失敗事例

事例名称 脱臭缶加熱コイルの穴あきによる食用油へのPCB混入
代表図
事例発生日付 1968年02月
事例発生地 福岡県 北九州市
機器 食用油精製工程の脱臭缶
事例概要 1968年2月下旬から3月にかけてカネミ倉庫のダーク油(食用油を製造する過程の脱臭工程で分離される脂肪酸を主とした副産物)を使った配合飼料によって西日本一帯の養鶏場で鶏が呼吸困難になるなどの奇病が発生し、40万羽にものぼる大量死が発生した。人への被害は同年6月ごろから8月にかけ起こりはじめ、西日本一帯で吹き出物、内臓疾患を訴える、いわゆる油症患者が続出した。同年10月、患者の一人が使用中のカネミ倉庫のライスオイルを保健所に提出、九州大学医学部および福岡県衛生部の調査、研究の結果、PCBの混入したライスオイルが原因と結論された。カネミ倉庫では同年1月末から2月にかけて脱臭工程のPCBが異常に減少した際、漫然とこれを補充して運転を継続し、結果として280kgものPCBをライスオイル中に混入させた。さらにこの事実が判明後、回収したドラム缶3本分のライスオイルを廃棄せず、正常油と混ぜて再脱臭し、販売した。届け出患者は14,000人に達した。なお患者の健康被害はPCBそのものよりもこれから変質して生成したダイオキシン類による部分が大きいとの説も提唱されている。
事象 PCBの混入については次の2経路が主張された。
(経路1:ピンホール説)6基ある脱臭缶の中のNo.6脱臭缶においてPCBの熱分解により発生した塩化水素により、SUS316製溶接チューブ(40mmφ、2mmt)のコイルの鋭敏化していたシーム溶接熱影響部に粒界腐食が発生し、貫通孔を生じていた。この孔はそれまで油の重合物等で閉塞されていたが、この時期に行われた缶の修理工事の衝撃で開口し、ここからPCBが製品油中に漏洩した。同一使用条件中でより長期間使用されていた他の缶はSUS316L製溶接チューブが使用されていたので、コイルには粒界腐食はほとんど認められなかった。
(経路2:工作ミス説)これと同じ時期に、No.1脱臭缶において温度計保護管の補修工事を行った際、溶接ミスにより近接しているコイルに穴あきが発生し、ここを通してPCBが製品油中に漏洩した。
経過 この工場では脱臭工程は通常、大型製油工場で行われている連続型の脱臭塔(縦長の真空カラム中にトレーが複数段設置されていて、製品の油はこのトレーを順次流下しながら連続的に脱臭される)ではなく、バッチ式の脱臭缶(構造は図2参照)6缶を用いて行われていた。
(1)ピンホール説による説明: No.6脱臭缶の加熱コイルに使用されていた高C型のSUS316溶接チューブの製管時、固溶化熱処理が全く施されていなかったか、もしくは不完全(温度上昇不足)だった。このため鋭敏化していた熱影響部においてPCBの熱分解により発生した塩化水素と微量の水から生成した塩酸により当該装置の稼動後5年有余を経て粒界腐食が発生し孔あきに至った。通常、この孔は油の重合物等で閉塞されていたが、1968年1月31日、この缶の修理、再設置の工事の衝撃で開口し、ここを通してPCBが製品油中に漏出、混入した。
(2)工作ミス説による説明: No.1脱臭缶において同年1月29日、カネミ倉庫鉄工係員が温度計保護管の先端部分にある穴の拡大工事を行った際、溶接ミスによって近接していたコイルに穴をあけてしまった。この穴を通してPCBが漏出し、製品油中に混入した。
工場における漏洩、混入事故の発生後、事の重大性に気づかず、汚染油の廃棄、隔離等の処置を怠り、これを含む製品を消費者に販売してしまった。
以上、2説のいずれをとるかによって責任追及の対象が変わるので一連の裁判において大きな争点になった。当初はピンホール説に基づいて判決が出されていたが、後半になって工作ミス説が浮上し、最終的には工作ミス説によると認定された。
原因 (1)ピンホール説による場合: 高Cステンレス鋼の粒界腐食
(2)工作ミス説による場合: 溶接ミスによる貫通孔生成
対処 PCBによる環境汚染および被害の発生を契機として1973年に「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」(化審法)が制定された。この法律により新規化学物質を製造または輸入するにあたり事前に安全性の審査が義務付けられた。対象物質として特定化学物質(難分解性、高濃縮性、長期毒性または生態毒性あり)、監視化学物質(難分解性、高濃縮性なし、長期毒性、生態毒性不明または疑いあり)、および新規化学物質に分類される多くの化学物質を対象としている。近年、化学物質の環境経由による人への健康被害だけでなく、動植物への影響に着目した審査、規制の制度も導入されている。
対策 (1)食品工業においては熱媒体、冷却剤など間接的接触物質であっても危険性のある物質をプロセスに導入しない。当時標準的には当該プロセスの加熱熱媒体として、非塩素系のジフェニールまたはジフェニールエーテル(商品名、ダウサーム等)が用いられていた。現在では最も安全な水(高圧蒸気)による加熱が主流となっている。
(2)設備設置工事に当たって材質確認を徹底する。例えばSUS316L材使用個所にSUS316材が混入するような事態を排除する。更に溶接チューブに代えてシームレスチューブを採用するなど耐食性と信頼性の向上をはかる。
(3)新設および補修工事に当たり施工管理の徹底、技能工のレベル維持向上をはかる。
(4)食品の製造に当たって製品の品質管理の徹底と食品衛生性の確保を最優先させる。
知識化 特に食品工業においては、(1)新しい化学物質のプロセスへの導入に当たって、直接、間接を問わず安全性の評価、確認がきわめて重要である。安全性が確認されていない物質は絶対にプロセスに導入しない。(2)熱交換器はいずれ必ず洩れる、との前提にたって加熱、冷却熱媒体物質を選定する、装置材料を選定する、建設、補修の施工管理を徹底する、保守保全の徹底をはかる、等を厳守する。(3)食品の製造、取り扱いにおいて、食品は「人の口に入る」ものであることを肝に銘じ品質管理、安全性の確認等の徹底をはかる。食品は人が自由かつ無制限に摂取するものなので、その品質は医者の管理のもとに投与される医薬品よりも更に厳重に管理、保証されねばならない。
よもやま話 現在、油症患者の認定基準は体内に残るPCB濃度によってなされているが、近年、これが加熱分解されてできるダイオキシンの1種であるポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)の血中濃度が油症患者では高いことが判明、2004年にはPCDFを含むダイオキシン類の血中濃度も患者認定基準に加えられることになった。食品公害事件では森永ヒ素ミルク中毒事件が同様に有名であるが、患者に対する救済体制はヒ素ミルク事件の方が手厚く、原因企業の資力による格差が際立っている。
・PCB:無色、油状液体。電気絶縁性、熱安定性にすぐれていることから、高圧変圧器、コンデンサー、蛍光灯安定器など、さらに塗料、熱媒体などに使用された。皮膚炎など直接的被害だけでなく内分泌かく乱物質としての作用も疑われている。日本ではカネミ油症事件(1968年)を契機に毒性が注目され、1972年に開放系で使用禁止、1974年に製造、使用が禁止された。社会全体からの回収は鋭意実行されてきているが、閉鎖系で使用された大量の製品を含めると未だ完結していない。
・PCB関連年表:1929年、米国スワン社で製造開始。その直後から塩素ざそう(塩素ニキビ)などの労働災害の発生、動物実験による有害性確認等がなされていたが、そのすぐれた物性故に第2次大戦勃発とともに軍需、兵器産業などで多用され生産が拡大した。1954年、日本で生産開始。その後、米国での飼料事故(ヒナの大量死)、スエーデンで環境汚染が見つかるなど、世界各地でPCB汚染が判明した。1968年、カネミ油症事件発生。
シナリオ
主シナリオ 誤判断、狭い視野、不適正材料(SUS316)混入の見落とし、熱媒体(PCB)の腐食性把握不十分、製作、ハード製作、機械・機器の製作、脱臭塔加熱コイル、高Cステンレス鋼(SUS316)、受け入れ検査不備、鋭敏化材の購入、破損、破壊・損傷、粒界腐食、熱媒体(PCB)の製品への混入、身体的被害、発病、中毒
主シナリオ 不注意、注意・用心不足、作業者不注意、溶接作業、使用、保守・修理、隣接機器溶断、穿孔、破損、破壊・損傷、脱臭塔加熱コイル、溶接時穿孔、完工検査不備、熱媒体の製品への混入、身体的被害、発病、中毒
情報源 (1)徳永洋一:熱処理、19巻、5号、口絵(1979)
(2)杉本泰治:日本のPL法を考える、p.48、地人書館(2000)
(3) http://www.safe.nite.go.jp/kasin.html.
(4)朝日新聞、2003年12月18日(朝刊)
(5)川名英之:検証・カネミ油症事件、緑風出版(2005)
マルチメディアファイル 図2.脱臭缶構造図
分野 材料
データ作成者 鈴木 紹夫 (すずき技術士事務所)
小林 英男 (東京工業大学)