春合宿2025に参加して

2025年6月6日
佐 藤 公 一

1.はじめに

 今回が通算9回目となる春合宿、2019年の鹿児島訪問以来6年ぶりの参加で、申し込み後わくわくしながら当日を待ちわびておりました。
 毎回、大変充実した行程で、集合場所に行きさえすれば解散まで色々な学びや体験、見学などができるこの合宿は、勉強が苦手な私にとって大変貴重且つ有意義な学びの機会となっています。
 今回は集合時間の関係で地元大分から大阪まで、フェリーを利用し、短い時間ですが、船旅も楽しむ事が出来ました。

2.船旅

 行きは別府港から大阪港へ、2023年春就航の新造船 “さんふらわあ くれない“に乗船し19時20分出航、船室はトイレシャワー付きの個室で、船内の売店で食料などを調達し、翌朝06時大阪到着まで、給湯室に氷とお湯を取りに行く以外部屋を出ることなく快適に過ごしました。(ほぼ満席ながら乗船前に確認すると一部屋だけ個室(写真①②)に空きがあり変更出来ました。)

 乗船した“さんふらわあ くれない”は、同型船の“さんふらわあ むらさき”と共にシップオブザイヤー受賞など、大変評価の高い最新鋭のフェリーです。また、LNGを燃料とする国内初の客船として、大変話題になった船です。

 帰りは19時神戸発大分行きのフェリーに乗船、比較的軽装の登山客(トレッキング?)の方が多かったです。個室でしたが、シャワーやトイレなどは無く、乗船前に調達した食料などを持ち込み、快適に過ごしました。船内には大浴場がありますが、一度に利用できる人数に限りがあるので、乗船して荷物を置いたらすぐに大浴場へ、既にロッカーの空きは7割程度、湯船に浸からず汗を流して脱衣場へ出ると、ほぼロッカーに空きは無く、急いで退出。その後間もなく出航、途中明石大橋を通過(写真③)する前にアナウンスがあり、丁度暗くなったところで夜景を見に外へ。心地よい夜風にあたってその後部屋に戻り朝まで快適に過ごし翌朝06時20分大分港に着岸。

 ①  ②  ③

3.春合宿 一日目

 和歌山駅で参加の皆さんと合流し、貸し切りバスにて一路広川町へ。移動の車中では、大阪分科会、三田会長自ら幹事役をして下さり。車窓からの景色を楽しみながら初めて湯浅町、広川町を訪れました。

 最初に訪問した湯浅町では、日本醤油発祥の地だという事を初めて知り、大変驚きました。続いて訪れた広川町の稲むらの火の館では濱口梧陵の名前を初めて知りました。また、今でも続くヤマサ醤油の跡取りとなり、家業のみならず故郷や国の発展に寄与したその功績は、「百年の安堵を図れ」という考えに感銘を受けると共に、人口減少に悩む地方在住の私には、色々な意味で参考になりました。

 当日宿泊の施設では、夕食前に三田会長の講話、その後の会食中の皆さんとの会話、入浴後の動画を視聴しながらの危険物に関する追加の講話をして頂きました。驚いたことは、河川の氾濫の後、溜まった水を排水するために人為的に破堤させるなど、海の近くの狭い平地しかないところに住んでいる私には、想像も出来ない事でした。

 「危険物の安全管理」として、2次電池による火災を動車運搬船の沈没事故などを題材として説明いただいた事は、海運業に携る者としても興味深い内容でした。また、新製品の開発初期の段階では、安全管理が発売の競争に追い付いて行かない事によって事故などが起こるのだと知りました。加えて、電気自動車の蓄電池がどのような物か、どのように作られ、その安全性がどのように保たれるようになったかなど、興味深く拝聴しました。

 ※ ここで余談ですが、夕食帰りのロビーで、クレーンゲームをしたところ、
1回(100円)で、景品が取れました。(下記写真)
この景品は、おそらくある製品の“そっくりさん”で、名前も似ていますが偽物ではないです。

同室の皆さんとお風呂に行く間に充電して、ちゃんと使えるかどうか試そうという話になったのですが、
2次電池での火災のお話を聞いてすぐのことだったので、発火しても燃え移らないように対策をして充電しました。

結果として充電は出来、ブルートゥースでの接続は出来ましたが、右側のみしか音が聞こえませんでした。

           
以上、一日目はこれに書ききれない、多くの学びがありました。

4.春合宿 二日目

 二日目は宿泊したホテルからすぐ近くの橋杭岩を訪れ、その周辺に点在する大きな岩々が津波によって運ばれてきたものだという事に驚き、ホテルから対岸に見えた紀伊大島にあるトルコ記念館、樫野崎灯台などを見学しました。

 ここでは、五〇年以上前からこの記念館が存在し、内部の展示物などにより、エルトゥールル号遭難の詳細とその後の日本とトルコの交流、イランイラク戦争勃発当初の日本人避難に係る詳しい話などを聞く事が出来、大変感銘を受けると共に、認識を新たにしました。

 これまで、漠然と遭難したトルコの軍艦の生存者を、日本海軍が初めて遠洋航海によって故国へ送り届けた。また、それが、日露戦争を戦った近代海軍の基礎となったという程度の事しか認識がありませんでしたので、より詳しく知る事が出来、良かったです。

 また、その後当社所属の船員さんにこの話をしたところ、誰もその史実を知りませんでした。機会を作って伝えようと思います。

 その後訪れた潮岬灯台では、本州最南端、当社の船舶も時折通過する広い海を直接見ながら、そのおよそ5時間後に通過するであろう社船の安全航海を祈念しました。

 帰りの船の関係で、ここで私は皆さんとお別れし、串本駅から電車で神戸へと向かい、春合宿の行程を終えました。

5.おわりに

 初めての参加以来、毎回、色々な施設、場所、そして講話して下さる方々から学びを得ながら私なりに失敗学会を楽しませて頂いています。

 「門前の小僧習わぬ経を読む」といいますが、私はまさに門前の小僧で、失敗学会の合宿や会合、関係の皆さんと会話する中で得たことを、受け売りしながら実践し、失敗を重ねながら学んでいるつもりです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉も失敗学会の中で知りました。

 愚者にも及ばぬ「門前の小僧」ですが、引き続きよろしくお願いします。


 最後になりましたが、全ての面でお世話してくださった大阪分科会三田会長、地元ご出身の川久保さん、同室の皆さん他、ご参加の皆様、そして残念ながらご参加が叶わなかった失敗学会、飯野副会長。また、事務局の加藤様、大変お世話になりまして有難うございました。