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長瀬ランダウア失敗学連載の御案内

 長瀬ランダウア(株)は1974年長瀬産業㈱と米国Landauer社の合弁会社として設立し、今日までお客様の安心と安全の一助となるべく放射線測定サービスを提供してまいりました。
 また、Optically Stimulated Luminescence (OSL) 線量計は、国内20万人以上、全世界180万人以上のお客様にご利用いただき、近年アジアでも増加しております。 今後もより安心で使いやすいサービスと製品の提供を通じ、より広く社会に貢献できる会社を目指してまいります。


 このたび放射線測定サービス会社長瀬ランダウアさんのニュースレター、「NLだより」に飯野副会長が失敗学について連載を行うことになった。また同社のご好意でその文面を失敗学会ホームページでも掲載OKをいただいた。以下は飯野副会長の雑感と、第1回記事である。

 私が線量計を初めて身につけたのは確か大学生時代に原子力発電所を見学したときだ。その時のことはよく覚えていない。
 その次に線量計を作業服の胸ポケットに差したときのことは鮮明に覚えている。1985-86年の冬だったと思う。当時、GEの原発不具合補修の設計チームにいた私は日本のある原発の不具合修繕プロジェクトに加わり、遠隔操作ツールをいくつか設計し、幸運にも修繕遠征チームに加わることができた。
 プロジェクトは定期点検中に原子炉圧力容器の蓋をはぐり、燃料搬送プラットフォームの上から水面下10メートルより深いところで仮補修されていた不具合を、チームメンバーが設計したツールを駆使して本修繕してしまうというものだった。遠隔ツールと言ってもロボットとは程遠く、2メートルくらいの物干し竿状の中空棒を継ぎ足しながらツールを水中に沈め、力が必要なときはねじり力、位置決めは竿の上げ下げと、水平移動は曲げモーメントをプラットフォーム上から伝えてとなんとも原始的な作業だった。
 このプロジェクトの初日、線量計を渡されてそれを胸ポケットに入れ、原子炉建屋5階のフロアで作業開始の認可をぼんやりと待っていた。すると、いきなり胸ポケットの線量計がピピッと音を出したものだから、私は真っ青になった。1、2秒、線量計を見つめた後、体を激しく動かさないようにそっと歩いて、経験豊富そうな作業員のところに近づき、線量計を指差して
「鳴ったよ、今、ピピッて鳴ったよ!」
となるべく声を小さくして伝えた。
 そっと歩き、小さな声でしゃべったら、放射線も私に気がつかないと本当に思った。今にも泣きそうな顔をしていたのだろう、作業員はおかしそうに、
「数分に一回、電池がなくなっていないことを知らせるのに鳴るんだよ。数分たっても音がしなくなっているのに気がついたら教えてね」
と笑った。


失敗に学び、知恵を肥やして生き延びる
〔その1〕失敗学は組織を正しく導く
失敗学会 副会長・事務局長 飯野謙次

 「失敗学」という言葉が世に登場したのは2000年のことである。この考え方を提唱したのは失敗学会会長、東京大学名誉教授畑村洋太郎氏だ。失敗を通して痛い経験をし、そこから学んで同じ轍を踏まないようにする。この考え方は特に新しいわけではない。ことわざ「他山の石」のルーツ、「他山之石、可以攻玉」は紀元前に中国で編纂された「詩経」の言葉だし、その何万年も前、遠い祖先が狩猟に出かけ、不用意な足音で獲物を逃がした仲間を見て、自分は枝を踏み折らないように爪先立ちで歩く術を身につけたことは想像に難くない。
 では失敗学会が提示する「失敗学」は、「人の振り見てわが振りを直す」教えと何が違うのか。それは失敗学を体系づけたところと、その結果、失敗に学ぶ振りだけをして決して学ばず、やがて大失敗を起こしてしまう「組織」を対象に、どうすれば失敗から学び、その後の活動に活かすことができるかを教えていることだろう。
 人が失敗に学ぶのは、それをせずに痛い思いをするのは自分なのだから、他人に言われなくても自然にできることだ。これが複数の人間が集まって「組織」を作ったとき、その中の「個」の利害と組織全体としての利害が必ずしも一致せず、失敗が発現しても十分な原因分析もせず、対策もおざなりになってしまう。特に利益を追求する企業の場合、順風満帆のときは構成メンバーの能力の足し算を越えて相乗効果が得られる。ところが、何らかのほころびが露呈したとき、組織であるがゆえにそのほころびの分析と対策が不十分になりやすい。
 個人の場合、失敗、責任、分析、学習、対策、これら一連の行動ないし考察を行うのは全て当事者である。つまり全体が個と一致しており、複雑な利害関係や妙な画策がない。これが組織となるとどうだろうか。
 たいていの組織は、運営を効率化するためにピラミッド型の階層構造を持っている。個々の構成員はそのピラミッドのどこかにポジションを与えられ、細分化された日々の業務をこなしている。この組織に失敗が発現したとき、直接原因はピラミッドのどこかの点が綻びたことである。
 個人の場合と大きく違うのが、組織の構成員にはその組織の中の立場があり、他の構成員と競争関係にあることだ。自分ひとりだと、右手の失敗を左手から隠すことはありえないが、組織では構成員がその失敗を他の構成員から隠したくなるのは自然の摂理である。出世競争、給料の査定、他人に弱みを握られたくないという単純な競争意識などの理由がある。またいわゆる中間管理層も他の中間的トップに対する競争意識から、部下が起こした失敗は自分の管理範囲内で収めようとする。組織になったとたん、失敗に関する情報は流れなくなる。
 単位が組織という人の集まりであっても、その中で起こった失敗の情報は、組織の中に十分に浸透させるのが有利である。構成員の個人的な思惑で情報が滞るのは組織の安全文化が未熟であることに他ならない。一見個人的要因のために起こった失敗も、よく考えてみると組織の中にそれを誘発した原因があることが多い。この組織が内包する要因をあぶりだし、元を断つのが重要だ。
 もう一つ失敗に関する組織の弊害に、グループの正義が正しい判断を曇らせることがある。企業は利益追求が至上使命である。一般企業は利益を出してこそ社会に貢献ができ、利益を出せない企業は存在する意味がない。組織全体が持つこの意識が強すぎると時に社会的問題を起こす。
 たとえば、消費者に直接販売する工業製品を扱う会社を考えよう。あるとき事故が発生し、被害者への補償等でかかったコストが計上される。同事故が発生する確率も算出され、市場に出回っている製品数に掛けると、今後何回の事故対応が予想されるかがわかる。これに1回当たりのコストを掛け算すると今後の事故対応の出費が見積もれる。同時にこの製品にリコールをかけ、世に良く知れ渡るように宣伝も行ったときの出費予想も計算できる。ここで後者の出費予想が前者の出費予想を大きく上回る場合、リコールはかけないで、事故が起こるたびに対応で済まそうと考えるのが企業の論理である。個人の失敗対応では絶対に考えない利潤第一主義の対応が、企業では時にまかり通るのは真に恐ろしい。これは組織文化が不良な例である。
 失敗学では、失敗原因のまんだらを使った失敗の原因分析を提唱している。図のように失敗の原因を10個の大分類に分け、それぞれをさらに2~4個の中分類に分けて示したのが失敗原因のまんだらだ。単に「管理に問題がなかったか考えよ」にとどまらず、具体的にどのような問題が考えられるか、その項目を示すことでいやおうなく、たとえば「運営の硬直化」がなかったか検討をすることになる。失敗原因のまんだらは、組織運営を正しい方向に導く作用を持つ。

図 失敗原因のまんだら


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