失敗事例

事例名称 エルアル機のヒューズピン破断による墜落
代表図
事例発生日付 1992年10月04日
事例発生地 オランダ、アムステルダム
事例発生場所 スキポール空港
機器 イスラエル国営エルアル航空ボーイング747型機(ジャンボ貨物機)のエンジン吊り下げ部(パイロン)のヒューズ(接合)ピン。ヒューズ(fuse)は信管、導火線の意味で、電気ヒューズはよく知られている。接合ピンは緊急時の破断を前提としているので、ヒューズピンという。ヒューズピンは高強度鋼4340製円筒(直径5 cm、長さ10 cm)で、1基のエンジンをピン4本で支えている。
事例概要 1992年10月4日、アムステルダムのスキポール空港を離陸したイスラエル国営エルアル航空のジャンボ貨物機(ボーイング747型機)が、直後に右主翼のエンジン2基が脱落し、操縦不能に陥り、空港付近のアパート(高層団地)に墜落し、住民の死者39人を含め多数の重軽傷者を出すという大惨事を起こした。
エンジン脱落の原因は、エンジン吊り下げ部(パイロン)のヒューズ(接合)ピンの疲労破壊であった。7年前の日航ジャンボ機墜落事故で崩壊したジャンボ機の安全神話に、さらに止めを刺す事故となった。
事象 1992年10月4日18時22分(現地時間)、イスラエル国営エルアル航空のジャンボ貨物機(ボーイング747型機)が、アムステルダムのスキポール空港を離陸し、テルアビブ空港へ向かった。離陸後6分後に、右主翼の第3エンジンで火災、さらに第4エンジンでも火災の緊急信号を出し、操縦不能に陥って、18時36分に墜落し、空港付近のアパート(高層団地)を直撃した。墜落事故によって、搭乗者は貨物機のために4人と少なかったが、アパートの住民の死者39人を含め多数の重軽傷者を出すという大惨事を起こした。墜落後に調べたところ、エンジン2基は墜落前にすでに右主翼から脱落していた。
エンジン吊り下げ部(パイロン)の構造を図2に示す。パイロンのヒューズ(接合)ピンは、4本(ほかに補助ピンが2本)で1基のエンジンを支えている。負荷の大きい中央の2本のうちの1本が破断すると、主翼とパイロンの間に2~3 cmのすき間が生じ、エンジンががたつく。
第3エンジンのヒューズピン1本が金属疲労で破断し、エンジンが不安定になって振動し、パイプから燃料が漏れて火災になり、負荷の増大と火災の影響で、残りのヒューズピン3本も次々に破断し、エンジンが脱落したと推定される。第4エンジンも同様に、第3エンジンの火災の影響を受けて、ヒューズピンの破断によってエンジンが脱落したと推定される。
事故機は右旋回しながら墜落した。右翼のエンジンが止まると推力のバランスが崩れ、航空機は自然に右旋回する。したがって、方位も高度も制御できない操縦不能に陥っていたと考えられる。
ジャンボ機はフェ-ルセーフ(多重安全機能)設計が採用されており、エンジン4基のうちの2基が止まるか脱落しても、残りの2基の推力と2系統の油圧で安全に飛行できる。エンジン2基の脱落によって墜落したことから、フェールセーフが不完全であったと考えられる。7年前の日航ジャンボ機墜落事故で崩壊したジャンボ機のフェールセーフの安全神話に、さらに止めを刺す事故となった。
経過 事故機は、製造後13年余りを経過し、10,107回の飛行(フライト)と45,746飛行時間を経験した経年機であった。ヒューズピンは長年にわたり、点検整備が行われていなかった。
1991年12月29日、中華航空のジャンボ貨物機が台北空港を離陸して6分後、管制塔にエンジン故障のため引き返したいと伝えてきた。その2分後に機影がレーダーから消えた。右主翼のエンジン2基が脱落し、部品の一部が墜落現場から離れた海で発見された。エンジンを主翼から吊り下げているヒューズピンの破断が、事故の原因ではないかと推定されている。
中華航空機の事故の前から、世界中のジャンボ機のヒューズピンにき裂と腐食が目立っていた。事故後も、何件かの報告があった。事態を重視しながらも、製造元の米国ボーイング社はジャンボ機のユーザーである航空各社に、ヒューズピンの点検と整備を要請する技術情報(SB)を出す措置をとらずにいた。
日本航空は1992年5月の定期整備で、たまたま1機のヒューズピンに腐食を発見し、独自にジャンボ全機の点検を開始した。9月末までに12機の点検を終了したが、損傷のあるヒューズピンが5本も発見され、取り替えた。しかし、日本以外では、多くのジャンボ機がそのまま飛び続けた。
ボーイング社がようやくSBを出したのは、エルアル機の事故が起きた翌日だった。しかも、中華航空機とエルアル機の事故はともに、現時点ではヒューズピンが原因だという証拠は何もないとのコメントが付いていた。ボーイング社は、SBはエルアル機の事故がなくても近々に出す予定で、その前に事故が起きたと説明した。日本航空の整備技術者は、SBが早ければ事故は防げた可能性が強いので、エルアル機の事故は予測された惨事だと指摘している。
原因 ヒューズピンの破断によるエンジン脱落が墜落の第1の原因であり、エンジン脱落によって操縦不能に陥ったフェールセーフの不完全が墜落の第2の原因である。
対処 ボーイング社がヒューズピンのSBを出した4日後、米連邦航空局(FAA)は、航空各社にヒューズピンの点検を命ずる耐空性改善命令(AD)を出した。SBでは90日以内だった点検終了までの期限を、ADでは30日以内にするなど、8つの項目で厳しい内容になった。これに対してボーイング社は、過去7年間に15件のヒューズピンの損傷報告があったが、それが事故に結びついたことはなかったと弁明している。
1993年6月18日に至り、ボーイング社は、飛行中のジャンボ機で続いたエンジン脱落事故を防ぐために、エンジンを主翼に留める接合部の補強を、世界中で使用されているジャンボ機全948機で実施すると発表した。
主翼に留めるエンジン1基当たり4本のヒューズピンを緊急時に破断するように意図的に刻み(切欠き)を入れた従来型から、刻みがなく腐食に強い新型ヒューズピンに交換するほか、新たに1ヵ所、接合部を追加する。ボーイング社は、改良を米連邦航空局(FAA)の承認が得られ次第実施する。この改良には、1機当たり2~3週間かかる見込みである。
ボーイング社はこれまでの23年間、地上または空中でエンジンが他の航空機または障害物に当たった際に、主翼まで壊れて燃料タンクが破裂しないように、ヒューズピンが破断してエンジン部分だけが落下する設計を採用していた。しかし、飛行試験と運行データから、接合部の構造を変更すべきだとの結論に達した。
対策 ヒューズピンは緊急時に破断するように、意図的に切欠きを付していた。切欠きの応力集中によって金属疲労が加速される。また、ヒューズピンは円筒形で、内面から腐食する。ヒューズピンは切欠きのない新型に変更された。
エンジン脱落後の操縦不能については、フェールセーフの不完全さが指摘されているが、根本的な対策には至っていない。
知識化 フェールセーフ神話が崩壊した。そもそもジャンボ機がエンジン4基の構造としているのは、エンジン1基または2基の停止を前提として、安全な飛行を保証するためのフェールセーフ設計である。また、エンジン1基をヒューズピン4本で支えているのも、ヒューズピン1~2本の破断を前提としたフェールセーフ設計である。さらに、ヒューズピンに切欠きを付したのも、緊急時の破断を前提としたフェールセーフ設計である。しかるに、エンジン1基のヒューズピン4本が同時に破断し、エンジン片翼の2基が同時に脱落し、操縦不能のフェールセーフの不完全さも露呈して、墜落した。フェールセーフに完全、絶対の神話はないのである。
背景 ボーイング社は中華航空機の事故後に、なぜ早く対応しなかったのか。ジャンボ機が世界の航空交通に占める比重の大きさが、その背景にある。
1979年5月、米国シカゴで、マクダネル・ダグラス社製のDC10がエンジン火災を起こして墜落し、273人が死亡する事故が起きた。原因は当初不明だったが、米連邦航空局(FAA)は構造的な欠陥の疑いがあると見て、世界中のDC10の飛行を一時的に止めた。
後に、原因は整備のミスとわかり、飛行停止は約1ヵ月で解除された。空騒ぎに終ったこの措置に対する評価は分れたが、航空関係者の多くは、いずれにせよDC10だからとれた措置で、今、ジャンボ機を止めれば、世界の空が麻痺(まひ)すると見る。
当時のDC10は世界中で200機強だったが、ジャンボ機は現在、約900機が就航中である。もし世界中で止めれば、桁違いの影響が出る。一斉点検、整備だけでも、航空各社の運行に支障が出るのは避けられない。この判断が、早い対応の妨げになったと考えられる。
後日談 1994年3月1日13時38分頃、香港発成田経由ニューヨーク行きのノースウェスト航空018便ジャンボ機(ボーイング747型機、乗員と乗客248人)が成田空港に着陸後、第1エンジンが左主翼から脱落した。事故機はエンジンを引きずって滑走し、火を噴いた。火はエンジンの吊り下げ部分、フラップなどを焦がしたが、駆けつけた消防車が約10分後に消し止めた。乗客は消火作業後、乗員の誘導でタラップから機外へ出て、全員無事だった。
調査の結果、エンジンと主翼を接合するヒューズピン4本のうちの前部にある1本(高強度鋼4340製円筒、直径5.5 cm、長さ9 cm)が折れており、このためにエンジンが主翼からぶら下がったことがわかった。エンジンは、残っていた中央のヒューズピンを軸に回転した状態で、脱落していた。折れたヒューズピンの半分が、エンジン側に残っていた。
これに先立ち1992年に、米連邦航空局(FAA)と運輸省が、ヒューズピンの総点検を命ずる耐空性改善命令(AD)を航空各社に出した。旧型のヒューズピンは飛行回数500回ごとに、新型のヒューズピンは1,000回ごとに、目視検査と超音波探傷試験を行い、き裂と腐食があれば、新品と交換することを義務付けている。しかし、今回折れたもっとも機首寄りのヒューズピンは、その対象外だった。このヒューズピンに加わる力は小さく、破断事例も少なかったためである。今回のような事故が飛行中に起きた場合は、大事故につながる危険性が大きく、このヒューズピンも点検の対象とする必要性が指摘された。
よもやま話 フェールセーフは、装置の機能に故障または不具合(フェール)が起きても、他の装置のバックアップで全体の安全は保てる(セーフ)という思想である。ジャンボ機は、飛行中にトラブルが起きても、重大な事故に発展しないという思想で設計されている。これがフェールセーフ設計である。
フェールセーフ設計の対象は、構造の問題と制御の問題に大別できる。構造の問題は壊れることへの対処であり、制御の問題は操縦不能への対処である。
構造を対象とするフェールセーフ設計とは、システムまたは機器の一部が故障または破壊しても、所定の期間内は機能が維持できるような設計である。すなわち、部材に疲労き裂などが発生しても、他の部材が肩替りして強度を受け持ち、破壊が局部に留まり、構造全体の致命的な破壊に至る前に、点検によって検出し、修理または交換ができる構造である。具体的には、多径路荷重構造、分割構造、肩替り構造、荷重軽減構造などの多重安全性を採用する。また、点検、修理、交換などが容易な構造と部位に適用する。
ジャンボ機のヒューズピンは、フェールセーフ設計の典型的な対象例である。ヒューズピンの応力振幅(正弦波状の繰返し応力の平均値から最大値または最小値までの振幅)と疲労寿命(破断までの繰返し回数)の関係を図3に示す。切欠きのない平滑なヒューズピンの疲労寿命は、応力振幅が同じでも大きく変動し、4本が異なる疲労寿命を示す。したがって、4本のヒューズピンでエンジンを支える場合、1本のヒューズピンが破断しても、残りのヒューズピンは健全であり、エンジンが脱落することはない。破断したヒューズピンを交換すれば、元の状態に戻る。ヒューズピン1本の破断の検出と交換を適確に実行すれば、エンジンが脱落しないことを、ほぼ永久的に保証できる。これがヒューズピンへのフェールセーフ設計の適用である。
ヒューズピンに切欠きを付した場合にも、切欠きによる疲労強度減少係数を考慮すれば、平滑なヒューズピンの場合と同様に、フェールセーフ設計が適用できる。ただし、切欠きを付すと、疲労強度(同じ疲労寿命を与える応力振幅)が低下するばかりでなく、疲労寿命の変動が小さくなる。すなわち、4本のヒューズピンがほぼ同時に破断する確率が高くなる。これは、切欠きを付すとき裂の発生する位置が限定され、き裂の発生が容易になり、疲労寿命の変動の要因がなくなるからである。したがって、4本のヒューズピンでエンジンを支える場合、4本のヒューズピンがほぼ同時に破断するか、または1本のヒューズピンの破断と火災の影響によって、残りの3本のヒューズピンが連鎖反応的に破断することがあり得る。これが中華航空機とエルアル機の事故で起きた事象であり、フェールセーフ設計の落し穴と考えられる。
シナリオ
主シナリオ 無知、知識不足、思い込み、調査・検討の不足、事前検討不足、調査・見直し不足、使用、運転・使用、航空機の操縦、使用、保守・修理、点検、部品交換、破損、破壊・損傷、ヒューズピンの破断、エンジンの脱落、破損、大規模破損、航空機の墜落、二次災害、損壊、アパート崩壊、身体的被害、死亡、事故死、社会の被害、人の意識変化、航空機の安全性
情報源 (1)CAA Accident Summary、1996
(2)予測された?惨事、アムステルダムのジャンボ機墜落事故、朝日新聞、1992年10月27日
(3)エンジンの接合部補強、ボーイング社全ジャンボ機、朝日新聞(夕刊)、1993年6月19日
(4)着陸時、エンジン脱落、NW機、総点検対象外の留め金折れた、朝日新聞、1994年3月2日
死者数 204
物的被害 エルアル機墜落、アパート崩壊
被害金額 不明
全経済損失 不明
社会への影響 エルアル機が墜落したアパート(高層団地)には、トルコ系季節労働者が多数居住していた。外国人出稼ぎ労働者が多数死亡したことが、国際問題となった。また、El Al機の主な積荷が猛毒の殺人ガスであるサリンの原材料と劣化ウランであったため、アパート近隣の住民のみならず事故調査や警備に携わった多くの関係者をその後長く後遺症で苦しめる結果となった。
マルチメディアファイル 図2.エンジン吊り下げ部の構造
図3.ヒューズピンの応力振幅と疲労寿命の関係
備考 負傷者不明
分野 材料
データ作成者 寺田 博之 ((財)航空宇宙技術振興財団)
小林 英男 (東京工業大学)