三日目の朝はあいにくの雨。道後温泉最寄の三津浜港までの90分を歩こうと思っていた出鼻を見事にくじかれた。
まあ、そこは坊ちゃん電車の伊予鉄に乗れると思いなおし、波止場までの旅程をそれなりに楽しんだ。
松山市駅前で高浜線に乗り換え、三津で降りてから1キロばかりの道のりを歩いた。メジャー組である。
バス到着をフェリーが待つはずと頑なに時間ぎりぎりのバスを待つ人、
遅れそうと慌ててタクシーに乗る人、初志貫徹で雨の中、徒歩でフェリー乗り場まで来た人と、
様々だった。考え方や性格もバラバラなのに最後に集まってくるのが失敗学会らしくていい。
フェリーの銘板を写真に収め、後で調べると日立造船グループの内海造船、瀬戸田工場で2004年3月に建造された
441トン「しらきさん」とわかった。前日の進水式で見た20万トンにははるか及ばないが、プロペラ造り、
造船所と見学した後だったので、プロペラが作る白い水流がいつになく感慨深いものとなった。
目的の柳井港まで、3時間弱の長い乗船だったが、
瀬戸のあちこちに浮かぶ小島が作り出す不思議な景観がたいくつな行程を紛らわしてくれた。
やがて山口側大畠と屋代島を結ぶ大島大橋をくぐると発電所が見えてきた。
中国電力柳井発電所は、液化天然ガス LNGを燃料に70万キロワットの発電系列を2つ持つ総出力140万キロワットの施設だ。
単体で原子力発電所最大の出力を誇る浜岡5号機が138万キロワットだから、改良型沸騰水型原子力発電所一機と同程度と思えばよい。
ただし、浜岡5号は
2006年のタービン羽根ひび割れ事故以来、圧力プレートを装着した状態で運転しているので、最大出力が128万キロワットと落ちている。
発電コストの比較がネットのあちこちに見られるが、それぞれ計算をするために寿命や稼働率を仮定してやる必要があり、
必ずしもこれだという結果があるわけではない。おおよそ、原子力やLNGでは1キロワット時(1キロワットの機器を1時間運転するのに必要な電力量)
の電力に5円から7円かかるようだ。石油、水力、風力でその倍程度、太陽光発電だと数倍である。
原子力発電が社会的に受け入れられにくいのでLNGに分がありそうだが、そこはやはり化石燃料の一種。
石油よりは良いとはいえ、発電と共に二酸化炭素が排出される。
プレゼンテーションの後は、天然ガスを液化する低温のデモ。説明してくださる方が華やぐので、
自然こちらも笑顔になる。
液体窒素で作る-52℃の雰囲気は、LNG用の-162℃に比べるとずいぶん高いが、
肉眼で見るビックリデモには十分であった。防護用の手袋をしっかりはめた女性がゴムボールや薔薇の花を液体窒素に沈め、
それらを落とすと瞬時に粉々になるというでも。まるで手品ショーでも見るかのようにわくわくした。テレビの映像では見たことがあったものの、
やはり目の前で実物が砕ける様を見るのは面白い。
楽しいショーが終わると今度は現場の見学となった。
蒸気タービンと発電機を眺められるところから、
カット模型とタービンブレードの実物を手にしながら説明を聞き、
本物の大きさと複雑な機械と建屋の構造に舌を巻く。柳井発電所では、ガスタービン、
さらにその廃熱を利用した蒸気タービンと二段構えになっていることを教わった。
橋の下から眺めた高い煙突と円筒状の建屋外観からは想像もつかない。
技術は聴いただけ、映像を見ただけでは本当の理解はできないし、第一面白くない。
これほどまでに春合宿をみんなで熱心に計画を立てるのは、単純に面白さを体験したいからではないかと思った。
この春合宿の参加者は断然リピーターが多いことからもそのことが伺えよう。
最後に参加者からいただいた感想を掲載して今年の春合宿報告の終わりとする。
[ 飯野謙次 ]
マイクロバスにぎっしり詰め込まれて移動する二十名強の、服装も年齢もバラバラな大人達。
いや、好奇心に溢れる子供のような瞳を持った子供ではない旅人と言った方が当たっている不思議な集団。
見学に向かう車中ではそれぞれのこだわりを熱く語り合い、見学の後は見たこと聞いたことを共感し合い、また熱く議論する。
この雰囲気に初参加でもすぐに溶け込んでしまい、しらけた者が一人もいない本当に不思議な集団。
考えて見たら当たり前なのかも知れない。
失敗と言う宝の餌を求めて歩き回る火食い鳥の群れなのだから。
今回も地元の会員と事務局のコラボレーションによる卓抜な企画とコース取りで、
不思議な集団の好奇心を十分満足させる「大人の冒険旅行」となった。
Mr. K
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今回の合宿は今までに増して楽しみにしておりました。
それというのも、一昨年の春合宿で、神戸製鋼で製造されている船舶用のクランク軸の製造工程(鍛造の工程)の一部始終を見学しているからでした。
今回は、ナカシマプロペラでの船舶用プロペラの製造工程(私個人的にはスクリュー?)の見学と、
今治造船での18万トンの鉄鉱石運搬船の進水式とそれら20万トン級船舶の製造工程が手に取るように分かりました。
どちらも限界まで合理化し、それに合わせて日本人特有の職人技が、世界の同業社から追随を許さない、ひとつの理由であると思います。
ナカシマプロペラでは、「なぜプロペラは銅の鋳造か」等々、機械と職人の細かい作業でプロペラが製造され、また一品一品のオーダー製造されるさまは、正に今回のメインの見学でした。
また、今治では来島大橋のたもとの「大潮荘」での宿泊は、特に思いで深いものになりました。「大潮荘」では、午前5時の日の出を大橋の本州側から上がるのを見て、その美しさに感動しました。
もちろんカメラに収めましたので、来年の年賀状にこの写真を使かうか?と考えています。
最後に、今回の見学会の段取りをされた、大阪分科会の岡田敏明さんはじめ事務局の方々にお礼を申し上げます。
三田 薫 57歳 男性
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- 白鷹幸伯 和釘工房では、日本の伝統工芸の職人気質を十二分に発揮しておられた。
個人的には、このような技術は将来に向けて引き継いでいって欲しいものです。
- 中国電力柳井発電所では、トラブル対策として発電所内での停電対策は十分に行われているとのことでした。
ただ、地震やテロでLNGタンクが破壊した場合の危険性について質問してみたかったと残念に思っております。
もっとも、明快な回答は得られないものとは思います。
- 中尾先生の講演では、タイタニック号の沈没について、氷山に正面から衝突を避けようとしたことが原因の一つとのことでした。
その後、同様の事故が発生していないようですが、
日本の海運業界や自衛隊などにもこれらの情報が現場に伝わっているのかどうか心配になりました。
国内における最近の事故の原因が、想定外として簡単に片付けられているケースが多く、
創造性の欠如が問題であると認識しています。
22年5月30日 佐々 正光
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春合宿ではみなさまに大変お世話になりありがとうございました。
失敗学会でもなければお目にかかる機会もないような方々と親しく旅をともにさせていただき、
たくさんの貴重なお話をうかがい、ほんとうに楽しい時間を過ごさせていただきました。
日本のものづくりの底力を実感し、人生のあり方について学ばせていただいた旅でした。
その中で、ふたつ感想を書かせていただきます。
白鷹幸伯さんの工房で、和釘を打つという大変貴重な体験をさせていただきました。
といっても、「釘」の形にはなりませんでしたが。
白鷹さんに「鉄の柔らかさを感じることができましたか」と声をかけていただきましたが、
正直、とてもそこまでの境地には至りませんでした。もちろん、打てば延びていく強度ということはわかりますが、
私には言うことをきかない手強い相手でした。
白鷹さんの手の中で形を整えられ千年の命を吹き込まれていく鉄の生き物のような柔らかさ、
あたたかさを何度もテレビやビデオで拝見し、この工房で実感させていただきましたが、
そんな風に鉄が手の中に入ってくるには、何十年も修行しなければとてもとてもというのがこの日得た感覚でした。
でも、日本の伝統をつないでいく千年の塔を建てるための、
千年生き続ける釘を打つ白鷹さんのお人柄に触れさせていただいたことが、一番のしあわせな体験でした。
瀬戸内海の日の出も見ることができました。初日の宿 大潮荘は来島海峡大橋の入り口にありました。
朝五時前、避難経路をたどって宿脱出に成功。ぜいぜい言いながら石段を駆け上がり山頂へ到着すると、
展望台の袂から、美しい橋が彼方の山へとのびてゆき、霧の中へ消え、
ほどなくその先の山頂から真っ赤な太陽が産み落とされ、やがてオレンジに変わり、黄色くなり、
光が強くなって白く輝き出すと、海面に光の道ができました。
その光の道を、漁から帰ってきた漁船が三角の跡を引きながらよぎっていきました。
遥かな漁船のエンジン音、鳥の声に包まれた静かな朝。やがて高速道路の緑の街燈が光を失ってゆき、
青い空いっぱいに、包み込むような雲が渦巻いていました。15分もすると朝日は深い雲に呑込まれてゆき、
ショータイム終了、朝ごはんに宿へ帰りました。
憧れの地、瀬戸内海での忘れられない体験の数々、ほんとうにありがとうございました。
あさい
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合宿の行程表を見て当初、なかなか行けないような工場と観光も取り入れた訪問先と、
あまり関連性はないけど面白そうだなと初参加を決めました。
ひとつひとつ行程が進むうちに共通点が浮かんできました。
銅合金の特性と技術で作られるナカシマプロペラ、鋼軟鉄の技の日本刀の大山祇神社、
オーガニック綿でミラクルソフトを織り出す池内タオル、巨大な金属を適材適所に張り付けていく今治造船、
炭素含量を追求した和釘の白鷹幸伯氏、タイタニックのリベット材料欠陥の中尾先生の講演、
-160℃のLNGと1500℃のガスタービンを支える金属の柳井発電所。
最高の技術にはすべて最適な材料があるのを改めて考えさせられました。
合宿参加者一人一人の材質と技術の違いも楽しく、もっと早く参加すべきだったと悔やんでいます。
岡田先生のツアコン、お疲れ様でした。
本当に楽しい合宿をありがとうございました。
佐々木英三
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失敗学会事務局で仕事をさせていただいているので、飯野副会長と話をする機会は多い。
ある日、飯野副会長がとても嬉しそうに
「いやあ、8,000トンプレス機、すごかったよ」
とお話してくれたが、私ときたら
「はあ~。ほお~。」
と合いの手を入れるものの、まったく想像がつかないのだ。スケール付の写真を見せてもらっても、どうしてもピンとこない。
そんな私であったが、失敗学会のイベントに参加するようになって変わってきたことがある。例えば。
2010年、今年も春合宿に参加した。
最初の訪問先ナカシマプロペラでは、製造しているプロペラのでっかさに驚いた。
「大きい」ではなく「でっかい」という言葉がふさわしく、さらに、そのプロペラが「鋳物」であることに驚いた。
翌日訪問した今治造船では、「でっかい」と感じたそのプロペラが、おもちゃのように小さく見えるほどの船の大きさに驚いた。
このように、驚きっぱなしの体験をした結果、今は8,000トンプレス機がいかに大きいものか、すごいものかを想像できるようになった。
また、大山祇神社の宝物殿を見学していた時のこと。
「鯨髭張(げいちょうはり) 半弓」というものを見た。鯨の髭を張った弓である。この時、私が想像した鯨の髭は図のようなものだった。
「鯨にこんな髭、なかったよなぁ」
と考えていると、近くで同じものを見ていた中尾政之教授が
「ねえねえ、鯨の髭ってどんなのか知ってる?」
とおっしゃる。
「ナマズの髭みたいものがあるんですかね?」
「ね、そう思うだろう?僕もそう思ったんだけど、違うんだよ。鯨の髭って本来の歯の部分にこうね、、、(中略)それがフィルターの役割もしてて、、、(以下略)」
「はあ~。ほお~。」
鯨の髭がどんなものか、なぜこういったものに使用されるようになったのか、それは理解できたけれども、髭の実態がつかめない。
ところがその後、同じく大山祇神社にある海事博物館に鯨の髭が展示されており、それを見て合点がいったのだ。
小さな事柄でも、知らないことを知るのはとても楽しい。そして、実際に出向き、話を聞き、実物を見て理解した後は、
言葉による説明だけでも、実際の姿形や重量をさほどかけ離れることなく想像することができるようになる。
それは何につけても、とても大事なことじゃないかな、とこの年齢(40半ば)になってようやく実感を伴って気づいた。これが私の変化である。
さて、この春合宿で、さらに私は白鷹翁と一緒に和釘の穂先を鍛える機会に恵まれた。さらに、さらに、、、と話しはつきない。
私がこのような体験ができるのも、ひとつには、失敗学会のイベントでは、参加者の皆さんが自主的に協力してくださるおかげと思っている。
普通、役割分担が決まるとそれ以外は傍観、となることが多いのに、そうならない。
故に、私も一緒にいろんな体験ができるのだ。それに加え、飯野副会長が事務局でいつもあれやこれやと遁走してくださっていることが大きいことも、
ここで大いにアピールしておこう。
みなさんに感謝している気持ちを書きとめ、以上を春合宿の感想文とする。
鯨の髭については http://ja.wikipedia.org/wiki/鯨ひげ
に詳しい記載と画像があります。
福本喜枝(ふくもと・よしえ)
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