特定非営利活動法人失敗学会 |
広告掲載について | 広告掲載について | 広告掲載について | 広告掲載について |
|
羽越本線脱線事故
サイドローズエルピー、ゼネラルパートナー
飯野謙次
【シナリオ】
【概要】 2005年12月25日午後19時14分ごろ、東日本旅客鉄道株式会社(以下、JR東日本)の羽越本線上を走行中の秋田発新潟行き特急いなほ14号が、 山形県内で、第2最上川橋梁を超えた直後に突風にあおられて脱線、1両目から3両目が横転して盛土下に転落した。乗客43名、乗員3名のうち、 1両目にいた乗客のうち5名が死亡、その他乗客31名、乗員2名が負傷した。 【発生日時・場所】 2005年12月25日、午後7時14分ごろ。 JR羽越(うえつ)本線下り(南向き)、砂越(さごし)駅-北余目(きたあまるめ)駅間、 第2最上川橋梁南端からさらに南に約250m進んだあたり。行政区は山形県東田川郡庄内町(しょうないまち)。 図1に事故現場の位置を示す。 図1 JR羽越本線脱線事故現場の位置 【経過】 羽越本線は、新潟市新津駅と秋田県秋田駅を結ぶ日本海側北部のJR東日本幹線である。 特急いなほは、上越新幹線の終点新潟駅から短い白新線を通って新発田駅で羽越本線に合流し、 秋田新幹線の終点秋田駅で奥羽本線に乗りこんで青森まで至る。羽越本線は秋田から新津に向かう方向が上りである。 事故に遭ったのは、6両編成秋田発新潟行き特急"いなほ14号"である。列車は6両編成、先頭の新潟側が6号車、最後尾の秋田側が1号車で、 1~4号車が指定席、5、6号車が自由席であった。乗客43名の他、運転士1名、車掌1名、車内販売員1名が乗車していた。以下、先頭の6号車を1両目、 最後尾の1号車を6両目と呼ぶ。 この列車は、同日、先に新潟駅から秋田まで走行したいなほ5号が秋田駅で折り返したものである。新潟駅は定刻の12:34に出発したものの、 途中のポイント故障により、秋田駅に到着したのは定刻より約60分遅れの17:15頃だった。 秋田駅を定刻より約60分遅れて17:34頃に出発したいなほ14号は途中の強風による速度規制により、酒田駅を出発したのは約68分遅れの19:08分ごろだった。 山形地方気象台によると、酒田地方は同日夕方から西風が強まり、午後3時24分に暴風雪波浪警報が発令されていた。 午後7時過ぎはみぞれまじりの雨が降っていた。午後7時の酒田積雪量は28センチ、 午後7時10分から10分間の最大瞬間風速は午後7時12分ごろの西南西の風21.6m/sだった。 図2に、脱線転覆した列車の各車両位置を示す。事故のあった区間の平常時の制限速度は時速120km。 JR東日本事故現場付近の規定では、風速毎秒20mで風の状況の監視体制を取り、25m以上で時速25kmの徐行運転、 30m以上で停止することになっていた。第2最上川橋梁には風速計が設置されており、風速が規定値を超えた場合、 駅や列車運転士に徐行や停止のアラーム指示が発せられるようになっていた。同風速計が午後7時16分に計測した風速は約20m/sでアラームはなかった。 運転士証言等により、事故現場での列車速度は時速100km前後であったと推定されている。 図2 脱線転覆した事故現場の列車 (2005年12月26日、毎日新聞夕刊写真をもとに作成) その後、航空・鉄道事故調査委員会による事故調査報告書[4]により、詳細な事故痕跡が示された。これらを図3に示す。 この図と、同報告書の記述をもとに、脱線・転覆の様子を想像した経過を図4に示す。 図3 脱線転覆の様子を示す痕跡 図4 脱線転覆の経過想像図 表1は、本事故による各車両の死傷者数である。死亡した5名は全員、1両目に乗っていた。
【対処】 運転士は負傷をしたものの、すぐに併発事故を防ごうと無線機を探したが見つからず、 車外に出て乗客に救急車手配を依頼、すぐに6両目まで行った。車掌はいなかったものの、防護無線機の発報音を確認した。 一方、最後部にいた車掌は、すぐには事故状況を把握できず、運転士と連絡が取れなかったので、防護無線機の発報信号を発信していた。 その後、19時16分に業務用携帯電話を使って輸送指令に「運転士と連絡が取れない。 衝撃とともに室内灯が消え、防護無線機より発報信号を発信した」と連絡した後、列車内を前方に向かった。 この通信を受けた輸送指令はただちに関係車両の抑止手配をした。 事故現場は山形県、日時はクリスマスの12月25日夜であった。風も強く、みぞれまじりの雨も降り、地面には雪が積もっていたのでかなり寒かったはずである。 44名の乗客のうち、5名が死亡、32名が負傷したが、無事だった者、負傷していても動ける程度の人が、 乗務員と協力して動けない人や負傷者を助け、ほとんど被害のなかった最後尾6両目に避難した様子が事故調査報告書の口述から読んで取れる。 救出作業は夜を徹して翌26日朝まで行われ、いったん打ち切られたが、事故発生から40時間以上経った27日午後3時45分ごろ警察犬により5人目の遺体が発見された。 さらに、実は事故の前に列車を降りていた母子が事故当時も乗っていたという話もあって、捜索は31日まで続けられた。 この脱線事故を受け、政府は25日夜、首相官邸に官邸連絡室を設置した。また、航空・鉄道事故調査委員会も同日に6名の調査官を指名、早速翌26日から調査を開始した。 【原因】 本事故の列車を脱線・転覆せしめたのは、局所的な突風であった。事故調査報告書[4]では、この突風が瞬間風速40m/sであった可能性を述べている。 ここでは、事故調査報告書がその風速を推定するにいたった解析をまとめる。 事故発生時の周辺での風速 本事故が発生した地点に最も近い風速計は、JR東日本が最上川第2橋梁の北側に設置してあった風速計である。 その計測・記録は、0.5秒毎に風速を測定し、3分間の最大値を3分間出力保持するものである。ただし、20m/sに達する風速を観測すると割り込みがかかる。 事故発生の前、17:30~19:14 の記録で最大風速は17:51の15m/s。事故前のピークは19:40:30の12m/s であった。事故発生後は 19:16:30に 20m/s、19:29:30に 21m/s を記録している。 ここでは風向は記録されず、後出の図5に書いた風向の矢印は推測による。しかしこの風速計は、事故現場から北に800m離れたものであり、 事故現場の局地的な風速を測定していたとは言えない。 図5は、上記風速計の他、気象庁などの気象観測点で記録されていた瞬間最大風速を表示したものである。 さらに秋田レーダーによって観測されたレーダーエコーの強い地区をその発生時間とともに示している。 レーダーエコーとは、雨や雪によって反射されたマイクロ波の3次元分布を言い、それが強い場所は雲が雨や雪を大量に保持、あるいは降らせていることを意味する。 図5 事故発生前後の周囲の強風、積乱雲と強風被害
事故当時、現場あたりには雷を伴う非常に高い積乱雲が目撃されており、上記レーダーエコーにより、地表から6~8kmもあったことがわかっている。
図5より、この積乱雲が19:05ごろ、赤川河口付近にあったものが、東北東に進み、19:14頃にはちょうど事故現場上空にあったことがわかる。
図5中に示した強風被害とは、防風柵が破壊され、防風林の木々がなぎ倒されたほか、ビニールハウスや建物が破壊されたものである。
これら強風被害のうち、図5中、事故現場を示す十字に近接して左にあるのは、農機具小屋(11.7mL x 5.4mW x 3mH)が倒壊したものである。 羽越本線上り線から40m程度のところにあったこの小屋のスチール製支柱はコンクリートの土台を地中に埋めてあり、それが引き抜かれて小屋全体が浮き上がり、 ばらばらになって羽越本線の盛土に叩きつけられた。事故調査報告書[4]によると、東京工芸大学の田村教授らが現地調査、風洞実験などに基づいて分析を行い、 その時の瞬間最大風速を34m/s以上と推定した。 盛土の影響 新聞等では盛土の影響として、そこに当たった風が盛土を乗り越えて抜けるため、風速が盛土の上では高まる可能性を書いていた。 事故現場あたりの盛土高さが4m前後、なだらかに下りていく"のり面"の幅が5.6m であった。事故列車の車両は高さがおよそ4m、幅が3m だったので、 おおよその断面は図6のようになる。 図6 事故現場の盛土の形状 ある程度の圧縮はあるものの、横風は流路が拘束された風洞とは違い、上方にいくらでも抜けていくことができる。 また地面の近くでは、流速が摩擦により遅くなることが知られている。 事故調査報告書[4]では、現地で風速計を新たに設置して測定、さらに風洞実験を行い、盛土による風速の上昇は、 列車上端あたりの地面から5mの位置でおよそ13%の増速とした。 転覆限界速度 事故調査報告書[4]では、風洞実験を利用した解析、および実験結果を用いない簡略式で転覆限界速度を求めている。 前者では、少し斜め前から風が吹いたときに一番転覆しやすく、列車が100km/hで走行しているときの転覆限界速度は、1両目35m/s、2両目44m/s という結果を出している。 後者の解析では、風向、列車速度は考慮せず、1両目43m/s、2両目45m/sとなった。 以上より、事故現場周辺では34m/s以上の突風が吹き、盛土の影響で線路上の列車車両には13%増の38.5m/s以上の突風が作用した。 つまり、40m/s前後の突風により1、2両目が脱線転覆したと推定される。これは、風洞実験と解析により得られた転覆限界速度の推定とよく一致している。 このような極めて強い局所的突風が発生した原因は、積乱雲からのダウンバーストか、竜巻が原因と推測される。 ダウンバーストとは、発達した積乱雲の底部から爆発的に気流が噴き出す現象だが、その発生メカニズムはよくわかっていない。 ウィキペディア[1.5]はダウンバーストを以下のように紹介している。また、図7の写真は、ウィキメディアコモンズ[1.6]からの引用である。 強い上昇気流によって形成された積乱雲が減衰期に入り、降水粒子が周囲の空気に摩擦効果を働きかけることで下降気流が発生する。 この下降気流のうち、地上に災害を起こすほど極端に強いものをダウンバーストという。特に航空機にとっては深刻で最も注目すべき気象現象である。 下降気流の風速は、90m/s以上と壮絶なものに達することがある。 図7 カメラに捕らえられたダウンバーストと、ダウンバーストによりなぎ倒された木々 [写真は、米国海洋大気庁(US National Oceanic and Atmospheric Administration)] 本事故とは無関係の写真である 【対策】 JR東日本は翌2006年1月17日、以下の計画を発表した。
国土交通省は、主に風速計を風の通り道に新設することを中心に強風対策を指示した。 気象庁は、竜巻やダウンバーストが発生しそうな積乱雲が存在し得るような気象状況にあるという竜巻注意情報を2008年3月26日より発表することとした。 【考察】 本事故では、列車運転に影響を及ぼす気象状況を監視するための観測点がまばら過ぎたこと、さらに、局所的な観測にとどまったため、 マクロ的に近郊の気象状況が非常に不安定だったことが分からなかったのが問題であった。 対策で、鉄道会社、国土交通省、さらに気象庁も連携して同じような事故を繰り返さないよう対策を行っているのは今後の事故防止に向けて非常に心強いと思う。 一方、一般消費者は、安全のため列車が徐行し、到着予定が遅れても自身が大きな損害を被ることのないよう、天候が不順な時はゆとりのある旅行計画を立てることが必要だろう。 【知識化】
参考文献
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Copyright©2002-2024 Association for the Study of Failure |