春合宿2025 和歌山訪問レポート      2025年6月1日
川路 明人
1.はじめに
 私は、愛知県より春合宿2025に参加した。新大阪駅は、関西・大阪万博で、和歌山方面は、パンダで大変賑わっていた。天気はくもりだったが、和歌山に到着するころには雨となっていた。
 そのため、大変残念なことに梧陵堤防見学中止となった。 大半はバスでの移動だったが、初日は7,114歩、二日目は 9,044歩と「現地」をよく歩いた。
 主に、「稲むらの火の館」「トルコ記念館」「ジオパーク」の3施設について、印象に残ったことを簡単にレポートする。

2.稲むらの火の館(写真①)

写真①

 “稲むらの火”については、2004年2月に開催された第16回失敗学懇談会で初めて知る1)。その後NHKの“その時時代が動いた”で「百世の安堵をはかれ 安政大地震 奇跡の復興劇」2)として放映された。
 ちょうど20年前に初めて梧陵堤防を見学に訪れた。そして5年前、稲むらの火の館と梧陵堤防へ再度訪れた。今回で3回目の訪問となる。
 この地域は、古来より繰り返し津波の被害に遭い、梧陵堤防(1858年)より前に、畠山堤防(1400年代)、徳川頼信堤防(1600年代後半)が作られてきた。この事実を現場で確かめたかったが、雨天見学中止となり大変残念である。
 かわりに、ガイドさんから築堤のジオラマ(写真②)を前にして解説をお聞きした。

写真②

 終了後ガイドさんに、『梧陵は、知力、財力、行動力のあるリーダーとして復興の先頭に立って堤防を完成した。しかし、百世の安堵を得るためには、教育が重要との考えに至った。これは、弘法大師が満濃池の大改修をはじめとする土木業績だけでなく、私立学校(綜芸種智院)を作ったのと重なりますね』と話しかけた。
 すると、『梧陵と弘法大師は生まれた日が同じで、亡くなった日は1か月違いなんですよ。』と返事が返ってきた。私が、『梧陵は、弘法大師の生まれ変わり?ですね』というとガイドさんは微笑んでいた。
 濱口梧陵は、コレラや天然痘など感染症対策にも力を入れていた。東京大学医学部の前身であるお玉ヶ池種痘所が火事(1858年)になったとき多額の再建資金援助なども行っている。

3.三田新分科会会長講演(写真③)

写真③

 宿泊先に到着すると、夕食開始までの時間を活用し、三田新分科会会長による3本の講演(「JR列車事故」、「河川氾濫」、「リチウムイオン電池発火事故」)が開始。夕食を済ませ入浴後、リチウムイオン電池発火映像の視聴も行った。
 身近にあるリチウムイオン電池の危険性について、改めて実感することができた。また発火した場合、“水没”をさせないと消火できないことを学んだ。

4.トルコ記念館
 映画「海難1890」3)は、観たことがあった。トルコの人々が親日なのは、この遭難事故と名もなき日本人の救命と救助があったからだ。その程度くらいの認識しかなかった。初めて訪れて感じたことは、“こんな所に、こんな立派な記念館が!”と正直驚いた。
 受付の職員さんによると実際、50年前に開館されたそうだが全国的知名度はあまり高くなかったそうだ。(関西地区では、毎年トルコ大使を招いた慰霊祭がテレビで中継されているとの事)現在は、来場者も増え、海外からの見学者も増えているそうだ。
 なぜ、無謀な出航をしたのか?疑問だった。エルトゥール号の船員がコレラ感染し、出航を急いだのが背後要因のようだ。

5.南紀熊野ジオパークセンター
 2日目の朝、天気も回復し橋杭岩を見学した。ガイドさんによると1400万年前カルデラ噴火が起きた。この地域は、橋杭岩のような奇岩や巨石が多くみられる。ダイナミックな地球の営みによるものだ。
 人は、神の仕業として奇岩を信仰などと結びつけた。しかし、中央構造線上に古代神社が存在するのは科学的に説明ができない謎である。
 それと富士山の噴火リスクも忘れてはいけない。

6.参加者との交流
 三田新分科会会長は、最初から最後まで元気で明るくリーダーシップを発揮するだけでなく、会費徴収、各種支払い、講演、スケジュール説明など事細かく実務と気配りされていた。感謝の一言に尽きます。
 また参加された方で、特に同室の宿泊メンバーとは、交流を深められた。なかでもChatGPTの活用には、盛り上がった。稲むらの館に展示してあった“學訓”の漢文(写真④)をChatGPTに解読させた結果を拝見した。

写真④


帰宅後、私もChatGPTに初挑戦した。2つの質問をして解答を得た。
質問1:トルコ記念館の記帳内容について日本語訳。
質問2:後藤新平は、濱口梧陵を手本としたか?
※答えの詳細が正しいのか嘘が混ざっているのは不明である。

7.ふりかえり
レポート提出のミッションもあり、帰宅後、自分の秘蔵ビデオから「その時 歴史が動いた」と映画「海難1890」4)を観直した。前に観たのに、記憶から消えている部分が多くあった。
 和歌山にきて最初に見学したのは、深専寺の大地震津なみ心え之碑(写真⑤)である。

写真⑤


 道路を挟んで向かいの駐車場に津波避難用リヤカーがあった。(写真⑥)

写真⑥


  “愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ” と言われる。付け加えるなら、“歴史を過去のどこかの出来事”ではなく、“現在、未来に自分の身の回りに起りうる事”として捉えると、全く違う景色が見える。
 さらに予習して参加すれば、より鮮明な景色が見えたのに、と後悔している。
 地震、津波、海難だけでなく、パンデミック(コレラ、天然痘)も大変大きな問題であった事はコロナ禍を経験したので実感できる。ただし、歴史的痕跡として形に残りにくい。
 日本は、古来より自然災害の多い国である。しかし、私たちは、その多大な困難を生き抜いてきた子孫でもあるとも考える。
 伝承の問題は、簡単ではないが“釜石の奇跡”が示す通り、教育が重要である。昨今、学習指導要領の変更もあり、高校入試に防災に関連する問題が出題されるようになってきた4)。安全文化を変える大きな手法は、試験内容を変えること。出題される問題に解答できるよう教育も変化するからだ。
 知行一致ではないが、防災知識だけでなく、防災訓練も学校や町内会など地域社会などでも活発に行われている。

8.おわりに
 今回の春合宿を企画してくださった、飯野副会長、三田新分科会会長、川久保様、ご参加された皆様に深謝致します。

参考資料
第16回「失敗学懇談会」in 東京 2004年2月27日(金)
②NHK その時 歴史が動いた
百世の安堵をはかれ 安政大地震奇跡の復興劇(2005年1月12日放送)
映画「海難1890」
特集 防災教育 | 防災情報 高校入試問題
⑤Chat-GPTで調べてみた2題(別添)
以 上