事例名称 |
橋の内部に入り込んだ水により浮き橋が沈下崩壊 |
代表図 |
|
事例発生日付 |
1990年11月25日 |
事例発生地 |
米国ワシントン州キング郡シアトル市州の北、州間ハイウェイ90号線上 |
事例発生場所 |
州間ハイウェイ90号線上にあり、レイク・ワシントンに架るレイシー・マロウ・メモリアル・ブリッジ |
事例概要 |
シアトル市近郊のレイシー・マロウ・メモリアル・ブリッジは、築後50年たった1990年春から、シアトル付近の州間ハイウェイプロジェクトの一環として、改築補強工事が進められ、それまで両側通行であったこの橋を東行き車線のみに切り替えることが予定されていた。事故が起きたのは感謝祭の休日中で工事が中断されていた、同年11月25日である。この直前、暴風雨がワシントン州を襲っており、この地域にも大量の降雨があった。25日、浮き橋の一部が水中に沈み、続いて浮き橋と橋の西岸を結ぶスパンが湖に倒れこんだ。やがて浮き橋の約半分が水面下に沈んだ。さらに、この橋の崩壊により、60フィート北に平行して走る新しい浮き橋I-90号線のブリッジの中央部ケーブルが切断された。工事中で橋は閉鎖されていたため、死傷者はなかった。事故原因の調査が開始され、詳細に渡る検査、テスト、分析が行われた。事故の主な原因としては、大量の雨水、湖水、橋のコンクリート除去工事に用いられた水が、工事用の開口部、切断された道路排水溝から流れこみ、橋の中にたまって、橋を沈めるに至ったと考えられた。 |
事象 |
世界初の大規模コンクリート浮き橋として、1940年に開通したレイシー・マロウ・メモリアル・ブリッジは、築50年後の1990年春から改築補強工事が進められていた。3日間に渡る暴風雨が一帯を襲った後の11月25日、中央から東よりの浮き橋が沈みはじめた。ポンプで浮き橋内の水を吸い上げる作業が命じられたが、作業が始まる前に浮き橋の沈下が進み、湖中に沈没、2つに折れた。続いて西岸スパンが倒れた。これより数時間に渡って、沈下した浮き橋の東西部分の浮き橋が次々と折れて湖中に沈下、合計22枚の浮き橋のうち8枚が沈んだ。 |
経過 |
シアトル市近郊のレイク・ワシントンに架るレイシー・マロウ・メモリアル・ブリッジは、世界初の大規模なコンクリート製浮き橋として、1940年に開通した。橋の全長は2800フィートで、22枚の浮き橋がボルトで接続され、両岸の固定スパン据え付けられている。築後50年たった1990年春から、シアトル付近の州間ハイウェイプロジェクトの一環として、改築補強工事が進められていた。工事開始前から、工事中に浮き橋内流れこむ水の処理が問題とされ、雨期にあたる晩秋から冬は工事を中断する案も出されたが、定期的に浮き橋内に溜まった水量を測定し、ポンプでくみ出すこと、また橋の開口部にはハッチを設け、必要時以外は扉を閉めることなどの対策を講じることで、継続しての工事が開始した。事故前日の11月24日、大量の水が溜まっている浮き橋が発見され、ポンプで水がくみ出された。他の浮き橋内の水量も点検されたが、すべての浮き橋が点検されたわけではなかった。また、ハッチの扉が開けたままになっている箇所も発見された。事故が起きたのはその翌日、感謝祭の休日中で工事が中断されていた、同年11月25日である。この前後、一帯を暴風雨が襲っており、大量の降雨量があった。見まわりのエンジニアが午前8時過ぎに現場に到着した時には、すでに橋の中央部が垂れ下がっているのが認められた。ポンプで水をくみ出す余裕もなく、中央部の浮き橋が水中に落ちて半分に折れた。それに引っ張られる形で、浮き橋と西岸の固定部とを接続するスパンが倒れ、アンカー・ケーブルを切断した。他の浮き橋も続いて沈み始め、南側に隣接して新しく建設された新I-80ブリッジのケーブルが切断された。 |
原因 |
事故の主な原因には、工事中に橋の内部に大量の水が流れこんだことが考えられる。1枚1枚の浮き橋は内部が空洞になっており、通常は大量の水が流れこまないように密閉されているが、工事のために開口部が設けられ、道路排水溝も切断されていた。橋のコンクリート除去作業に使用された水、雨水、さらに事故直前の暴風雨によって大量の雨水と湖水が、橋の内部に流れこんで溜まり、その重さに耐えかねて、浮き橋が沈下したものと考えられる。 |
対処 |
事故前日、規定以上の水が溜まっている浮き橋があることが発見され、ポンプで水がくみ出された。事故直前も、沈みかけている浮き橋から水をくみ出すことが命じられたが、作業に移る間もなく橋は沈んだ。事故後、ケーブルの切れた近隣I-90ブリッジは閉鎖された。また、湖に落ちなかった部分の浮き橋は、他の建造物に衝突しないよう岸に引き上げられた。 |
対策 |
事故の原因をめぐって、州運輸省と建築請負会社との間で訴訟が起こされた。和解案が取られ、会社側が州に2000万ドル支払った。新しい橋は別の会社に建設が依頼された。湖の水深が200フィートにも及ぶこと、湖の底の土が極めてやわらかいことから、1993年に新しく架け替えられたのも浮き橋である。。 |
知識化 |
浮き橋は橋であると同じに、水上に浮かぶ船(ボート)であること。中を空洞にして浮かせてあるのだから、工事中も水の侵入を防ぐ手段をとるべきである。また、工事中断時の見まわりはことに念入りに行うべきである。 |
背景 |
浮き橋の内部が空洞になっていること、橋の古いコンクリートの除去に高水圧を用いる器械が用いられることなどから、この橋の改築補強工事開始以前から、工事中に橋の内部に溜まる水の処理については議論が戦わされた。ワシントン州では雨期にあたる晩秋から冬にかけては工事を中断する案も出されたが、結局蓄水量を定期的に検査し、必要に応じてポンプで水をくみ出すことで、工事を進行させる計画が取られた。この事故直前の3日間に一帯を暴風雨が襲い、大量の降雨をもたらした。ちょうど感謝祭の休日に当たっていたため、工事は中断されており、見まわる作業員の数も少なかった。事故前日の見まわりで、浮き橋のひとつの内部に7フィート以上の水が溜まっていることが発見され、直ちにポンブによるくみ出しが始められている。翌朝、別の浮き橋(この浮き橋は前日に点検されていない)に大量の水が溜まっていることが発見されたが、その時には浮き橋そのものが沈み始めていた。 |
後日談 |
浮き橋改築補強工事を受け持っていた建設会社と、ワシントン州の運輸省との間で、橋の沈没をめぐってその原因を問う裁判が起こされた。事故より約2年後の1992年9月、建設会社側が州に2000万ドル支払うことで和解に持ちこまれた。この間工事は中断されていたが、和解後工事は正式に中止となり、別の建設会社による新たな橋の架け替え工事が開始された。 |
よもやま話 |
事故で沈むまで、レイシー・マロウ・メモリアル・ブリッジは、政府から歴史的な場所としての認定を受けていた。架け替えられた新しい橋は同じ名前を持ち、1993年にプロフェッショナル・エンジニアリング・ソサエティーから、同年のエンジニアリング分野での業績トップ10に選ばれた。 |
データベース登録の 動機 |
コンクリート製浮き橋というのに興味を持った。 |
シナリオ |
主シナリオ
|
調査・検討の不足、事前検討不足、予期せぬ使用環境、環境変化への対応不良、使用環境変化、自然的条件変化、雨天、使用、保守・修理、修理、不良現象、熱流体現象、流体、流体浸入、破損、破壊・損傷、材料強度不足、割れ発生・成長、水の浸入、破損、大規模破損、崩壊、身体的被害、死亡、身体的被害、負傷
|
|
情報源 |
http:www.sgh.com/technicalpapers/tplace.htm
http://www.wsdot.wa.gov/environment/eao/culres/bridges /bridge._king_002.htm
“Washington pontoon bridge sinks,” Engineering News-Record, December 3, 1990
“On the road to run,” Seattle Post-Intelligencer, December 20, 1990
“State to get $20 million in bridge sinking,” The Seattle Times, September 1, 1992
“Seattle Journal - Some Bridge,” The Seattle Times, January 18, 1994
|
物的被害 |
改築中の橋の沈没崩壊と工事機器、車両の損失。隣接の浮き橋のケーブルが切断されたことによる交通閉鎖、それに伴う交通渋滞。 |
被害金額 |
壊れた橋の除去と橋の架け替えに6900万ドルがかかると推定された。新聞記事 |
社会への影響 |
歴史的な建造物として地元の人々に親しまれていた吊り橋が沈んだことで、地域に与えた精神的な打撃が大きかった。 |
分野 |
機械
|
データ作成者 |
タエコマエダ (SYDROSE LP)
中尾政之 (東京大学工学部附属総合試験所総合研究プロジェクト・連携工学プロジェクト)
|