失敗事例

事例名称 川辺川ダム
代表図
事例発生日付 1966年07月
事例発生地 熊本県
事例発生場所 熊本県南部一級河川球磨川右支川川辺川
事例概要 旧建設省が初め1966年7月に発表した川辺川ダム計画は、計画決定システムがうまく機能しなかったため、国と周辺住民らとの合意が形成されず、国土交通省は漁業権の収用採決申請という強権を発動することになった。ところが2003年5月16日利水控訴審で建設反対派が逆転勝訴したことを受けて、農林水産省は利水関連工事を凍結、2004年現在においてもダム本体の着工まで至っていない。
事象 旧建設省が初め1966年7月に発表した川辺川ダム計画は、約40年経過した2004年現在においてもダム本体の着工まで至っていない。
経過 川辺川ダム建設計画は、治水・利水・流量調節・発電を目的とする多目的ダム建設を計画する公共事業である。発表から30年後の1996年水没する五木村・相楽村と補償交渉が妥結したが、治水や灌漑目的に異議や疑問が続出、ダムの必要性を根本的に見直す声が高まっている。県民参加のもと国土交通省・異論を主張する団体等・学者・住民が集い、川辺川ダム事業を巡る論点についてオープンかつ公正に論議する場として、住民討論集会が熊本県の主催で2004年までに9度開催されている。しかし、調査内容や変化予測の精度や環境への影響評価についての価値観が真っ向から対立するなど、議論は平行線をたどった。土地改良法による川辺川ダムから農業用水を引く国営利水事業についての同意の集め方に疑問をもった農家が、農林水産省を相手取って起こした川辺川利水訴訟は、2003年5月16日福岡高裁が原告農家勝訴という判決を下した。農業用用排水事業及び区画整理事業に関わる計画変更について、土地改良法に規定された受益農家の3分の2以上の同意という計画変更の用件を満たさない旨の事実認定がなされた。
原因 住民討論会において、価値観の異なる住民側と行政側とが話し合うことができる貴重な場であるにもかかわらず、両者が技術的で価値判断の含まれない議題についての議論に終始していた。
対処 川辺川利水訴訟における2003年5月16日の福岡高裁による原告農家勝訴という判決を受け、亀井農林大臣(当時)は「受益農家の申請と同意により実施するという土地改良事業の趣旨を踏まえ、国側の主張が認められなかった理由が事実認定に関わるものであることにかんがみ、今後当地域の農業用水の確保については関係農家の意向を確認して、これに基づき必要な整備を進めることが適切であると判断」とした。熊本県は庁内に川辺川ダム総合対策課を設け、川辺川総合開発事業の総合調整・住民討論会等についての業務に当たっている。また、収用委員会は農業用水を引く利水事業計画が取り消されたことを受け、2003年10月に審理の中断を決定。2004年11月より再開する見通しだが、新利水計画の大幅な縮小が不可避となっていることに加えて、巨額のダム建設費の見直しなども浮上しているため、流動的な状況下での再開となる。
知識化 政策論議では、多くの発言者は価値判断を含む言説による議論を避けて、互いの事実認識に関する議論を行おうとする傾向がある。受益者である周辺住民の意見を十分に聞く場を設け、徹底的に議論を戦わせて合意点を探ることが重要である。事業を早く実行しようとして、合意を得る作業を蔑ろにすると住民の反発から、事業の中断あるいは再検討という事態に陥る危険性があり、むしろ多くの時間と費用がかかることになる。
背景 全国的なダム不要論の広まり。少子高齢化や農業離れに起因する農業人口減少による水需要の減少。平成12年度末で当時の全体事業費約2650億円の内、約1614億円(約61%)が執行済み。
よもやま話 計画発表から35年たってもダム本体が手付かずであるが、国土交通省の青山俊樹技監(当時)は「本流の球磨川は、中流部は盆地で下流域が狭い国内有数の『困難河川』。今から治水を計画するとしても、やはり同じダムの図面を描く」と話す。
シナリオ
主シナリオ 価値観不良、組織文化不良、事業を強行、調査・検討の不足、事前検討不足、住民との合意未形成、計画・設計、計画不良、建設目的に異議続出、機能不全、システム不良、社会の被害、社会機能不全、社会の被害、人の意識変化、全国的ダム不要論の広まり
情報源 http://www.qsr.mlit.go.jp/kawabe/qa1-2.htm
マルチメディアファイル 図2.川辺川ダムの位置
分野 建設
データ作成者 松尾 直樹 (東京大学)