失敗事例

事例名称 不安定な基礎の上に建てられた橋の崩壊
代表図
事例発生日付 1957年10月16日
事例発生地 カナダ、ブリティッシュコロンビア州ドーソン・クリークの35マイル北に位置し、アルカン・ハイウェイ上にある。
事例発生場所 アルカン・ハイウェイ上にあるピース・リバー・ブリッジ
事例概要 1957年10月16日、ピース・リバーにかかる吊り橋、ピース・リバー・ブリッジの北側コンクリート製吊り橋の固定器具(アンカレッジ)ブロックが川に向かって12フィート滑り落ち、これに伴って橋の北側部分が崩れ落ちた。第二次大戦中の1942年に、米国とアラスカを結ぶアルカン・ハイウェイの一部として急造されたこの吊り橋には、吊り橋固定器具の支えに通常用いられる杭材が用いられておらず、もともと不安定な基礎の上に建設されていた。事故当日の早朝、橋を横断している水供給パイプラインが切断、橋の固定器具付近で地面の移動の徴候が発見された。橋の破損は避けられないものと考えられ、橋上の交通は遮断された。この12時間後の午後1時に橋の北側が崩壊した。この橋はアラスカへの物資供給に重要な役目を果たしており、当座の処置として小型のフェリーが橋の横断に用いられた。
事象 1942年に建設された吊り橋、ピース・リバー・ブリッジは、米国とアラスカをつないで重要な役割を果たしているアルカン・ハイウェイ上に位置する。事故当日の早朝、橋を横断する水供給パイプラインが切れた。検査の結果、橋北側のの吊り橋固定器具付近の地面が移動していることの徴候が認められた。橋は直ちに閉鎖されたが、固定器具移動を阻止する手段はなかった。やがて吊り橋北側の固定器具が12フィート川に向かって滑り落ち、メインケーブルがたるんだ。さらにケーブル橋脚がひっくり返り、突然橋のサイドスパンが落ちて、橋は直径2.5インチの釣り金具からぶら下がる形で崩れ落ちた。最初の異常報告から12時間後のことであった。
経過 ピース・リバー・ブリッジは、1942年、米国と、天然ガス、石油の埋蔵地であるアラスカを結ぶアルカン・ハイウェイの一部として建設された吊り橋である。それまでは海上交通に頼っていたアラスカとの物資の運送を、戦争の被害を避けるために地上交通に切り替えることを目指していた。橋の形態として吊り橋が選択されたのも、トラス橋に比べ+B12完成までの時間がはるかに短いということが主な理由である。中心部の橋脚(メインスパン)の長さ930フィート、吊り橋部分の両サイドスパン長がそれぞれ465フィートである。この橋の建設は、戦争中の需要に間に合わせるため、突貫工事で行われ、吊り橋の固定器具の支えに杭材は一切用いられていなかった。この事故に先立つ1955年、メインタワーの橋脚の1つの下部がひどく侵食されているのが発見され、大規模な補強が施されている。1957年10月16日早朝、橋を横切って付近のA社に水を供給するパイプラインが切断。原因調査を行った係員が吊り橋の固定器具のある場所で、地面が移動している徴候を発見した。橋上の交通は即座に遮断されたが、いかなる方法をもっても、吊り橋の固定器具の移動を止めることは不可能であった。やがて吊り橋北側の固定器具が12フィート川に向かって滑り落ち、メインケーブルがたるんだことでケーブル橋脚がひっくり返り、突然橋のサイドスパンが落ちて、橋は直径2.5インチの釣り金具からぶら下がる形で崩れ落ちた。最初の異常報告から12時間後のことであった。
原因 直接の原因は、橋の北側の吊り橋固定器具が埋め込んである基礎の頁岩が粘土に変質したためか、周辺の地層に地滑りが起きたためではと考えられた。また、吊り橋の構造の根本ともいえる固定器具の設置に、杭材が用いられておらず、この橋はもともと不安定な基礎の上に建設されていた。これは第2次大戦中の需要に応えるために、大急ぎで工事が進められたためである。さらにこの橋は米国とアラスカを結ぶ基幹道路として、大量の物資の移動に用いられており、不安定な基礎の上に建てられた吊り橋が長年の使用に耐えきれず、崩壊したものと考えられる。
対処 この橋はアラスカへの物資運搬に重要な役割を果たしていたため、直ちに小型フェリーが橋の横断に手配された。
対策 吊り橋ではなくトラス橋が建て替えに用いられ、旧吊り橋の固定器具が滑り落ちた川堤をはるかに越える位置まで延長された。
知識化 吊り橋が計画された重量を支えるには、吊り橋固定器具が地面に確実に固定されていることが必須である。いかに戦争中の突貫工事とはいえ、肝心の固定器具が不安定な土台の上に取り付けられいたのでは、起こるべくして起きた事故といえよう。
背景 第二次大戦中の軍事的必要に応えるために1942年に建設されたこの橋は、もともと突貫工事で完成されたという背景を持っている。トラス橋ではなく吊り橋が選ばれたのも、短時間で完成できるというのが主な理由であり、建設発表から完成までが9カ月という速さであった。吊り橋の要である吊り橋固定器具が土台に確実に固定されていないという事実も、戦時の緊急性に押されて忘れ去られた感がある。この事故の起こる数年前から、橋の北側(事故の起きた側)で、天然ガス工場を含む様々な産業活動が始まっており、こうした設備の建設が、橋の固定器具付近の土台の移動を招く一因になったとも考えられた。
よもやま話 橋の閉鎖から実際の崩壊までの12時間に、その一瞬をとらえようと多くの見物客がカメラ片手に集まった。実際の崩壊の様子は逐一撮影された。
データベース登録の
動機
名前に惹かれたが、実は戦争需要に間に合わせるために建設された橋であった。
シナリオ
主シナリオ 環境変化への対応不良、使用環境変化、自然的条件変化、調査・検討の不足、事前検討不足、予期せぬ使用環境、手順の不遵守、手順無視、設計手順無視、非定常行為、無為、計画・設計、計画不良、製作、ハード製作、建設的要因、建設、部材抜け、破損、劣化、破損、劣化、固定部移動・損傷、破損、大規模破損、崩壊
情報源 http://collections.ic.gc.ca/north_peace/transport/02.07.html
“Anchorage Slip Wrecks Suspension Bridge,” (1957),Engineering News Record,October 24,pp.26.
“New Bridge for Peace River on Alcan Highway Planned,”(1958),Engineering News Record,January 23,pp.17
“Canada Works on Its Two Fallen Bridges,” (1959),Engineering News Record, March 19,pp.49
死者数 0
負傷者数 0
物的被害 橋および橋上の道路の崩壊。
被害金額 崩壊した橋の除去と新しい橋の建設に600万ドル(1959年)かかった。雑誌記事
社会への影響 アラスカでの天然ガス、石油開発に必要な物資のすべてがこの機軸ハイウェイを通行しており、この橋の閉鎖は運輸上に深刻な問題を引き起こした。
分野 機械
データ作成者 タエコマエダ (SYDROSE LP)
中尾政之 (東京大学工学部附属総合試験所総合研究プロジェクト・連携工学プロジェクト)