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失敗学会春合宿2011
大国主と島根の産業体感ツアー(Part2a)

日時:2011年 5月21日(土)
参加者:飯野謙次,平 和昭,斉藤貞幸

たたら鍛冶工房小刀製作体験コース

   08:40 タクシー乗車
   09:00 たたら鍛冶工房(雲南市吉田町吉田892-1)
   16:00 終了~タクシー、電車乗車
   18:00 ホテル着

 合宿2日目。今日は和技伝承体験志願組3名と、世界遺産銀山巡り組12名に分かれて行動した。 2泊3日なので行動も限られる。あれもこれもと望むわけには行かなかったのが心苦しい。 もっとも、工房も3名に限定して欲しいと言ってきたので、3名挙手したところで鍛冶体験は早々に締め切ってしまった。 他にも“体験”をしたかった人もいたかもしれない。
 チャーターしたマイクロバスは、多勢の銀山巡りに持っていかれたので、体験組は豪勢にタクシーに乗ることになった。 工房のほうが断然近かったのだから当然か。
 朝、朝食に降りていくと平夫妻と、合宿全体のアレンジに大活躍の福本嬢が先に来ていた。朝の挨拶を交わし、 和食をオーダーしてふと気がつくと、体験志願組の平さんが厚手の作務衣のようなものを着ておられた。
「いやっ、平さん、今日の体験にピッタリですね」
 すると、奥様が
「だって、綿100の服ってこれしかなかったんだもん」と和技伝承の達人のようなご主人のいでたちを説明。
 当の旦那さんは意に介する風もなく、トーストをちぎっている。
「あれぇ平さん、その格好で洋食は合わないですよ」とすかさずジャブを出しても、
「いや、これがいいんだ」と相変わらず平然としている。さすが平さん。
 後の写真に出てくるが、平さん、その日はこの紺色の厚手の作務衣に毛糸の防寒帽、 完全防護のゴーグルにピンクの袖カバーとなんともお洒落な装いだった。
 和食を頼んだ私は、出てきた定食を見て愕然とした。なんとパックの納豆がちょこんと乗っているではないか。 18歳で東京に出て来るまで、納豆という食べ物を見たことがなかった私は未だに納豆を食べない。 幾度か挑戦したことがあるし、お付き合いいただいていた女性が、 「わたしの納豆はおいしいんだから」と腕によりをかけて準備したものを食したこともある。 しかし、これはいけない。香ばしいとは思うし、義理人情で食べねばならない状況に追い込まれたら食べるが、 少なくともお金を出して買うものではないと思っている。 西日本で朝食に納豆を出すなんて、と私は心の中で半分涙ぐんでいた。

   私は子供のころから、饅頭は割って食べるものと教わってきた。 理由は、割って糸を引いたらそれは食べてはいけないものだからだ。 特に梅雨時、完全に痛んだ饅頭はすぐわかるが、痛みかけた饅頭は味や臭いではわかりにくく、 割って糸を引いたら捨てるのが大阪の知恵だった。 糸と言っても、松前漬けやオクラの糸とは明らかに違い、しかし納豆と同じ糸を引くのである。
 私は、関西よりも関東圏の方が食中り率が高いと勝手に信じている。理由は簡単だ。 関東圏の人は納豆を食べるから、他の食べ物が痛んでいても気がつきにくい。 東京でそんなことを主張してみても鼻で笑われるだけだが、いつかは統計結果を見てみたい。
 さて、一品足りない朝食を済ませて待っているとタクシーがやって来た。 これが曲者で、目的地を確認したのに到着まで山道をグルグル徘徊してずいぶん遅れてしまった。 さすがにすまないと思った運転手さんは、メーターを切ってくれた。 そのままだったら、倍は払っていただろう。

 気を取り直して、工房の方たちとご挨拶。 いろいろと世話を焼いてくださった吉田嬢と、その日の師匠の杉原和樹研究員。 この体験工房の主催は(財)鉄の歴史村地域振興事業団となる。体験コースは以下の通り。
この写真は会員のみ   壱、意匠決定
  弐、火造り
  参、荒仕上げ
  肆、土おき
  伍、焼入れ、焼戻し
  陸、砥ぎ

 私たちは右写真、⑥の火造り以降を体験したことになる。 後でわかったのだが、⑤素延べまでは、師匠があらかじめやっておいてくださったということだった。
 自分も曲がりなりにも人に教えることが多くなった昨今、講義をする前の準備が如何に大変か。 「親の気持ちは、自分が親になるまで分からない」というが、それと同じく 「師匠の気持ちも、自分が師匠になるまではわからん」のだろう。

 一通り挨拶を済ませ、その日の予定を聞き終わると、単なる鉄の棒にしか見えない素延べされた濃いグレーの鋼材を受け取り、
「それを今日1日で小刀にしていただきます。では、まずデサインをしてください」
 と、やにわにA4紙を1枚渡された。思わず和匠体験三人組は顔を見合わせた。
「好きな形にすることができますよ」と、師匠が引っ張り出してきたのは、近くの高校生が作ったという作品。 なるほど、唐草模様のような握部をしたものから、そのままの棒状のものに切刃だけが削り込まれたものまでさまざまだった。
 大人になってからというもの、物を作るとなると見本がなければなかなか着手できないのは要領がいいのか、創造性が減ってしまったのか。

この写真は会員のみ  思い思いのデザインを終えると、いざ工房に移動。まずは火造り体験である。 写真右寄り奥に炉が見え、炭がオレンジにいこっている(漢字を調べようとしたら、炭がいこるの “いこる” は関西弁と知って驚いた)。 鞴(ふいご)はさすがに踏むタイプではなく、電動式の送風機。 空気を送ると、赤かった炭が黄色く発色し、中に置いた成形前の素延べ棒があっという間に赤くなる。 火から抜いてたたき出すタイミングは、師匠に言われるがままなのは仕方がない。 しかしそれも、先に体験突入をした2人の作業をじっと見ていると、ちょうど良い具合に温度が上がった鋼の色をなんとなく判断できる。 全体を曲げたいときは、細いところがオレンジになるまでかんかんに熱する。逆に刃先となるところの形状を微妙に叩き出したいときは、 多少赤くなったところでやめる。試行錯誤の作業は、やっているその間も微妙な加減を和匠体験組に教えてくれる。
 鋼を叩きながら、2008年にもんじゅを訪問、常温の金属ナトリウムを切った体験を思い出した。 柔らかいといっても、“金属”であるという先入観なのか、ストンと切り進む刃に対して、均質ではない粒状の抵抗を感じたように思う。 「羊羹を切るみたいですよ」と言われていたのがなんとなく違うと思った。その時に感じた、 金属が押し潰される時の均質ではない、何か粒と粒の結束を破るときの抵抗を鎚を持つ指に感じていた。

この写真は会員のみ  火造りが終わると次は荒削りだ。気がつくと、学生時代にグランダー砥石の回転面には絶対立ってはいけないと、 刷り込まれた安全教育を実践していた。それから、回転機械で作業するときは手袋をしちゃならぬ。 なんともいえないへっぴり腰風になってしまうのだが、グランダー砥石は割れることがある。 割れると各かけらには遠心力が半径方向にかかっているのが、 それを拘束していた力が突然なくなるから必ず回転面のどこかに弾丸となって飛んでいく、というのが理由だ。 手袋は、これは巻き込まれたときにそれを引き抜く力は人間にはないから大怪我をするというもの。 いまだにそのような事故に遭遇したことがないのは幸運なだけだと信じている。 理屈っぽい人間には理屈で納得させるのが一番だ。

この写真は会員のみ  昼近くなり、ひとまず休憩。頼んでおいた弁当が届き、お茶をいただいて一息ついたら吉田さんが見学に行くと車を廻してこられた。 和匠体験三人組はギアをニュートラルに、言われるがままにどこにでもついていく。到着してみると、 そこは観光名所として知られた菅谷(すがや)たたらだった。日本で一ヶ所だけ残っているたたら吹き高殿の旧跡だそうだ。 前日に和鋼博物館、たたらと刀剣館、日刀保たたらを巡っていた私たちには、その昔、 本当のたたら吹きをやっていた遺跡を目にしたのは感動ものだった。施設長の朝日さんに案内していただき、 高殿(たかどの)、鉧(けら)を叩き割る約750キロの分銅がつるされた大場 (おおどうば。の字は、金偏に胴体の胴)など、 次々に案内していただいた。

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 下の右側写真は、帰り際に“ここからの眺めが一番”と案内していただいたスポットからの眺めだ。 とりわけ高殿の左、写真のほぼ中央やや下にあるカツラの木が紅葉すると、燃えるような赤色になるらしい。 私たちは朝日さんの写真コレクションで見るしかなかった。

この写真は会員のみ

この写真は会員のみ  思わぬプチ観光に気を良くした後は、いよいよ午後の部開始。
 “土おき”という、刀身に波紋を入れるための工程から入った。土、といっても粘土を水で溶いたような泥、 を分厚く塗布したところは焼きが甘く入り、塗っていない部分との境目に紋様が入るのだという。 わくわくしながら塗ったが仕上がった紋様は思ったほど明瞭ではなかった。
 土おきができると、いよいよ焼入れだ。 赤く熱した小刀を、師匠の合図にジャッとバケツの水に突っ込んだ時はいっぱしの刀匠になったかのような錯覚をする。
 柔らかくなるほどに熱した後に急冷し、今度は赤くならないうちに火から抜いて自然冷却する。 その作業の間、見た目には変わらない小刀の、内部の金属組織が変わっていくのかと思うとおもしろい。 1ステップごとにサンプルを切り出し、磨いて表面を腐食させて顕微鏡で覗くわけにも行かないので、 これは学生時代の先生の言葉と教科書の写真を信じるしかない。
 金属組織は、大学の学生実験であらかじめ準備されたサンプルを顕微鏡で見たことはあったが、 中学生のときは、岩石の顕微鏡標本作りで実際に本物を磨いたことがあった。 これが根気の要る大変な重労働だった。その同じ思いを次の砥ぎの工程で思い出すことになる。

この写真は会員のみ  最後の工程は砥ぎ。流し台に砥石を載せる木製台と荒砥ぎ、中砥ぎ、仕上げ用の砥石がわれらを待っていた。 始めてみると、それぞれ前の研き工程(荒砥ぎの場合は、グラインダー仕上げ)の条痕がなかなか消えてくれない。 その日の作業の中で、これに一番の労力と時間をかけていた。 セミプロの腕前を持ち、ご近所からもよく包丁を砥いでほしいと持ち込まれるという斉藤さんも大変な時間をかけていた。 それでも斉藤さんいわく、砥石がちょうどいい高さにあって力が入りやすかったとのことだった。 ベルトのわずか下辺りが砥ぎ師にはちょうどいい按配のようだ。 磨き上げると、師匠が幾重にも折り返しながら素延べした層の境界がはっきりわかった。 また、土おきで作った波紋がわずかに識別できた。
 この作業をしていると、「砥ぎあがった小刀で腕の毛を剃ることもできるんですよ」と師匠の言。 その場ではやらなかったものの、家に持ち帰って試してみたら本当に剃れた。 友人に見せてあげると言っていたのに、それからは外に持ち歩くのが怖くなってしまい、今ではうやむやになっている。 刃渡りが5センチ程度(最後の写真参照)なので銃刀法に抵触するわけではないが、なにしろ握持部が強そうだ。 何に使うかと聞かれてペーパーナイフです、では通らないだろう。工芸品と言って取り上げられるのも嫌だ。 何しろ小心者だから(少なくとも自分ではそう思っている)、そんなものを所持していたら挙動が不審になるに違いない。

 こうして長い1日を終えてみると、和匠体験三人組の手元には最高の記念品が残された。 思わず杉原師匠にお願いして記念写真に収まっていただいた。下の写真、右2つの小刀の右側にあるのは、 これも記念にいただいた鉧のかけらである。この桐の箱の中、きれいな赤いクッションは、 これも作成法を教わって自分たちで作ったものである。

 作業を終えた3人は、実に晴れやかだった。 もちろん1日だけの弟子入りだし、最後には完成品を持って帰らねばなるまい。 途中で力尽きた弟子の仕上げを師匠がやることもあるらしい。少々値の張る御代もあるから致し方ないところだろう。 こんなに甘い弟子入りはない。
 このような和匠体験はそうそうできるものではないし、その日は運良く、最高の案内つきで菅谷たたらをも見る時間があった。 値打ちは十分にあったと思う。
 師匠と吉田さんの話によると、本物の三日三晩とまではいかないが、24時間のたたら操業体験もあるのだと言う。 ネットで見ると、今年は11月8日から5日間のようだ(このリンクから、 イベント情報をクリック)。交通・宿泊費、操業に入るまでの食費の他に体験費用もかかるので、少なからぬ決心がいる。 後で考えようと思っているうちに締め切りが過ぎてしまいそうだ。

この写真は会員のみ


【飯野謙次】
(つづく)

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