失敗事例

事例名称 韓国ソウル聖水大橋の崩落事故
代表図
事例発生日付 1994年10月21日
事例発生地 韓国ソウル
事例発生場所 聖水大橋
事例概要 韓国の首都ソウル市内の漢江に架かる聖水大橋の中央部分が、長さ48mにわたって供用中に突然崩壊した。早朝の通勤時間帯であったため、橋を通過中のバスや乗用車が、約20m下の漢江に落下し、32人が死亡、17人が負傷した。事故後の調査によって、数々の「手抜き」の実態が明かとなった。
事象 1994年10月21日(金)午前7時40分頃、韓国の首都ソウル市中心部の漢江に架かる聖水大橋が、中央部分の48mが突然崩落し、同橋を通行中の市内バスや乗用車が6数台、次々と約20m下の川に落ちた。漢江は渇水期であったため、落下した橋桁上部の舗装部分は水中に没しておらず、その上に落下した市内バスや乗用車が大破して転がるという大惨事となった。犠牲者は、通学途中の女子中高生らバスの乗客が17人、残りの多くはマイカ-通勤の会社員であった。
経過 聖水大橋は、ソウル市南部の住宅街である江南地区とソウル市中心部を結ぶ基幹道路の一部で交通量は多く、長さ1160.8m,幅員19.4mの4車線道路を通している。1977年4月に着工し、1979年10月に完成した。事故が起きた鋼製トラス桁部は、長さ672mで、中央の吊り桁の一つであった。聖水大橋は、漢江に架かる17基の橋に中では比較的新しく、1日の交通量は開通当初の2倍以上、標準車両荷重は、設計時に見込まれた18トンではなく、24トンで利用されていた。さらに聖水大橋は、以前から走行中に揺れが激しいと苦情が寄せられ、ソウル市当局が事故前日の夜も応急の補修工事を行っていた。事故発生時は、特に通勤・通学時間であり、雨が降っていたので交通渋滞が発生し車両が混雑していたという。
原因 (1)  中央の吊り桁を鋼製トラスから吊っていた、I型断面の吊り部材の溶接不良が主原因と考えられる。
(2)  すみ肉溶接の表面と添接板に、目視検査で分かる手抜き施工があり、聖水大橋の施工時の施工管理と検査方法が著しく杜撰であったと思われる。
(3)  路面凍結を防止するために散布されていた塩化カルシウムが、溶接不良や応力腐食による鋼材表面のひびわれに塩分浸透して、鋼材の腐食を促進した可能性がある。
(4)  吊り鋼材の断面形状に、応力集中を緩和するためのテ-パ-(緩和曲面)が不足していたので、鋼材表面に予想外の部分的ひび割れが発生していた可能性がある。
(5)  設計に内容に誤りはないが、未熟な施工水準を十分に想定していなかった可能性がある。
(6)  聖水大橋の供用中における維持補修に関する技術基準がなかった。
(7)  聖水大橋の供用中、財源(予算)制約のため、定期点検ができなかった。
(8)  交通荷重の変化(増加)に関する実態調査と検査基準がなかった。
(9)  橋梁の保守および溶接に関する技術(検査)基準がなかった。
(10) 施工業者を的確に選定する入札契約制度がなかった。
(11) ソウル市内の基幹道路のような重要な社会基盤施設でも、どんどん早く安く建設してしまえ、という慌ただしい社会的風潮があった。
対処 ソウル市は、橋上の交通量が増加して、通過荷重が過剰になり、構造物の接続部分が、疲労の蓄積で破損したとする事故原因を直ちに推定した。1994年10月22日、ソウル市当局は事故原因調査の中間報告として、崩落した中央の吊り桁と鋼製トラス構造の定着支持桁を接続する連結ピン9本のうち1本が折れ、負担がかかった他のピンも連鎖反応的に折れて、中央の吊り桁部分が分断されて崩落した、との見方を明らかにした。このピンと、周辺の溶接部分の腐食も確認された。また、警察、賢察合同の捜査本部は、同橋を管理するソウル東部建設事務所から押収した「補修点検日誌」の記載から、8月以来、3回にわたって、同事務所が橋の溶接部分の異常を把握していたことを確認した。
対策 聖水大橋の崩壊落下事故を契機に、韓国国民は怒り、国内にはびこる手抜き工事への対策を求めた。金泳三大統領が、全国の道路や橋梁などの一斉点検を命じるとともに、韓国政府はいくつかの主要な土木工事に外国の専門企業を起用することを決めた。聖水大橋の復旧工事の統括と技術的アドバイスは、英国のコンサルタント、レンデル・パルマ-・アンド・トリトン(RPT)社が契約を落札した。また、聖水大橋の事故発生後、検査のために中央の吊り桁部分を撤去し、増加した設計荷重に適合するよう再設計(既存のコンクリ-ト床版を鋼床版に交換する等)して、1995年5月、現代建設が約22億円で受注して工事が始まり、1997年7月、聖水大橋は再び開通した。
知識化 (1) 人手による現場溶接は、よくよく注意せよ。原則として信用するな。
(2) 安物買いの銭(人命)失い。インフラ(社会基盤施設)は後で効いてくる。
(3) 検査の手抜きは致命的。
(4) 土木構造物は、壊れる前に信号をだす。それを見逃すな。
(5) 土木技術者(ヒト)がさぼれば、すべてオワリ。
背景 ソウル市では朝鮮戦争時に、漢江に架かる橋の大半が破壊されたが、1988年ソウル五輪会場を中心とする新興高層住宅街が急膨張したことから、ソウル市内との車両通行が急激に増加したことによって、漢江に架かる橋の大型化と急速施工の社会的要請は大きく、事故当時も2基の橋が建設中であった。漢江には17基の橋が架かっているが、1992年に大韓土木学会が行った調査では、うち11基の橋で、橋脚の水中コンクリ-ト部分のコンクリ-ト劣化などで橋全体にひずみが出るなどの問題が指摘されていたという。ソウル市では、1995年、総額40億ウオンをかけて補修工事に乗り出す予定を立てていた。
後日談 韓国では橋梁の崩落事故は、1970年代以降には8回起きていた。このうちソウル市の漢江に架かる橋梁の崩落は3回。聖水大橋の事故は韓国では過去最大の橋梁事故となった。最近では1992年7月に、新幸州大橋の建設中、橋脚10基と橋桁部分約800mが崩落した事故があったばかりであった。この時期に韓国で頻発した聖水大橋を始めとする事故調査には、土木技術(工学)や橋梁技術(工学)を専門とする数多くの人々が携わった。危機感を胸に事故調査と原因究明の第一線の陣頭で矢面に立ったのは、それまでの様々な歴史的経緯があっても、日本の(で)土木技術と橋梁技術を学び習得した年配の方々であったという。そのあまりにも真摯で精力的な調査活動が健康を蝕み、幾人かの方は事故調査報告書の完成と共に過労死したと伝えられている。
よもやま話 我が国日本において1990年頃まで一部で自信に満ちて語られていた技術や工学に対する絶対安全の神話は、阪神大震災、核燃料サイクルもんじゅのナトリウム漏洩、JCO臨界事故、度重なるH2ロケット打ち上げ失敗等々に直面して、2000年を越えた21世紀に到って、ようやく、失敗学や社会技術等、謙虚な姿勢の観点に基づく技術や工学が提唱されるようになった。聖水大橋の崩壊落下は、通常の供用条件で起こった。その事故に対して、1994年において数多くの日本の技術者が、日本の橋は、通常の供用条件で、いきなり崩壊落下するようなことが絶対にないように安全に設計され、厳重な品質管理がされているとコメントしたものである。それは、2003年8月28日新潟県新潟市の朱鷺メッセ連絡デッキ橋が、突然に落下するまでは間違いではなかった。
シナリオ
主シナリオ 組織運営不良、管理不良、監理不良、調査・検討の不足、事前検討不足、強度検討不良、組織運営不良、構成員不良、手抜き施工、調査・検討の不足、事前検討不足、技術検査基準なし、誤判断、狭い視野、点検のための財源なし、非定常行為、変更、手順変更、杜撰な溶接、不良現象、機械現象、応力腐食割れ、不良現象、化学現象、塩化カルシウム浸透、破損、破壊・損傷、橋の一部崩落、破損、破壊・損傷、バス等大破、身体的被害、死亡、32名死亡、身体的被害、負傷、17名負傷、社会の被害、人の意識変化、手抜き工事対策実施
情報源 http://japanese.chosun.com/photo/special/20040603/7.html
死者数 32
負傷者数 17
物的被害 聖水大橋の中央部分が48mにわたり突然崩落し、同橋を通行中の市内バスや乗用車が数台、次々と約20m下の川に落ちた。落下した橋桁上部の舗装部分は水中に没しておらず、その上に落下した市内バスや乗用車が大破して転がるという大惨事となった。
社会への影響 聖水大橋の崩壊落下事故を契機に、韓国国民は大いに怒り、国内にはびこる手抜き工事への対策を求め始めた。
分野 建設
データ作成者 國島 正彦 (東京大学)