特定非営利活動法人失敗学会 |
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復興への道のり(福島県いわき市) Part 2午後4時近かったので、1,600円也の入場料は割高感があったが、 少しでも復興の一助になるだろうと値切ったりはしなかった。 私は大阪で生まれた男やさかい、何でも値切ってみる癖がある。 デパートや量販店でも値切るから東京の人には驚かれることが多い。 ただし理由がなければ値切っても失敗する。 もちろん、デパートや量販店でも成功することがあるからこの癖が抜けない。 ローマやアメリカでも上手くいったことがある。外国人相手の値段交渉はなかなか面白い。 相手も然る者で、一度日本メーカーの現地法人で機器操作トレーニングの責任者をしていた時のことである。 経営者レベルの会議で教習講座の受講料を話し合いで決定した数日後、先方のバイヤーが電話をしてきて、 『長い付き合いなんやからまけてくれなあかんやろ、勉強してぇな』調の英語でまくし立てられたことがある。 世界に冠たる一流企業のバイヤーである。 さすがに面食らったが、こちらも値段交渉は慣れたものだから頑としてまけなかった。 20年以上も前の経験だが、いまだに覚えているのは、これほど利益を上げている会社でもこんな交渉をやるのか、 いや、やるからこそ大きな利益を出せるのだろうと、 世界に通用するビジネスを育てるのは大変だ、と心底感動したからだ。 初めて訪れる展示施設は入り口でわくわくする。普段なら、どういう順番で回ろうかじっくり作戦を立てるのだが、 今回は時間もなかったので館内案内を精査することもなく、足の向くままに歩き回った。 後からネットの案内を見ると、 どうやら4階まで上がってから降りてくる順路を逆にたどってしまったようだ。 2階にたどり着くとこの水族館の目玉の1つ、潮目の海にに遭遇した。 福島沖が北からの寒流親潮と、南からの暖かい黒潮が出会うところということだ。 違った2つの潮流の生態を1箇所で見せてくれる。 思わず、黒潮側の鰯の群れが竜巻のようにぐるぐる回るのに見とれていた。 デジカメの感度を上げて高速撮影すると、その姿を捉えることはできたがどうにもその躍動感が伝わらない(右写真上)。 そこで友人のY氏に教わった“感度を下げて目標物をカメラで追いながらシャッターを押す” というのをやってみた。 20回くらいシャッターを押して、ようやく右写真下、右上の鰯の姿を捕らえることができた。 昔に比べて写真はずいぶん気楽に誰でも撮れるようになった。しかし、思うような写真はなかなか撮れない。 3階に着くと、屋外に出る扉があった。目に飛び込んできたのはゴマフアザラシだ。 日本では、少年アシベに出てくるゴマちゃんでなじみが深い。 まだ子供なのだろう、その愛くるしい姿に目じりが下がっていたに違いないが、その隣の水槽の前に立ったらその両のまなこが大きく開いた。 映像ではないセイウチという生き物を初めて見ることができた。大きい。説明を読むと、1999年6月に生まれたメスの“ミル”。 その泳ぐ姿を動画にとろうとしたら、ガラス越しとはわかっていても、その迫ってくる姿のど迫力に思わず飛び退って失敗した。 下の YouTube 動画は2回目に挑戦した結果である。 「こんな閉館間際にあたいの好きな子供も連れないで、一人でのこのこやって来たやつめ、脅かしてやるわ」とでも考えたのかも知れない。 哺乳動物は知能も高い。人間なら何歳と、勝手な尺度で測られることが多いが、明けても暮れても狭い水槽と、 わずかばかりのコンクリートランドの上を行き来するしかなく、決まった時間の食事と少しの間の飼育員との交流では、退屈して当然だろう。 後でアクアマリンふくしまのANIMALS NEWS を見て知ったのだが、地震・津波の後 7月に再開して間もない8月17日に、やはり12歳だったオスの“ゴオ”が腸ねん転のため、 死亡したという記事があった。環境変化のストレスからだろうか。少し胸が痛んだ。 あの時、ミルは一人ぼっちになって3ヶ月余り。人間世界との境界板に近づく影を見ては「ゴオ?」と確かめにきていたのかも知れない。 だがこれも、人間の勝手なロマンチシズムか。 その後、迫力満点、リトルマーメイドのURSULAを思わせる蛸のパフォーマンス、SF映画の宇宙人のように見えてしまうハリセンボンなど、 ずいぶん楽しませていただいた。あわてて目を引いたものだけ見た割には満足した。 閉館時間も迫ると、小名浜港を見渡せる展望エリアからの眺めもたそがれてくる。
駐車場に向かいながら振り返ると、復興のための工事重機と地震・津波を見事に生き延びた木のシルエットが不思議な調和を見せていた。
今回の震災で私たちは自然の脅威を改めて思い知らされた。そのとてつもない破壊力を軽んじていたしっぺ返しを食らったような形になってしまった。
しかしだからと言って、自然の前に恐れおののいて頭に両手を当てて突っ伏してしまっては止まるしかない。 自然といってもそこは全てが平和なエデンの園ではない。弱肉強食、自然環境の変化に対応しきれない種は淘汰されていく。 科学技術を身につけ、数学を用いる私たちは、かつてない大量の情報をものすごいスピードで世界にちりばめられたシリコンの石に刻み付けている。 そしてバランスが崩れ始めた地球という太陽系惑星が、私たちが住める環境を提供し続けられるよう考え始めている。 自然を制覇することはできない。しかし、自然と共生できるよう知恵を絞ることはできそうだ。 有史以来の人類の発展をリセットして、洞穴生活に戻るのも1つの手かも知れない。 ただしその生活様式は今の世界人口を到底支えられないから、ほとんどの人の死を意味する。 少し前に戻り、科学技術を礼賛しながら突き進み続けることもできなくはないが、 どうやらそれは私たちの首を絞めることになりそうだと私たちは気がついた。 この2つのやり方のどこかに中間点を見つけてそこに落ち着くのか。 それとも、閉塞の壁を飛び越えて今までにない新天地をこの地球上に見出すのか。 今、私たちはとてつもない試練の場に立たされている。
【飯野謙次】
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