事例名称 |
判断と指示のミスによるA社航空機のオーバーラン事故 |
代表図 |
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事例発生日付 |
2000年03月05日 |
事例発生地 |
アメリカ・カリフォルニア州 |
事例発生場所 |
バーバンク・グレンデール・パサデナ空港 |
事例概要 |
ネバダ州マッカラン空港を出発したA航空XX便(ボーイングB型機)が、カリフォルニア州バーバンク空港へ着陸したのち滑走路をオーバーラン。空港施設である金属製の突風フェンスと外壁に衝突した機体は、滑走を続けたまま空港の敷地を越え、市街道路上で停止した。緊急避難を開始したが、乗員乗客のうち44名が重軽傷を負った。その後の調査で、事故機の機長・副操縦士および事故機を管制していた航空交通管制官に判断および指示における過失があったことが判明。これら人為的要因が事故の主な原因とみられる。なお、乗員のスケジュールは3日間で5便の連続乗務となっており、事故機の1455便はその第1便。 |
事象 |
事故機は、ネバダ州ラスベガスのマッカラン空港を、予定より約2時間遅れの16時50分頃、カリフォルニア州バーバンク空港に向けて出発。18時02分52秒からおよそ7分間にわたって、南カリフォルニア・ターミナルレーダーの進入管制を受けつつ、バーバンク空港滑走路8へ誘導されることとなった。事故機の総重量はほぼ最大で、滑走路8は全長6032フィートの短い滑走路だった。進入・着陸時には6ノットの追い風があり、滑走路面は雨で濡れていた。18時4分2秒、事故機を担当していた管制官が事故機の機長らに230ノットの速度規制を指示。ところが、18時7分43秒時に進入許可を与えてからもこの規制を解除しなかった。このため、適正な対気速度(138ノット)まで減速する時間が不足し、結果、進入のための適正な経路角(およそ3度)が得られなくなった。加えて、事故機の操縦を担当していた機長および副操縦士が計器情報の確認・発呼を怠ったため、機体の減速操作がさらに遅れた。事故機は、対気速度182ノット、経路角およそ7度での不安定な進入を断行。滑走路8に接地後、停止距離が十分でない状態で滑走を続けた事故機は、滑走路8の右約30度の方向へ逸れ、接地点からおよそ4150フィートに位置する金属製の突風フェンスと外壁を突き抜けたのち、空港東部にある4車線の市街道路上で停止。機体は、機首・左前脚部・胴体・両翼の前縁制御装置およびスポイラー部分が損傷、機内では客室乗務員用のジャンプシートが一部損傷した。また、脱出用スライドが膨張して通路を塞いだため緊急避難に手間取った。乗員乗客142名のうち重軽傷者は44名、死者はなし。 |
経過 |
16時50分頃マッカラン空港を出発した事故機は順調に航行を続け、バーバンク空港の北西およそ30マイルに位置するパームデール空港の無線標識上空8000フィートを通過。その後、副操縦士がバーバンク空港の飛行場情報サービスから気象および滑走路情報を入手。当時バーバンク空港周辺は有視界気象状態だった。17時54分21秒時点で機長はバーバンク空港滑走路33への着陸を予定していたが、18時2分52秒、南カリフォルニア・ターミナルレーダーの進入管制を受け、ウッドランド管制官によって滑走路8へ誘導されることになった。18時4分2秒、管制官より230ノットの速度規制が発せられ、機長がこれを了解。18時5分8秒、管制官から「機首を160度に左旋回せよ」との指示を受けたため、事故機は滑走路8端末部の西およそ8カイリ地点から経路角およそ7度での最終進入を行うことになった。18時7分43秒、管制官より降下許可、3000フィートを維持するよう指示があり、副操縦士が了解。18時8分19秒、管制官は滑走路8への視認進入を許可したが、230ノットの速度規制が解除されなかったため、事故機の減速が遅れた。機長が最終進入のために左旋回を開始し、フラップの展開を指示した時点で、対気速度は約220ノット。ここで着陸復行を行うという選択肢があったにもかかわらず、機長および副操縦士は進入を続行。18時10分24秒、操縦室で地上接近警報装置が作動、降下率の逸脱を警告。高速度と急な経路角のまま着陸態勢に入った事故機は、滑走路8(全長6032フィート)の端末部からおよそ2150フィート地点に約182ノットの速度で接地。なおも滑走を続け、滑走路8の右約30度の方向へ逸れ、およそ20秒後に約32ノットで、接地点からおよそ4150フィートにある金属製の突風フェンスに衝突。さらに外壁を超えた機体は空港の敷地を越え、空港東部に位置する市街地の4車線道路上で停止した。18時11分頃、バーバンク空港管制塔が同空港の航空機救難消防施設へ事故の発生を通報。アクセスキーカードを用いてゲートを開いたのち、消防車3台・救急車1台・消防隊員6名が現場へ駆けつけた。機内では、機体が停止する前から膨張を始めていた前方サービスドアの脱出スライドが、ほぼ機体の幅いっぱいに展開して、客室から前方の左右ドアまでの通路を塞いでいたため、乗員乗客は翼上の非常口および後方左ドアから脱出した。 |
原因 |
A航空には、航行の各段階における操縦手順を細かく規定した自社マニュアルがあり、同社飛行機操縦時の携帯を義務づけているほど重要なものである。ところが、事故機の機長および副操縦士は、この自社規定マニュアルに従わずに降下・進入・着陸操作を行っていた。実際に、機体の総重量が大きく、追い風が吹いている状態で、短い滑走路に着陸する場合は、操縦室に搭載されているコンピュータから「着陸モジュール」を呼び出して、位置確認や気象状況のデータなどの有益な着陸情報を得ること、という規定があるが、事故機の進入時、副操縦士は「着陸モジュール」を使用せず、機長もその使用を指示しなかった。その他にも、(1)チェックリストの読み上げを行わなかった、(2)副操縦士は、18時10分33秒の時点で対気速度が190ノット近くになっているのを知りながら、速度逸脱の発呼を行わなかった、(3)18時10分24秒から地上接近警報装置が作動していたが、副操縦士は降下率逸脱の発呼を行わなかった、(4)副操縦士が降下中の高度の発呼を行わなかった、(5)警報が作動するほど不安定な状態だったにもかかわらず、進入の中断および着陸復行を行わなかった、(6)滑走路の着陸側端末部から1000~1500フィート地点に接地させなければならないのに、事故機は滑走路8の端末部からおよそ2150フィート地点で接地した、といった自社規定に反する行為が明らかになった。もう1つの要因としては、事故機の管制を担当していた管制官の指示ミスが挙げられる。18時4分2秒に230ノットの速度規制を指示した管制官は、18時8分19秒に視認進入を許可した時点で、さきに発した230ノット規制を解除しなかった。このため事故機の減速開始が遅れ、適切な進入を行う時間が不足した。また同管制官は、18時5分8秒に「機首を160度左旋回せよ」、18時8分19秒に「高度3000フィート」と指示、事故機は滑走路8の端末部の西およそ8カイリ地点から最終進入を行うことになった。このため、事故機は滑走路端末部に接近しすぎた状態で、高高度から高対気速度で進入せざるをえなくなり、必然的に進入時の経路角が大きくなった。以上のような人的要因から、事故機は滑走路上の適正な位置に接地できず、着陸距離が不足したまま滑走を続け、空港施設を損壊しながら市街道路にまで達する結果となった。 |
対処 |
事故前:マッカラン空港出発前に、事故機の乗員が機体を検査し、整備上の不具合がないことを確認した。 事故後:機体停止後、バーバンク空港管制塔からの連絡を受けて、同空港航空機救難消防施設から消防車3台、救急車1台、消防士6名が出動、乗員乗客の避難救助活動にあたった。また、事故原因究明のため国家運輸安全委員会は、事故機から回収したボイスレコーダー・フライトレコーダー・事故当時のレーダーデータをもとに、当事者および関係者からの事情聴取をはじめとする各種調査を行った。これにより、事故機の進入・着陸時における位置、経路角、対気速度と、機首の引き起こしを行っていた時間および高度を算出。また、バーバンク空港滑走路8へ安全に着陸できる経路角を割り出すため、同滑走路に着陸した70機の飛行機データを収集し、事故機のレーダーデータと比較した。さらに、国家運輸安全委員会の要請でボーイング社は、事故機が滑走路上のどの地点で接地したかを割り出すため、最大・中程度・最小の3段階でのオートブレーキ使用時とマニュアルブレーキ最大使用時の737型機の停止距離実験を行った。 |
対策 |
2000年3月16日、バーバンク空港当局が国家運輸安全委員会に提出した文書によると、空港当局は「駐機・移動の航空機および旅客ターミナルが滑走路に近接しており、安全性が懸念される」ことを理由に、旅客ターミナル取替を最優先事項として実行する決定を出した。同文書にはまた、オーバーラン地帯建設の目的で地所の取得を行い、さらに空港周辺道路の位置下げも検討したこと、新たな駐機場スペースの確保に成功したこと、について報告している。また、ゲートのアクセスキーカードは事故後、空港の航空機救難消防施設のどの車両からもゲートが開放できるよう、リモートキーに取り替えられた。 |
知識化 |
どんなベテランでも、日常業務に慣れて基本をおろそかにすれば、生命に関わるような重大なミスを犯す可能性がある。一つ一つは小さなミスでも、それがいくつも重なれば大事故につながりかねない。楽観的観測は適正な判断の妨げになる。このことを踏まえ、基本の重要性とその意味について、社内研修などの形で共有化を図るべきである。 |
背景 |
事故の時点で、A航空B型機の累計飛行時間は、機長が約9870時間、副操縦士が約5022時間。ともに航空事故歴・強制執行歴はなし。事故機を担当していた管制官は、1989年5月以来ずっと連邦航空局で勤務しており、自家用機での累計飛行時間も約145時間ある。つまり、この3人はいずれも、飛行に関する豊富な経験と確かな操縦・管制技術を持っていたといえる。にもかかわらず、自社操縦マニュアルの遵守を怠る・不適当な管制をする、などの基本的な過失が生じたのは、自らの経験・技術に対する過信や、危険回避に対する油断があったと見るべきである。事故機が完全に停止したのは市街道路上であったが、もし道路脇のガソリンスタンドに衝突していたら、火災発生による被害は勿論のこと、脱出スライド膨張による避難の遅れとあいまって、大惨事となっていただろう。 |
後日談 |
2000年8月14日、バーバンク空港当局はバーバンク市に対し、現行の旅客ターミナルを0.5マイル北へ移動させるための建設申請を提出したが、投票の結果、市の有権者の58%が、既存の騒音・環境問題が合意に達するまで、空港計画を承認する市議会の権限を剥奪することが承認された。さらに、空港の騒音とアクセス規制に関する、連邦規制基準CFR14-161の再調査が開始。このような動きを受けて、バーバンク市は2001年12月4日、空港での許可を要する全ての行為に対して、建設許可発令の猶予を設けた。事故機の機長および副操縦士は2000年8月に解雇。また翌年、本事故によって負傷した乗客4名がA航空を相手どり訴訟を起こした。 |
よもやま話 |
2001年8月17日、アメリカ連邦航空局はバーバンク空港に対し、空港整備計画の一環として、滑走路8の出発側端末部にEMAS(もろい発泡セメント上を滑走する際、機体を減速させる装置)設置のための資金190万ドルを拠出した。2002年1月に設置完了。 |
データベース登録の 動機 |
人為的要因による事故を減少させることは非常に困難とされているが、だからこそあえて、このような人為的事故の事例を紹介して、事故防止に役立てたいと考えた。 |
シナリオ |
主シナリオ
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不注意、注意・用心不足、作業のなれ、誤警報経験、手順の不遵守、手順無視、操作手順無視、誤判断、状況に対する誤判断、定常操作、手順不遵守、定常操作、誤操作、人為的条件変化、限度を超過、定常操作、手順不遵守、機能不全、ハード不良、機械・装置、運転制御、オーバーラン、破損、変形、身体的被害、負傷
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情報源 |
http://www.ntsb.gov/publictn/2002/AAB0204.htm
http://www.nctimes.net/news/2001/20010305/wwww.html
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死者数 |
0 |
負傷者数 |
44 |
物的被害 |
金属製の突風フェンスと空港外壁が、衝突の衝撃で損壊。機体は、左機首部分、機首円錐部の一部、前輪格納部分、前脚、電子機器格納部といった、機首および胴体部分の損壊が主。その他、左翼の先端部、両翼の前縁制御装置、各翼に5枚ずつ装備されているスポイラー数枚が損壊。また、客室乗務員2名が座っていた前方ジャンプシートが一部損壊した。 |
備考 |
負傷者44名のうち、乗客2名が重傷、乗客41名と機長が軽傷を負った。 |
分野 |
機械
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データ作成者 |
サトミヨコタ (SYDROSE LP)
中尾政之 (東京大学工学部附属総合試験所総合研究プロジェクト・連携工学プロジェクト)
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