特定非営利活動法人失敗学会 |
広告掲載について | 広告掲載について | 広告掲載について | 広告掲載について |
|
流水プール、吸い込まれ事故
サイドローズエルピー、ゼネラルパートナー
飯野謙次
【シナリオ】
【概要】 2006年7月31日、家族と友達と遊泳に来ていた少女が、流水プールポンプの吸い込み口に吸い込まれ、頭部を強打して落命した。その時、吸入口にあるはずの吸い込まれ防止柵が脱落しており、管理業者はその欠陥に気づかされたものの、対処が遅れて悲劇が生まれた。 管理業者は、その業務を第三者に丸投げしており、実際にその作業にあたっていた人員には十分なトレーニングや、危機管理の教育がなされていなかった。 当該業務に関する契約や、省庁からの通知にはあいまいさがあった。 また過去の失敗にまつわる社会の知識共有が不十分だった。 【発生日時】 2006年7月31日、月曜、午後1時40分ごろ 【発生場所】 埼玉県ふじみ野市大井武蔵野1393番1のふじみ野市大井プール、流水プール吸水口の一つ 【背景】 ふじみ野市は2005年10月1日、旧上福岡市と旧入間郡大井町が合併して誕生した。事故発生の10ヶ月前である。 図1にふじみ野市位置を示す。大井町プールは1972年に旧大井町において構想され、1986年に完成、7月1日に全施設がオープンした。 大井プールは当初、旧大井町の町民プールとしてオープンしたが、上記合併と共に新しくできたふじみ野市の市教育委員会が管理することとなり、同委員会の体育課が担当となった。 図2に大井プールの位置と周辺鉄道と幹線道路を示す。プールは現さいたま市の西15kmに位置し、最寄りの電車駅は東武東上線、ふじみ野駅である。 しかしふじみ野駅も、直線距離でプールの東約4km、歩けば5km近くある。プールの東1kmのところを南北に走る関越自動車道と東武東上線の間は、住居が立ち並ぶ市街地であるが、 プールのすぐ周辺は住居も少ない。 図2 大井プールの位置 大井プールの周辺は、その北側にテニスコートと弓道場、南に体育館があり、総合スポーツセンターの中心となっていた。 スポーツセンターの周りは複数の小さな工場、東側に清掃センターがある他は、田畑に囲まれている。図3に大井プールの周辺図を示す。 大井プールは公営プールの中では、120m(外周)の流水プール、スライドなど、子供に人気の設備を擁していた。大井プール全体の構成を図4に示す。 図3 大井プールの周辺 大井プールの設備規模を、比較的近隣にあるとしまえん(350mの流水プール、31本の滑り台、波のプール、滝のプール)、 西武園ゆうえんち(500mの流水プール、波のプール、6つのチューブスライダー)と比較すると、これら私営の施設には全くかなわない。 それでも入場料は公営らしく、としまえんプールが遊園地入園料込みで大人3,500円、西武園プールがプールのみ大人2,000円なのに対し、 ロッカーを使用しても大人700円であった。 図4 大井プールの構成 図4中、事故のあった吸水口位置は、写真等よりおおよその見当をつけた。流水プールには、起流ポンプが3個設置されており、 それぞれ毎分10立方メートルの排出量であった。吸込みと吐出しは、直径30センチの円筒管を通して行われ、管内平均流速は毎秒2.35メートルであった。 吸水管のプール開口部には、吸引力緩和のため深さ20センチ、横120センチ、縦60センチの吸入ボックスが設けられ、プール壁との面位置には外径16ミリのステンレス鋼管を36ミリピッチで配した、60センチ四方の吸い込まれ防止柵が左右一枚ずつ、それぞれが四隅をネジで固定される構造になっていた。防止柵の上端は、通常の流水プール水位1メートルの水面から20センチのところにあった。図5にこの防止柵、図6に参考文献1に掲載されたネジ固定部詳細を、参考文献1に掲載されたまま示す。 吸入ボックスが、深さ20センチで十分流速を緩和していたかどうかは不明だが、仮に流速が均一化されていたとすると、柵部分での流速は平均毎秒23センチになる。 図5 大井プールの吸い込まれ防止柵 図6 吸い込まれ防止柵固定部詳細[参考文献1より] 大井プールは、2005年にふじみ野市が誕生した際、同市教育委員会が管理することとなった。 ちなみに参考文献1の事故調査報告書は、この市教育委員会の依頼により、事故から11日後に発足した事故調査委員会による。 同委員会は、委員長に弁護士、副委員長に埼玉大学大学院教授を迎え、市民代表者2名、学識経験者1名、市職員3名の計9名からなっていた。 ふじみ野市は、大井プールの管理を民間業者に委託していた。参考文献1に1996年以降の記録があるが、 1997年と2000年を除いて本件事故のあった2006年も含め、11年間で9度にわたり、太陽管財が委託先であった。 参考文献4は、1992年よりほぼ毎年、太陽管財が請け負ってきたとしている。2005年以前に太陽管財が受注した経緯はわからないが、 2006年は、ふじみ野市管財課長の説明では、登録業者600社から14社に絞り、さらに市指名業者選定委員会で指名業者9社を選定した後、 指名競争入札を実施したということである。 ところが事故発生の2006年、太陽管財はふじみ野市大井プールの管理を京明プランニングに再委託していた。 それも契約では、再委託は書面による承諾が必要としているにもかかわらず、太陽管財はその書面を提出せず、現場責任者、 技術管理者が京明プランニングの社員であるのに、太陽管財の社員であると届出書に虚偽の記載をし、 太陽管財の社員であるかのような名刺まで持たせていた。2005年以前も、太陽管財がそのような“丸投げ”をいつから行っていたかは不明であるが、 参考文献4には、京明プランニング社長が6、7年前から針金で吸水口の蓋を留めていた、と言っている記述があり、 少なくともこの丸投げはその年数続いていたようである。太陽プランニングは、 請負金額から一定の金額を差し引いて京明プランニングに再委託していたとあるので悪質であるが、 その事実を見抜けなかったふじみ野市にも非があったことは、考察の節で述べる。 【経過】
(本段は筆者の創作を含む) 週末の土曜、日曜は日差しも強く、日中の最高気温も30度を越える真夏日だった。絶好のプール日和だったけど、 「混んでいるから」との理由で連れて行ってもらえなかった。日曜日は近所に住む仲良しの友達と遊び、 「あしたはいっしょにプールに行こうね」との約束を交わしていた。プールに行く時は、いつもお兄ちゃんたちも一緒だった。 心強い反面、7歳になる自分は、競争だの、水中レスリングだのを始めて大騒ぎをする兄達の、 なんとなくお荷物になっているような気がしてならなかった。 だから、置いてきぼりにされたような気持ちにならないよう、なるべく仲良しの友達を誘ってみるようになっていた。 その日は朝からはやる気持ちを抑えられず、「そんなに走ったらプールに行ったら疲れちゃうよ」と母が笑いながらいう言葉も、 少女の高ぶった気持ちを抑えることはできなかった。あいにく空は曇り気味だったものの、雨が降る様子もなく、 そわそわと待っていると友達がやって来た。二人の兄と一緒に母の運転する車に乗り込み、出発した。 近くには、いくつものプールを擁し、大きな流水プールもある西武園ゆうえんちもあるものの、少女は市営プールの方が好きだった。 西武園ゆうえんちは高校生以上が多く、大きな流水プールは面白いけど幅が広くて少し怖い。 なんとなく端っこをおとなしく、流れに任せてゆらゆら漂うだけでつまらない。 その点、市民プールは自分と同じくらいの子供も多く、気兼ねをすることもない。 母もいつもそばにいてくれるので、浮き輪がなくても自由に泳げる気がした。 また兄達と自分に母親、友達まで誘うことに成功すれば、御一行5名様となり、子供ながらに、 西武園ゆうえんちプールの入場料がえらく高いものであることも感じていた。 少女は、最近ようやく目を開けたまま水に顔をつけてバタ足ができるようになったのが自慢だった。 以前は良く児童プールで遊ぶだけだったのが、流水プールで流れに身をまかせてバタ足をした方が、早く進むようで断然面白い。 一方、少年は競泳用の25メートルプールで泳げるようになって久しい。それでも友達と流水プールで遊ぶのが好きだった。 プールの中で逆立ちや、潜ったままどこまで行けるか競うのが楽しい。 ちょうど潜る競争をしていたとき、プールの底に灰色っぽい影が見えた。 何だろうと競争はいったん中止し、息をつぎなおしてもう一度潜ってみた。 何やら鉄の格子のような物だった。足で強く押してみると動く。 思い切って持ち上げてみると、水の中では良かったものの、水面から持ち上げるとずっしりと重い(筆者の簡単な計算では7キロ程度)。 なんだかわからないけど、取りあえず監視のお姉さんに届けよう。 吸い込まれ防止柵を渡された監視員は、京明プランニングで雇われた高校生アルバイトだった。その日、当人を含めて11名は高校生。 20歳の他2名を合わせて、13名が監視員等。うち、流水プールは5名が監視していた。その他、京明プランニングから管理責任者が1名、 看護師が1名いた。しかし、参考文献1によると管理契約では、平日でも他に衛生管理者、機械扱い者、清掃員、整理員等、 計24名の人員が配置されているべきだった。ただし、埼玉県プール維持管理指導要綱(参考文献1資料)には、管理責任者と衛生管理者、 救護士(看護師)と監視員は兼務をしても良いとしている。 また、ふじみ野市と太陽管財の間で交わされた委託契約書には、「監視員は、日本赤十字社、日本水泳連盟等の講習会を終了した者及び経験者を適切に配置し、 適正な監視体制を確立すること」とあった。 流水プールサイドにいた監視員が吸い込まれ防止柵を渡されたのが午後1時30分ごろだった。その監視員はそれが何かわからず、 管理棟2階にいた別の監視員に連絡した。そしてこの監視員も管理棟1階にいた管理責任者に報告した。 管理責任者は、監視員1人を連れてプールサイドに出向き、やっとそれが吸水口の吸い込まれ防止柵であることを認識した。 プール内からプールサイドに向かって左側の柵が外れていたのである。
筆者はそれが適切な名称であると思うから、当該ステンレス製柵を『吸い込まれ防止柵』としている。
参考文献1や多くの報道でも、これを『防護柵』と呼んでいる。
上述の管理責任者もこれを防護柵と思っていたのだろう。
人体の安全を守る部品の名称は、危険を意識させる方が良い。回転機械などに使われる『保護カバー』も同じことである。
『指切断防止カバー』と呼べば、回転中にそれを外そうとする人もいなくなるだろう。 吸い込まれ防止柵が外れたことを認識した管理責任者は、少なくとも、それが危険な状態であることはわかったようだ。 監視員をプールサイドの監視台に1人配置し、もう一人を吸水口のすぐ上のプールサイドに立たせて、 遊泳者が吸水口に近づかないよう呼びかけるよう指示し、自身は、外れた吸い込まれ防止柵を取り付けなおすための針金を、 管理棟まで取りに向かった。 母親、兄達、友人を合わせて5人で遊泳を楽しんでいた少女は、おそらく吸水口のあるプールサイド際を上流からやってきたのだろう。 そして、頭を水につけてバタ足で進んでいたと想像される。ようやく泳げるようになり始めのころは、水がまだ少し怖いものである。 だから、何もつかまるところのないプールの中ほどには行かないし、プールに手で握れるものがあればそれにつかまる。 少女がこの吸水口に吸い込まれた際の詳しい状況は不明であるものの、少女はバタ足をしながら、 残った方の右側の防護柵に手を伸ばしてつかまり、体を引き寄せたのではないだろうか。 この時が、外れた吸い込まれ防止柵を、少年がその場にいた監視員に渡してから10分後、午後1時40分ごろのことであった。 水に頭をつけていると、水中を伝わる音は良く聞こえるが、外の音はほとんど聞こえないことは誰もが知っていよう。 ましてや、回りには流水に漂いながら歓声を上げている子供や大人がいっぱいいたはずだ。 プールサイドに立って注意を喚起したところで、危険な状態から遊泳者の安全を守る効果は十分ではなかったと言える。 インターネットのブログには、当時の報道から、吸い込まれたとき『ドーン』と大きな音がしたとの記述がいくつもあった。 少女が吸水口に吸い込まれたときに壁などに体をぶつけてそのような大きな音が出るとは考えられない。 起流ポンプとその配管の構造は、参考文献1にも記述がないが、インターネット上の写真、プールの見取り図、報道の記述から、 筆者は起流ポンプの配管は、図7のようになっていたのではないかと想像した。 図中、少女の体はポンプ室手前で、吸水管が90度に曲がっているところで止まったようである。 図7 起流ポンプ配管の想像図 『ドーン』という音は少女が何かにぶつかった音ではなく、吸水口から起流ポンプに向かって吸い込まれた少女の体が止まったところで、ポンプの吸水側がいきなり詰まった状態になり、吸引側圧力が一気に下ってポンプが衝撃を受け、機械的に大きな衝撃音を発したものと考えられる。 後の報道で、少女の死因は後頭部を強打したことによる脳幹損傷だとわかった。しかし、吸水口に吸い込まれたときに後頭部を強打するものだろうか。あっという間に吸い込まれたのだから、そのときではなく、体が発見された起流ポンプのすぐ上流の湾曲部に後頭部を強く打ちつけて体が止まったのではないかと思われる。参考文献4に、この吸水管の長さがおよそ13メートルと記されている。管内の平均流速が毎秒2.35メートルであるから、吸い込まれてから頭をぶつけて止まるまでに5秒以上かかっている。つまり、死因が脳幹損傷だったから、息がつげずに苦しんだわけではないと思うのは間違いで、少なくとも5秒は真っ暗なパイプの中を流されながら苦しんだことになる。さらに多少なりとも体を突っ張って流れに抵抗できていたら、皮肉なことにその分、苦しみが長くなったことになる。 【対処】 事故発生後の10分後、13時50分に消防と警察が到着、直ちにポンプ車でプールの排水を始める。吸水口側から少女を探すが、見つけられなかった。そして、およそ3時間後に起流ポンプ側から現場の解体に取り掛かった。解体着手からおよそ30分後、少女の指先を確認し、それから重機で少女の体が入っていると思われる吸水管部を掘り出した。その後、管を切断、19時30分に少女の体をパイプから開放、病院に搬送するが、午後8時8分に死亡が確認された。 【原因・考察】 直接原因は、流水プール起流ポンプの吸水口に取り付けられていた吸い込まれ防止柵が外れ、そこに遊泳中の女児が吸い込まれてしまったことである。しかし、この事故は、幾重もの問題が重なった結果、起こってしまったことだったと思う。報道では、その中でも、管理契約の丸投げと、請負業者によるプールの安全管理者としての人員配置の問題が盛んに取り上げられたが、本節では、設計そのものの問題点から順に解説する。 設計の問題 図5の防止柵形状、及び図6の固定部詳細をもう一度見よう。防止柵は、60センチ四方の四角形状で、その4隅がネジ止めで固定されている。図6にネジ部の詳細があるが、幅25ミリの板に対してのネジ中心の高さ位置、すなわち上端から何ミリ(図中の垂直位置)か指定されていない。横位置は、他の図で、端から40ミリと指定しているが、許容誤差はそれでも指定していない。 おそらくは、この設計図を渡された施工業者は、横位置は端から40ミリ、縦位置は25ミリ幅の板の中心と考えたことだろう。そして、許容誤差の指定がないため合わせ加工、すなわち、下穴の開いていないプール側固定枠に、吸い込まれ防止柵を置き、ハンドドリルをもって、吸い込まれ防止柵とプール側固定枠に一気に穴を開け、その後、吸い込まれ防止柵の穴は大きくし、プール固定枠の穴にタップで雌ネジを切ったものと思われる。 設計図上は、できた吸い込まれ防止枠を180度回転させてもぴったりはまるように思われるが、このような現物の合わせ加工をすると、穴を開けたときと同じ姿勢で組み合わせないとネジ穴が合わないことがほとんどである。また、全ての枠の外形が同じなので、シーズンの使用が始まる前に清掃することを考えてみると、一つの起流ポンプとその配管を掃除してから次のポンプに移るとは考えにくく、3台のポンプの吸い込まれ防止柵を全部外して3台の清掃を済ませ、終わったら、再び吸い込まれ防止柵を固定していくのがやり方だろう。 全ての吸い込まれ防止柵を一旦外し、それを元に戻すことを考えると、最初の1枚は、6箇所のどこにでも取り付けてよく、各位置で180度回転させても良いのだから、可能な取り付け方法は12通りあり、2枚目は既に1枚取り付いているので、10通りある。つまり、可能な取り付け方法は、全部で12+10+8+6+4+2=42通りあり、全ての吸い込まれ防止柵が、最初の施工時と同じようにぴったりはまるのはその中の1通りだけである。これでは、ネジ穴の位置が合わなくて当然だ。 さらに図6を良く見て見よう。ネジの呼び寸法が指定されていないため、他の寸法から類推するしかないが、M6(ピッチ1ミリ)、もしくはM5(ピッチ0.8ミリ)を使っていたと思われる。プール固定枠側の固定部板厚が3ミリだから、引っかかっていたネジ山の数はせいぜい3つである。さらに驚くことにネジの頭が丸く書き込まれている。レンチではなく、ドライバーで回して締め付けるタイプの丸頭もしくは、なべ頭ネジを使用するように指定されている。この吸い込まれ防止柵は、水流の激しい起流ポンプの吸水口に取り付けられており、流れのあるところには振動が発生するのは、今や設計者にとっては常識だろう。 十分な締め付けトルクも得られず、有効なねじ山も3つだけ。振動にさらされたネジがやがて緩むのは自明であるのに、このネジにワッシャーも施してないのは設計として欠陥がある。古来、振動にさらされるネジの緩みは設計者を悩ませており、ネジの頭に、緩んでも抜け落ちることのないよう、ワイヤーを通したり、ワッシャーに折り返しをつけて六角ボルトの頭が回らないようにするなど、様々な工夫がなされてきた。 保守の問題 前述のように、プール使用中も緩んでしまう設計のネジ止めだったが、外れていたのを発見した時に、管理業者は針金でネジの代用としていた。報道では、盛んにこの針金の使用を非難していたが、前述の理由で、筆者はむしろ針金の方が固定の信頼性は高いのではないかと思う。ただし、やはり報道で明らかにされていたが、発見された針金は錆びていたということだ。この場合、使用した針金が問題で、プールの中で普通の鉄製の針金を使ったなら、そのセンスは疑われるべきだろう。それも手で曲げられるような細い針金ではいけない。 ステンレスの針金は曲げにくく、取り付けるのは難しい。一旦取り付けたら、普通の人では手で外せないほど太いステンレス製の針金を使うべきだったと思われる。 契約書の問題 ふじみ野市が太陽管財と締結した「ふじみ野市委託契約約款」には、「別冊の仕様書及び図面に従い、契約を履行しなければならない」とある。そしてその仕様書、「ふじみ野市大井プール管理業務仕様書」には、「監視員は、日本赤十字社、日本水泳連盟等の講習会を終了した者及び経験者を適切に配置し、適正な監視体制を確立すること。」と明記されている。この表現がすこぶるあいまいであるように思う。「適切に配置」、「適正な監視体制」とは、例えばプールサイドに立っている監視員の2人に1人がそうであればいいのか。また、「日本赤十字社、日本水泳連盟等の講習会」の「等」とは、例えば高校の保健の授業で教える人工呼吸の講習でいいのか、あいまいである。 契約書の条文があいまいであるから、実行者はよりコスト削減ができる方に解釈し、やがて契約書そのものが軽視され、結果として「不適正な監視体制」ができ上がった。きちんと記述するなら、例えば以下のように書くべきだろう。 「監視員は全員、日本赤十字社、もしくは日本水泳連盟の講習会を終了した者を配置し、かつプール監視の経験がある者が常時3人以上いるようにした監視体制とする。」 この契約書の中のあいまいな表現はここだけではない。吸水口の吸い込まれ防止柵に関する記述でも「排水口及び循環水の取入口には、堅固な金網や格子鉄蓋等を設けてネジ、ボルト等で固定させるとともに、遊泳者等の吸い込みを防止するための金具等を設置すること」とある。ここでも「ネジ、ボルト等」となっているだけではなく、1枚の吸い込まれ防止柵について、4本あるネジの2本が脱落して2本だけで固定している状態であってはいけないとはしていない。 さらに、「埼玉県プール維持管理指導要綱」である。事故が起こった当日、契約上は24名(ここに記述する兼務を考慮しても22名)管理関係者がいなければならなかったはずが、京明プランニングからは15名しかいなかった。この要綱にはこうある、「プールの規模等の実情に応じ、管理責任者と衛生管理者は、同一の者が兼ねることも差し支えない」、また「救護員には、監視員を充ててもよい」。確かにこの2つの兼任だけについて記述してあるのだが、これを読んだ人は、『兼務が許されるもの』という意識ができてしまう。また、兼務を許す基準が「プールの規模等の実情に応じ」と、またあいまいな表現である。さらに驚くことに、衛生管理者に要求される資質は「プールにおける安全及び衛生についての知識及び技能を持つ」ということだけである。ここは、「管理責任者は、プールにおける安全及び衛生についての知識及び技能を持つ者を任命する。ただし、水面の合計面積が○○平方メートルを越えるプール施設の場合は、管理責任者とは別に衛生管理者を置くこと」とでもすべきだろう。 契約書、仕様書や要綱の条文をすべて暗記することはできない。細かく明記しても、請負業者の方は、兼務ができるという意識ができたとたん、管理責任者も要求された監視員数の1人として数えて良い、あるいは、清掃員も監視員の1人である、というように思ってしまう。 監視員教育を含めた危機管理の問題 筆者が高校生の時、よく一緒に麻雀をやった級友に水泳部の子がいた。夏になると、安いバイト料で市営プールの監視をやらなければならないとこぼしていた。しかし、その友人が泳ぐ姿を見ると、水泳が得意などというレベルのものではなく、他の泳者と全く違い、まるでイルカのようにすいすいと水の中を進むわい、とあっけに取られたものである。監視員として彼が見守るのであれば全く安心だと意識はしなかったものの、そう感じていたように思う。 プールの監視員に、第一に求められる資質は何だろうか。それは、こむら返りを起こして溺れそうになっている人をすばやく発見し、救助できることだと思う。第2に寒い日に長時間プールに浸かって、唇が紫色になった子供を見つけて休憩を取るよう注意することだろう。一部報道にあったような泳げない監視員では困るが、事故発生時に起流ポンプの配管を含めた構造を瞬時に頭に浮かべ、ポンプの電源を落とすよう管理棟に連絡することを要求することは酷だと思う。 では、何がいけなかったのか。それは管理を請け負った京明プランニングが、管理責任者も含めた監視員のトレーニングを怠ったことである。シーズンの始めには、管理や監視のスタッフはわかっていたはずであり、自分達が管理をするプールの構造と危険箇所は全員で見直しておくべきだった。シーズン始めの清掃中30分で済むことだ。これは、日本赤十字社のトレーニングでは教えることではない。だから今回の事故の問題は、監視員が要求されていた訓練を修めてなかったことではなく、請負業者が、やるべきトレーニングと設備確認を怠ったことである。 プールの吸水口や排水口に体の一部を吸い込まれ、動けなくなって溺死するなどの事故は、本記事で取り上げた事故(以下、本事故)以前にも何件も発生しており、参考文献6に列挙されている。本事故より前に流水プールでの死亡事故は見当たらなかった。 流水プールの起流ポンプでは、ポンプを中心に考えて、その上流の配管がプールに開口している部分を吸水口というが、一般のプールには循環ポンプがあり、その上流の配管がプールに開口している部分はプールを中心に考えて、プールが水を吐出す口、すなわち排水口と呼ばれることに注意したい。参考文献6や他ネットから収集した、本事故より前に発生した吸排水口での事故を1995年までさかのぼって列記する。
問題は、これら事故があったにも拘わらず、遊泳プールの管理を請け負った京明プランニングの関係者が、水を吸い込む開口部(本事件では吸水口、他の事件では排水口)を覆っている鉄柵が脱落した時の怖さを認識していなかったことである。 本事件に先立ち、文部科学省では同年5月29日付けで「水泳等の事故防止について」という通知を出していた。参考文献1も、多くのブログでも、『この通知が出ていたにも拘らず、』と残念がる意見が多い。これについては、次節で述べる。 筆者は、社会がこういった人命に関わる重要な情報を、もっと有効に共有する仕組みができなければならないと思う。筆者らが運用する失敗学会も、そのような重要な知識共有を目指し、本記事を書いて発表するなど、努力を続けているが、まだまだ自分達の力不足を痛感してしまう。 お笑い番組を見て笑うのも良いが、少なくとも自分が人の命を預かる仕事を行うときは、その仕事にまつわる危険を良く勉強する姿勢を各自が身につけなければならない。それには、上からの通知よりも、誰もが自ら進んで知識を体得するような、仕組みを提供できればいいと思う。筆者らはさらにもっと努力をし、そのような効果的な知識共有システムを産み出す創造性を発揮しなければならない。 文部科学省通知の問題 上述の2006年5月29日付け通知は、「水泳等の事故防止について(通知)」としてオンラインで見ることができる(図8、参考文献8.3)。その中では、さらに1999年の文部省(当時)の通知に言及している(図9、参考文献8.4)。筆者はこの2つの文献をオンラインで探すのにかなりの苦労をした。そこで、原文を書き写すのではなく、そのまま一部をコピーして本記事に転載する。 図8 2006年5月29日付け文部科学省通知「水泳等の事故防止について(抜粋)」 図9 1999年6月25日付け文部省通知「学校水泳プールの安全管理について(抜粋)」 この様な通知が、以前に発行された通知などに言及するのはよくあることである。読む側にすれば、はなはだ不親切に思われる。作成中は、引用している通知を読みながら、新しい通知を作成しているのだから、古い通知の該当部分をそのまま新しい通知に盛り込んで欲しいものである。が、今やインターネットの時代。通知はオンラインで発行し、古い通知に言及しても良いから、せめて読む人がそれを探さずとも済むように、リンクをつけて欲しいものだ。 これら通知を読んだとき、筆者は『蓋』という言葉が気になった。蓋といえば、『臭いものに蓋をする』といわれる通り、一般的には、開口部のある容器などに、気密なカバーを施して、中身がこぼれないようにするものであろう。中には圧力を逃がす目的で小さな穴を開けたものもある。大きなものでは、マンホールを覆って人や物が落ちないようにしているものは蓋である。 少し違和感はあるものの、1999年の通知は『格子鉄蓋や金網』とあるので、まだその形状の想像が付く。ところが2006年の通知だけを見ると、『排(環)水口の蓋の設置の有無を確認し』とあるので、プールを使用していない期間、動物が迷い込んだり、枯葉が吹き込んだりしないようにかぶせる密閉型の蓋を用意し、使用中はネジ・ボルトで固定することが特に要求されていない、簡単に取り外しができない構造の丈夫な格子金具があれば良いのかと読めてしまう。 1999年、2006年の通知では、どちらにもイラストはなかった。 筆者は、『蓋』という言葉がこれら通知に使われるようになった経緯を以下のように推測する。 循環ポンプでは、吸入側から小石や落ち葉、小動物などが紛れ込むことを極端に嫌う。理由は、それら異物がポンプ羽根に衝突すると、羽根が損傷し、羽根が折れたりすれば、ポンプ取替えの事態に発展しかねない。こういう事故を防ぐために、吸水の流れを一旦弱めて重いものは沈殿し、軽いものや小動物は上に浮くように流れのバッファを設けていたのではないだろうか。そして、そのバッファをアクセスし、異物を取り除けるようにマンホールの蓋のようなものが取り付いていた。図10左側のイラストは、その想像図である。 この蓋は、蓋と呼ばれても全く違和感がない。垂直型のバッファは、しかしそれほど小石や小動物が入ることもなく、排水口に直接取り付けた方がコストが低いこともあって、図10右のイラストのようになったのではないだろうか。そしてこの時、格子、あるいは柵の形状になったにも拘わらず、蓋という名前だけが残ったと考える。 図10 循環ポンプ吸水側バッファ想像図 【対策】 本事故の発生を受け、文部科学省では、翌日2006年8月1日付けで、各都道府県と国立大学、国立高専に、学校内外の水泳プールの施設・設備について、安全点検及び確認を依頼した(参考文献8.1)。そして8月7日には、排(環)水口の蓋が固定されていないものや吸い込み防止金具のない設備については、応急措置が取られていない場合、使用を中止するよう通知を発行した。 さらにプールの安全標準指針を草稿し、一般からのコメントを受けた後、2007年3月付けでこれを発行した。第1ページには、図11に示す図と説明が挿入され、ここに来て、『蓋』と『吸い込み防止金具』が何を意味するかが明瞭に示された。 図11 2007年3月発行「プールの安全標準指針」の第1ページ図 【後日談】 2009年6月14日、筆者は失敗学会会員2名と大井プールを見に出かけた。 プール敷地南側の体育館と、北川のテニスコートは賑やかだったが、プール敷地は、救助のために掘り起こされた部分を中心に、 起流ポンプの吸入口と排出口も含めてビニールシートに覆われていた(図12)。 このプールは取り壊されてテニスコートになるということだ。 【知識化】
参考文献
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Copyright©2002-2024 Association for the Study of Failure |