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能登地震による志賀原発事故

 2024年2月17日(土)のForum 202 は、先に書いた(羽田空港衝突事故の対策を考える)事件をきっかけに開催したが、1月はこの他に、元旦の能登地震での志賀原発事故も話題になった。この地震・津波で命を落としたり、家を追われていまだに避難所生活を強いられたり、大勢の方が被災されたことに、謹んでお悔みとお見舞いを申し上げます。

 そのうえで、私たちができることの一つに、能登地震で露呈した志賀原発の問題に着目し、警鐘を鳴らすことだと思う。私たちの一連の交信、Forum 202 での検討、終了後も続いている意見交換についてここに書き記す。
 まずは前記事同様、吉岡さんの回想。
【吉岡】レブソン教授の著書「セーフウェア」で、彼女が「多くの大事故には、その前に予兆とも言うべき事象があり、それが大事故に繋がらなかったので問題ない、として、対策せず、その後の大事故に繋がる」と指摘していました。

 ここで思い出すのが、2007年の中越沖地震で発生した柏崎刈羽原子力発電所3号機変圧器付近での火災だ。黒煙をモクモクと上げている様子をニュースで見たことを憶えている人も多いだろう。この事故でわかったことに、原子炉や重要な機器は大きな地震があってもそれなりに耐えるが、周辺機器は意外と弱いということだった。
 この柏崎刈羽原発の事故で火災があったのは、送電用の設備。今回の志賀原発で損傷した変圧器は受電用だった。
【吉岡】今回は受電側の2系統が外電喪失したので、原子炉としては、きわどい所でした。想定の半分程度の震度(加速度)で変圧器が壊れるなんて、柏崎地震・火災を学んでいないと言えそうです。

 全くその通りだと思う。想定以下の震度で壊れたということは、地震を想定した強度計算をしていないか、していたとしても間違った計算だったと言えよう。別系統が生きていたから受電機能に影響はなかったということだが、それで安全だと安心はできない。今回は大事に至らずに済んだが、それでも1万9800リットルの油が配管損傷部から漏れ出し、そのうち6リットルが海に流れ出した。
 問題は、間違った計算、もしくはやらなかった計算。他にもそのような部材がないかということだ。

 筆者は、福島第一原発事故後、しばらくたってからある原発を見学させていただいた経験がある。新しい基準に対応するため、防潮堤は高く、建屋の耐震構造は改良され、水密扉が重々しく閉じられる様子も見せていただいた。そこまでするのかと、正直感動したものだ。
 しかし、よく考えてみると、きちんと対応した設備や装置だけを見て安心してはいけないのが原発である。デスクに乗った鉛筆が転がり落ちないかまで計算せよとは言わないが、安全に関する機器・設備は徹底的に設計を見直し、審査するべきだろう。絶対安全は間違った考え方ということを、福島第一原発事故は私たちに知らしめた。私たちはそれを結果ではなくて、目標として粛々と近づく努力を重ねなければならない。

 Forum 202 の後、当日参加はできなかったものの、配布資料を取り寄せていただいた山本直弘会員から、翌日通信があった。朝日新聞記事(ゼロ目指すべき)に言及し以下、意見が寄せられた。
【山本】記事からは「核セキュリティー専門家評価委員会」の委員長の会見のコメントとして「ミスゼロを目指せ(1ミリもミスをするな)」と東電に求めているということ、その前段に東電社長が「ミスやトラブルを前提に改善をしていく」と表明したことを受けたものとして、一般の読者には一見噛み合っているように読み取れます。
 しかし失敗学から学びを得たものとしてこの記事から委員長、東電社長、執筆した記者、それぞれの意識、認識にかなりずれがあるように感じています。「人間はミスをするもの、機械やシステムは故障やトラブルがあるもの」という前提は、ミスやトラブルが無いようにとことん突き詰めたとしても「確信を持って行った操作が誤操作であった(思い込み)」というヒューマンエラーや、マシントラブルを結果的にゼロにすることはできないということであり、東電の最近の不祥事であるIDパスの問題や防犯対策の照明の不備の問題はそれ以前の危機感の欠如、社内の意識レベルの向上が全然足りないということの言い訳にはならないと考えます。
 評価委員会の委員長の「ミスがあるという前提に立ってはいけない、という思い」というコメントはその点を指摘しているのであれば納得できますが、そうであったとしても一般の人も聞く(読む)ことを考えれば、「失敗を許さない日本の文化」の正当性といったことを改めて意識させるという点で適当ではなかったのではないかと感じます。
 おそらく執筆した記者はそこまで深く考えて書いたわけではなく一見辻褄が合うようにまとめているだけなのではないかと思います。
 いかがでしょうか。

 失敗学では、ミスは起こるもの。起こったときはマイナスだが、今後そのミスをなくす仕組みを構築するチャンスと考える。この時、注意力や人の良心に頼っては失敗する。「仕組み」を考えなければならないと教える。この仕組みを考えるのが、そう簡単ではない。そのため日ごろから創造性を鍛えるよう、大学院や社会人を対象に創造設計の教育を行っている。筆者が日本では「畑村学派」と呼ぶ人たちがそうだし、アメリカではスタンフォード大学の "d.school." の一派がそうである。

 Forum 202 には、年次大会でも講演をいただいた松井亮太先生もご参加いただき、意見を交換した。同氏の著作『不合理な原子力の世界: 行動科学と技術者倫理の視点で考える安全の新しい形』 が3月に発行予定だが、その紹介文から抜粋する。
【松井】福島原発事故が起きるまで、日本の原子力関係者は「原発で事故は絶対起こらない」と本気で信じていた。
     (中略)
私たちが学ぶべきことは、「人間には到達できない理想を追い求めても、いずれ破綻する」という事実である。

 松井先生の言葉によると、原子力関係者、それに地元住民まで『無謬神話』を追うように、カルト的様相が今見えているとのこと。それに対して吉岡さんは、『10年経って「そもそも神話は崩壊していなかったのでは?」と思うようになりました』。

 原子力発電所は、巨大なエネルギーを有する機械装置である。私たちは人知をもってそのリスクを制御し、その結果誤って「安全神話」なるものを確立するにいたった。それが崩壊した今、再びその巨大なパワーにすがろうとして、その取扱いに無謬を求めたら、また大きな鉄槌を食らってしまう。

 最後に先の山本さんの懸念を記しておく。
【山本】新潟の今年の最大の懸案は柏崎刈羽原子力発電所の再稼働問題です。
 昨年までは地震と大雪が同時に発生し、原発事故に至った場合の避難が滞りなくできるようにということが散々議論され、それでもUPZ(Urgent Protection action planning Zone:緊急時防護措置を準備する区域)は屋内退避が基本とされてきました。これはそこそこの地震でも原発は大きな問題を起こさないという「安全神話」がベースにあると考えられます。
 しかし今年元旦に能登半島地震で多くの家が倒壊し、屋内退避は事実上不可能な状況が発生し得ること、そして志賀原発もいくつかのトラブルに見舞われ、改めて避難計画が机上の空論であることが明らかになりました。
 これまでは再稼働は県民に判断を仰ぐと言っていた新潟県知事も、ここへきて再稼働に対して今までより慎重な表現に変化させています。私の自宅はUPZを少し外れた地域ですが、ここにはもはや具体的な避難計画として住民がきちんと認識しているものすら見当たりません。
 昨年末に「三つの検証総括報告書」の説明会を県が行いましたが、参加者は反対派住民ばかりで冷静なやり取りにならない状況です。このような状況で県民投票や知事選を行っても誰が何を判断したのかということが明確にならないまま進むことになってしまいます。
 温暖化対策には原発再稼働が欠かせないという論法かと思いますが、将来的に同じ比率(電源構成)で使い続けるのか、将来的に再エネに移行し原発ゼロを目指すのかといったことも十分に議論されていません。
 「安全神話」と、はっきりしない「経済効果(地元で消費する電力ではなく、県全体で見ればほぼメリットはない)」だけが再稼働の根拠になるのであれば、もはや首都圏の植民地としか言えないものです。
(2024年2月25日)
【飯野謙次】


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