学校教育における失敗学
昨年の年次大会において、少年新聞に御出展いただいたのを覚えている方もおいでだろう。
今年は3回連続の記事執筆依頼をいただいた。来年1月号からの連載になるが、
この執筆を始めるに当たり学校教育について、少し考える機会を得た。
どうもこの頃、歩道幅いっぱいに広がって歩いている子供たち、
開こうとする電車の扉の外で真ん中に陣取って下車する人が降りる前に乗ろうとする子供、
こういった社会の迷惑分子が増えているように思う。繁華街に乗り込んで無差別に人を刺殺したり、
捕まりたくないと車で轢いた人をそのまま引きずったり、
考えられないようなことをやる若者の出現と無関係ではないように思う。
失敗学会にも、教育関係者が多く会員登録されている。
問題意識をもってその解決を模索しておられるのだと思う。
世に学校教育に関してどうすればいいか、どういう方向に進むべきか討論、
研究しておられる方は多いだろう。
では、この私たちの社会が抱えた大きな問題を失敗学の見地からとらえたらどうなるだろうか。
ここに、学校教育の失敗原因まんだら案を作ったので下図に紹介する。
学校教育における失敗原因の分類図案
この図を“案”としたのにはわけがある。これは
JSTによる失敗知識データベース
にも紹介されている失敗原因のまんだら図を元に作成したが、
このJSTページに紹介されている失敗原因のまんだら図も、1996年に出版された、
続々・実際の設計―失敗に学ぶ に書かれた失敗原因の分類図にそのルーツをたどることができる。
そして、1996年出版の図は 108件の実際の失敗例を分析した結果、畑村会長率いる実際の設計研究会がたどりついた成果である。
すなわち、ある人が「む、む、む」と考えて作ったものではなく、確固たるデータに裏打ちされている。
失敗学会に、学校教育を考える分科会があってもおかしくないと思うが、
もし実現したら、まずは事例のデータ構造を考えてデータを収集し、
それを分析・統合して上の学校教育の失敗原因まんだら案をより正確なものに作り直していくことから始めるのが良いだろう。
それが、畑村会長が体系づけた失敗学の発生を踏襲することになり、
とにかく師匠の真似をしてみるという“学ぶ”ことの第1歩だと思う。楽して何かを得ようと思っても大成することはまずない。
以下、上のまんだら案に対して多少の解説を加える。
- 通常の原因まんだらでは左下の責任者を本人とするが、
今の場合は対象が自分では責任を取り切れない子供なので責任者を親とした
- JSTデータベースの“権利構築”や“戦略”といった言葉はビジネスの世界のことなので、別の表現を使った
- “不注意”など、先生の不注意と混同するので、“本人の”という言葉を足した
- このまんだら図は 7時の位置にある“無知”が原因の失敗は親の責任が大きく、
反時計まわりに回るにつれて徐々に学校の責任が増し、5時の位置にある“学校運営不良”で学校の責任が最大になることを示す
- 6時の位置にある“未知”が原因の失敗は、誰の責任も追及できない許される失敗である