事例名称 |
計器の機能不全と悪天候によるセスナ機の墜落事故 |
代表図 |
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事例発生日付 |
2000年10月16日 |
事例発生地 |
ミズーリ州ヒルズバロ付近 |
事例発生場所 |
セントルイスの南、約50キロ(北緯38°18′西経90°30′)の雑木林 |
事例概要 |
ミズーリ州のメル・カーナハン知事を乗せたA社製小型飛行機B型は、イリノイ州セントルイス市内の空港から、選挙支持者達の待つミズーリ州ニューマドリードに向けて飛び立ったが、セントルイスの南約50キロの雑木林に墜落。カーナハン知事を含む3人が死亡。同機は大破し、機体は広範囲にわたり散在した。機体の計器の機能不全と悪天候が引き起こした事故だった。 |
事象 |
メル・カーナハン ミズーリ州知事を乗せたA社製小型飛行機B型は、ミズーリ州ニューマドリードに向け、イリノイ州セントルイス市内の空港を出発した。ニューマドリードでは選挙支持者達との集会が予定されていた。離陸から約20分後、セントルイスの南約50キロ、ミズーリ州ヒルズバロ付近で同機は墜落。知事をはじめ、同機の操縦にあたった息子のランディ・カーナハン氏、選挙参謀のクリス・シフォード氏の3人が死亡。機体は大破、広範囲にわたり散在した。事故当時、現場上空は雨と霧のため視界が悪く、暗かったことに加え、機体の計器が機能不全に陥ったことが引き起こした墜落事故である。 |
経過 |
双発エンジンのA社製小型飛行機B型が メル・カーナハン ミズーリ州知事を乗せイリノイ州セントルイス市内の空港を飛び立ったのは2000年10月16日の19:15。同機の操縦にあたったのは知事の息子ランディ・カーナハン氏、選挙参謀のクリス・シフォード氏も同乗していた。当日3人は、11:40ごろ空港に到着し、その後選挙キャンペーンに出向いた。18:35、ランディが空港に戻り、気象状態をチェックするなど、準備に入る。18:45、知事とシフォード氏が空港に到着、同機に乗り込んだ。滑走路での走行などで離陸の準備を整え、19:15に離陸した。離陸から5分後の19:20、操縦席側の主姿勢表示の異常を確認。管制塔からは機体を水平に保ち、できるだけ高度を上げるよう指示がでる。19:22、ランディはミズーリ州ジェファーソンシティの空港への方向転換を申し出るも、管制との交信が上手くいかないまま飛行を続けた。当時の天候は雨。霧も出ており、視界は約4キロと見通しが悪かった。周辺は明かりもなく暗かった。そうした悪条件の中の飛行でパイロットは機体のコントロールを失っていった。その後数分、管制とのやりとりがあったが、19:32、レーダーから機影が消える。そして、19:33、セントルイスの南約50キロ地点、ミズーリ州ヒルズバロの雑木林に墜落した。 |
原因 |
事故を起こしたA社製小型飛行機B型は6人がけの1980年A社製。6人のオーナーを経て1997年ランディ・カーナハン法律事務所が購入。2000年8月21日には定期一年点検も受けており、9月28日付けのログブックには「不具合のあった縦揺れ調整自動制御装置と副操縦士側の姿勢表示はいったん取り外され分解修理後、再度取り付けられた。左エンジンの真空ポンプも交換され、新しい真空フィルターも取り付けられた。」との記録が残っているため、操縦席側の主姿勢表示の異常のはっきりとした原因はわかっていない。たとえ計器に異常を来たしたとしても、計器飛行規則の資格を持ったパイロットはかわりになる計器を使うよう訓練されており、主姿勢表示を使えなかったことは、パイロットがコントロールを失い、事故に至ったことの直接の説明にはならない。しかし、左側の操縦席に座っていたパイロットが右上の方にある計器と、照らし合わせながらの操縦は飛行方向を失わせる原因になった。また、雨が降っており、視界も悪かった現場では乱気流もあり、その中で機体のコントロールはもちろん、雑音レベルの上がったコックピット内では管制塔との交信もまた困難を極めたと思われる。 |
対処 |
事故の知らせを受けたハイウェイパトロール、保安官事務所、15の違う署から集まった100人の消防士達が、事故後の処理にあたった。そして、NTSB(国家運輸安全委員会)が調査を率いていくことを発表した。 |
対策 |
事故後、連邦航空局は耐飛行性などを確実にチェックするシステムの導入を検討中。 |
知識化 |
文明の力をもっても自然の前では無力になることが多々ある。時間から時間に追われる現代において、速さ、手軽さも必要かもしれないが、常に私たちを取り巻く自然の力を簡単に考えてはならない。 |
背景 |
カーナハン氏は1800時間以上(事故機についても513時間)の飛行経験があり、基本的条件はもちろん、計器飛行についても民間飛行についても、必要条件は満たしていた。過去の飛行記録にも問題はなく、双発エンジン小型飛行機の免許ももっていた。事故当日、カーナハン氏は数回にわたり気象状態の確認をして、19:15の離陸にのぞんだ。彼自身、飛行に際し天候は問題にするほど悪くないと思ったように、セントルイスの空港関係者も問題ないと思っていた。実際に事故を起こした小型飛行機の前後にも何機か離陸、着陸したという。 |
後日談 |
2002年7月、カーナハン知事の家族とシフォード氏の家族は、A社と160万ドルで和解に応じたが、家族の代理人は、A社製小型飛行機の真空システムと飛行計器についてはその製造メーカー各社に対し訴訟をおこすかまえであることを伝えた。 |
よもやま話 |
カーナハン氏の事故は1976年に起きたジェリー・リットン連邦議会議員の飛行機墜落事故を彷彿とさせる。チリコシーからカンザスシティまでの短距離飛行中、野原に墜落。リットン氏、その妻シャロン、2人の子供たち、パイロットとその息子が死亡。機体左エンジンにあるクランクシャフトに問題があったための事故だった。 |
データベース登録の 動機 |
政治家に限らず、俳優などが移動に小型飛行機や自家用ジェット機を使うことがよく見られるアメリカで、操縦ライセンスとそれに携わる者の責任の重さを考えてほしいと思ったから。 |
シナリオ |
主シナリオ
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未知、未知の事象発生、誤判断、状況に対する誤判断、定常動作、不注意動作、環境変化への対応不良、使用環境変化、自然的条件変化、嵐、破損、大規模破損、衝突、身体的被害、死亡
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情報源 |
http://www.ntsb.gov/publictn/2002/AAB0202.htm
http://amelia.db.erau.edu/ec/ntsbaab.htm
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死者数 |
3 |
物的被害 |
ランディ・カーナハン法律事務所所有の小型飛行機 |
分野 |
機械
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データ作成者 |
ジュンコイノウエ (SYDROSE LP)
中尾政之 (東京大学工学部附属総合試験所総合研究プロジェクト・連携工学プロジェクト)
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