「失敗学講演の旅」
第10回: 御巣鷹山慰霊登山(Part 2)
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山梨県を抜けて長野県に入り、20キロばかり走ると、右に折れて124号線に乗った。
カーナビが選択したこの124号線が曲者だった。ぶどう岳に向かってどんどん道幅が狭くなり、
やがては対向車とすれ違うにも、どちらかが道幅の広いところで待たなければならない。
僕らが借りたミニバンは10人乗りのハイエース。ちょっとしたマイクロバスほどもあるような大きな自動車だったから、
結構神経を使っての運転だった。
前日は秩父に止まった茶木夫妻と合流したのは、慰霊の園来訪者用一般駐車場。
上野中学校の校庭にまぶしいほどの白い線が駐車用に引いてあった。11時過ぎ、先に到着した僕らの他には乗用車が1台。
その日は、夕方から慰霊の園で追悼慰霊式が予定されていた。途中、10分ほどの休憩を取っただけで、
3時間もミニバンに座っていたので地面に降り立った時はホッとした。熱い日差しが照りつける土のグラウンドに立つのはいつ以来のことだったろうか。
総勢9名が揃ったところで、慰霊の園までの車道を登り始めた。
到着してみると、夕方からのイベントの準備で関係者は忙しそうだった。御遺族を始めとする参列者用の椅子がテントの下に整列し、
報道関係者だろうか、カメラや照明の設定に余念がない。
まず、目に付くのは慰霊の園のモニュメント。夏の太陽にも毅然とした存在感がある。
その裏に廻ると、この事故で犠牲となった520名の生前の氏名が整然と刻まれており、そこ、ここに花や缶飲料が供えられていた。
知った人はいないとわかっていても、思わず見入ってしまった。僕らのグループに一人だけ、知人が犠牲になった人がおり、
その名前を指差して感慨深げだった。
国土地理院の地図を読むと、この慰霊の園は標高650メートル程度。しかし、この日の太陽は高度に関係なく、
僕らに容赦ない照り付けを注いでいた。慰霊の園には、先ほどの天に向かってエネルギーを注いでいるような嘴型の現代風モニュメントのほかにも、
慰霊碑や菩薩様が置かれ、訪れる者の心を落ち着かせる。
この慰霊の園には、インタネットで何度も見た案内図があった。誰かが写真を撮って掲示してくれたおかげで、
それまで行ったことのない地を訪れようと計画をしていた僕らには、ずいぶん役に立ってくれた。こちらは平板の情報だが、
やはり心を落ち着かせてくれる効果がある。ただし、今は旧登山口のさらに上に新しい登山口がある。
僕ら一行9名は、それぞれの思いを胸に、慰霊の園を後に、熱いアスファルトの車道を降りていった。
駐車場にたどり着いたら、ちょうどお昼時。登山に備えて腹ごしらえをすることにした。
上野村到着時にトイレ休憩を取ったドライブインがあったので行って見るとレストランはなく、
お隣の山小屋風のレストランも日曜のためか閉店していた。幸い、道を渡ったところに小さな食堂が一軒。
とりあえずできて置いてあったいなりを食べようとしていたら、先に来ていたグループの人が、『いなりはすいとんに付いてくるよ』
と教えてくれた。甲府の宿の朝食バイキングでしっかり食べていたので、すいとんがちょうどいいということになった。
僕らのすぐ後に入ってきた3人組も『すいとん、3つね』と頼んだところだった。いなりと小サラダ付きすいとんの注文がつごう12人前。
満員になった食堂は急に忙しくなった。
なりゆきと他にチョイスもあまりなかったことですいとんを頼んだが、僕自身は好んですいとんを食べはしない。
味がどうの、食感がどうのではなく、あまり裕福でなかった時代を思い出すからだ。もう一人、隣に座った人も同じことを言っていた。
どうやらこの食堂では、すいとんは一度に3、4個しかできないようだった。食べ始めるまでに、セルフサービスの冷水を3杯も飲んでしまった。
慰霊の園で感慨にふけり、すいとんを食べて別の感慨にふけった。扇風機のそよ風が送る涼が、沈む心をかろうじて拾い上げていた。
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