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株式会社プラックス訪問
2005年1月19日から21日,東京ビッグサイトで開催された
インターネプコンワールド第6回プリント配線板EXPOに,新たに失敗学会法人会員
となった(株)プラックス社を訪ねた.同社の製品はプリント基板の設計・試作実装.
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1964年,東芝府中工場の関連会社として創業した(有)松村工業が
(有)プラックスと社名を変更したのが1990年.主力製品は東芝府中工場の電子モジュールに
変わっていた.1991年には松村信幸氏が代表取締役社長に就任.東芝府中工場向け
製品のみ扱っていたのを積極的に新規顧客開拓をし,2001年には株式会社,2004年
には資本金を5千万円に増資,本社も移転して急成長を遂げている.
「量産となると,どうしても人件費の安い中国等の近隣諸国に
生産が移動します.私達は量産ではなく,試作段階の実証用に,小ロットで
作って欲しいというお客様のニーズに応えるのです」会場ブースの裏側に設けられた
仮設商談場で松村社長の話しを伺うことができた.「ですから,私達の特徴は
お客様からの難しい要求に応えること,かつ,すばやく仕上げて納品するという
ことです」
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小ロットの注文にすばやく対応するということ.これからの
適応性の時代に製造業が生き延びていくためには,不可欠の要素である.社内で
それに対応困難な大手は,いかにこのプラックス社のような会社と取引を行って
いくかがキーとなる.「新規顧客を開拓しようとしたときには,様々な抵抗がありました.
しかし,世の中にニーズがあること,私達が積極的に市場開拓
をしていなかっただけだとわかっていたのです」プラックス社急成長の牽引車と
なった林洋子製造部長が続けた.「お客様から超特急の注文が入ると社員が一団と
なります.そして早いだけではなく,品質も落とさずに対応するのが当然なの
です」
忙しいときは土日,祝祭日も関係ない.経営層だけではなく,
社員もそれが当然だと思っている.個人経営の零細企業では当然のこの意識が,
社会階層を上向きに浸透し始めているようだ.国際競争力をなくしつつある日本が
生き返るためには,こういった社会意識の改革も必要だろう.
最後に「ずいぶん大きなブースですね.驚きましたよ」と
多少失礼な言葉を投げてみた.「いや実は昨年,それなりに小さなブースで出展したら,
訪問者があふれて両隣のブースに迷惑をかけてしまったんです.ですから今年は
思い切って大きくしました」と,地元府中市のPTA,ロータリークラブ,地域振興
の会合など,多忙にもかかわらず精力的に参加されている松村社長の人柄を思わせる言葉だった.
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(いいの・けんじ)
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