットルのドームルーフタンクにC重油を受入れていたところ、タンクの液位が17mに達した頃、タンク底部から油が漏れているのをパトロール中の係員が発見し操油課に通報した(図2、図3、図4参照)。宿直長は当該タンクの油を隣接タンクに移し変えるように指示した。係員が移送バルブを開いたところ、振動音を伴って大量の油が噴出し始めた。宿直長は油の噴出状況をみて全装置の緊急停止を指示するとともに消防署、海上保安庁等の関係機関に通報した。しばらくしてタンクの昇降階段(高さ19.65m、直立階段)付近の基礎部が陥没し、山砂及び砕石を押し流したため直立階段が転倒して防油堤を破壊させた(図5参照)。このため防油堤は用をなさず、流出した油が排水溝を経て瀬戸内海に拡散していった。強い風波と夜間のオイルフェンス展張作業が難航したこともあって、油の流出量は約8万キロリットル(隣接タンクから逆流したものも含む)にも及び、瀬戸内海の1/3が汚染されるという空前の大事故となった(図6参照)。流出油の損害は15億円程度にもかかわらず沿岸漁民に対する補償、流出油の回収費用及び長期操業停止などを含めると約500億円にも及ぶ膨大な損害額となった。この賠償についてユーザー、エンジニアリング会社、タンク建設会社、基礎施工会社の4社の間で長期間に渡る裁判が争われた。本事例を契機として1975年に石油コンビナート等災害防止法が制定され、線から面への規制が強化された。また1979年に消防法が大幅に改正され、タンクの基礎、本体、防油堤、その他流出防止措置に関する技術基準が詳細に規定され、さらに定期開放検査が義務付けられた。
発災タンク(直径52.3m、高さ23.67m、最下段の側板厚さ27mm、材質60キロ級高張力鋼)は使用を開始してから9ヶ月しか経っていない。破壊の発生箇所は直立階段が設置されたタンクの底部で、最下段の側板とアニュラー板(厚さ12mm、材質60キロ級高張力鋼)のすみ肉溶接部から割れが発生していた。この割れは円周方向に約13m、すみ肉溶接部からタンク中心に向かって底板(厚さ9mm、材質SS400)まで約3mに達している。また、ドーム屋根は油の急激な流出によってバキューム状態となり陥没し、中心を通って真二つに破断している。
事故当日は前夜中の雨が朝まで残っており、防油堤内は地盤の不等沈下によって水びたしとなっていた。タンクの地盤はサンドマットの上に砕石を敷き詰め、さらにその上に山砂で盛土している。地盤を圧密するためにタンクに水を張る方法が採用された。しかし、工事計画のミスにより、タンク本体の完成後に直立階段を単独で設置した。このとき、水張り水位12mのままタンク直近の基礎をタンク外周に沿って約5m、側板から中心方向に約0.4m掘削し、直立階段の基礎が打設された。工事終了後に埋め戻されたが、作業の困難さがあり十分には締め固められなかったと推定される。このため、直立階段付近の不等沈下量が約160mmと最も激しかった。基礎の山砂は集中した雨水が砕石層へと流入する過程で運び去られるとともに、含水によって強度が低下し、支持地盤の局部的破壊、さらにアニュラー板にき裂が発生し事故に至ったものとみられている。
経過 発災タンクは1973年12月15日に完成検査が行われ、1974年3月から使用開始された。
事故当日の20時20分頃、操油課員が発災タンク等のミキサーの点検のため、発災タンクの西側と北側をパトロールし、異常を認めなかった。この時、油が漏洩したタンク東側はパトロールしていなかった。20時40分頃、パトロール保安員が定時パトロールのため、タンク東側を通行中、発災タンクの直立階段付近タンク上部(底部から約5~6m程度上部)から幅30cm位で油が吹き出すように落下しているのを発見した。この時点においては、防油堤の中には油は溜っていなかった。油の漏洩を報告し再び戻ってきたときには、油は幅1m位で前よりも高く、一層激しく吹き出ており、防油堤内にはかなりの油が溜っていた。
20時50分頃、直接脱硫装置から発災タンクへの送油を、隣接しているタンクへの送油に変更するために、バルブ操作を行い、次いで、21時05分頃、発災タンクから隣接タンクへ油面高さの差を利用して送油するためにバルブ操作を行ったが、その後、大音響と共に大量の油が流出した。このためバルブの閉鎖ができなくなり、バルブが閉鎖される23時15分頃までに隣接タンクに収容されていた油の内、約6500キロリットルが発災タンクを通じて流出した。流出した油の総量は約43000キロリットルである。
しばらくして直立階段付近の基礎部が陥没し、直立階段が転倒して防油堤を破壊した。このため、防油堤外に油が流出し、そのうちの7500~9500リットルが海上に流出した。海上へ流出した油の拡散を防止するため、水島港入口周辺数箇所にオイルフェンスが展張されたが、19日夕方には水島港外へ流出し、日時の経過とともに広範囲に拡がった。
原因 ・不完全な基礎工事
タンクの水張り検査中に、直立階段の設置工事を行ったために、その部分の基礎が十分に締め固められなかったと推定される。このため、タンクの荷重により基礎地盤の局所的な沈下が進行し、タンク本体に過大な応力が作用して、タンクの破壊に至った。
・完成後の直立階段の設置
完成後の直立階段の設置に際してタンク本体に発生する応力について、十分な検討が行われなかった。
対処 重油が広がることを防ぐために、オイルフェンスの展張作業を行った。しかし、重油の流出量が非常に多かったことと、強風のために展張作業は難航し、広範囲にわたって重油が拡散してしまった。
対策 本事故を契機として1975年に石油コンビナート等災害防止法が制定され、線から面への規制が強化された。また1979年に消防法が大幅に改正されタンクの基礎、本体、防油堤、その他流出防止措置に関する技術基準が詳細に規定され、さらに不等沈下を計測する等の定期開放検査が義務付けられた。
線から面への規制の強化については、従来、保安確保のため、保安物件との保安距離、タンク間距離や火気からの距離といった距離(線)での規制であったものが、石油コンビナート等災害防止法では、石油や高圧ガスを大量に集積するコンビナートを「石油コンビナート等特別防災区域」に指定(全国で75箇所)したことが特徴となっており、事業所内に製造施設地区、貯蔵施設地区、事務管理施設地区等に区分し、その面積と配置を規制すると共に、各施設地区の面積に応じた防災通路(特定通路)の幅員を定めるなどエリア(面)による規制が定められた。
知識化 ・基礎工事全体の統括
今回の事故は、タンクの基礎を整備した後に直立階段を設置したために、地盤の強度が得られずタンク破壊に至った。このため、基礎工事等の重要な工事においては、全体を統括する立場の技術者の判断が必要であり、その統括のもとで各施工業者が緊密に連絡を取り合い、きちんとした計画を立てることが重要である。
・付加物の溶接取付け
機器の完成後に付加物を溶接で取付けると、溶接部に拘束による二次応力が発生し、また機器の本体にも付加的な応力が発生し、破壊事故の原因となることが多い。付加物の溶接取付けは、機器の設計のやり直しと認識すべきである。また、以後の検査も一定期間強化すべきである。
シナリオ
主シナリオ 組織運営不良、運営の硬直化、情報連絡不足、全体統括の不在、価値観不良、安全意識不良、リスク認識不足、調査・検討の不足、仮想演習不足、想像力不足、計画・設計、計画不良、付加物の溶接取付け、破損、破壊・損傷、亀裂・割れ、破損、大規模破損、漏洩、二次災害、環境破壊、海上汚染、組織の損失、経済的損失
情報源 (1)三菱石油水島製油所タンク事故原因調査報告書(昭和50年12月8日)、三菱石油水島製油所タンク事故原因調査委員会
(2)三菱石油流出事故の概要(昭和50年3月)、岡山県
死者数 0
負傷者数 0
物的被害 ドームルーフタンク,のり,わかめ及びハマチの養殖などに甚大な被害
被害金額 約15億円
全経済損失 約500億円
マルチメディアファイル 図2.製油所の場所
図3.製油所
図4.T-270設置場所
図5.事故発生施設の破損概要
図6.流出油の拡散状況
分野 材料
データ作成者 赤塚 広隆 (高圧ガス保安協会)
小林 英男 (東京工業大学)