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特定非営利活動法人失敗学会 |
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失敗学講演の旅21: 涅槃仏と日本の孤立![]()
日中の最高気温がようやく10℃を超えるまだまだ肌寒い東京を脱出し、タイのバンコックに行った。2日間かけてタイで失敗学の講義を行うためである。事前に調べて[1]わかっていたものの、気温が30℃を超えるのはやはり暑い。ただし、湿度が高くなかったので、日本の夏よりはよほど過ごしやすかった。 丸一日を観光にとってあったので到着の翌朝、王宮グランドパレスに行った。どの建物が何なのか、まったくわからずにふらふら歩き回るのが僕のスタイルだ。それでも入り口まではたどり着かないといけないので最初は地図とにらめっこである。 ![]() ![]() ![]() 今は、日本人は何人いるのだろうと調べると55,000人を超える[3]から驚きだ。一方の在日タイ人も4万人弱いる。日本とタイの交易が盛んになったのは約600年前とされている。1887年には「日暹(にちせん)修好通商に関する宣言」(日タイ修好宣言)が発行され正式な国交が開始された[4]ものの、第二次世界大戦では日本がタイに進駐したが2国は日泰攻守同盟を結び、タイは枢軸国として戦った。ただし、タイ国内には連合国側と通じる勢力もあったため1945年の終戦で降伏することもなかった。 戦後日泰交流が回復し、現在に至っている。数ある東南アジアの国々の中でも日本がタイと友好関係が強いのは、どちらもヨーロッパ列強の植民地政策に屈しなかったこと、日本の皇室とタイ王室の交流、源流から発達させた独自の文字を持つことなど似たところが多いこともあるだろう。タイの政情はしかし不安定で、立憲民主制に移行した1932以降、19回目のクーデターが昨2014年に勃発し、以来軍事独裁政権となっている[6]。 ![]() グランドパレスより一回り小さいワット・ポーでは、わずかな下調べで巨大な涅槃仏像があると知っていた。これを見ようと思っていたが、他の門番像や金色の仏像列、スピーカから聞こえてくる読経の声などに気をとられ、うろうろしていたらいつの間にか出口を出てしまっていた。これはいけないと、同じように出口から出てしまった母娘連れの後について再入場した。今度はタイ語で書かれたわかりにくい構内地図を睨みながら、目的の涅槃仏殿を探した。地図には、指で何度も押されたに違いない一箇所だけ、塗料が剥げているところがあった。ここだと見当をつけ、目指していくと何のことはない、入り口を入ってすぐのところだった。 ![]() 英語ページでも探してみると、涅槃像が巨大化している謂れがあった[8]。
釈迦に会いたいが、敬意を表するのを嫌がった巨人 Asurindarahu を前に、寝たまま釈迦が大きくなり、また天国には巨人がいっぱいいるのを見せたところ、Asirundarahu が恐れ入った。
とあった。Asurindarahu がカタカナでは誰なのか探したが出てこない。最初は『進撃の巨人』、次に手塚治虫の『ブッダ』に出てくる巨人ヤタラに当たった。さすがは世界に誇るアニメ大国だ。ただし、中国語圏のページには当の物語が出てくる。日本にはそのストーリーが伝わっていないのか、それともアニメ文化に押されて上位に出てこないだけなのか。日本の英語力のなさは有名(*)だが、これからますます熾烈になる情報競争の中でいずれ世界に取り残されるのではないかと焦燥感にさいなまれる。僕も二個学期だけ、東大の機械系学部生に英語を教える教壇に立ったことがある。学部の授業は厳しく詰めるのが不評でそれら学期が終わるとやめてしまった。創造設計を英語で教える大学院授業は今も続いており、年々生徒数が増えるが受講生はほとんど留学生になった。日本人でもがんばった子数人は海外留学の切符を手に入れ、合格通知を手に嬉しそうにお礼を言いに来てくれた。外国語を楽に修得できる方法があると夢物語を見るのは自由だが、その寝ボケが世界での競争力を削いでいる。 ![]() 【参考文献】 |
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