失敗事例

事例名称 構造欠陥等によるアシュタブラ鉄橋の崩壊で92名が死亡
代表図
事例発生日付 1876年12月29日
事例発生地 オハイオ州、アシュタブラ
事例発生場所 レイク・ショーアとミシガン・南部の鉄道上、アシュタブラ鉄橋(アシュタブラ駅から東、約1,000フィート)
事例概要 1876年12月29日午後7時半頃、乗客を乗せた西部行きのA社製列車が予定より、2時間半以上遅れ、レイク・ショーアとミシガン南部鉄道上のアシュタブラ支流に掛かっている鉄橋を移動中、最先頭車から突然60フィートの深さの小峡谷に転落した。落下の直後、一つのエンジンから発火、それが大火となった。消防隊が現場にいたにも関わらず、消火活動が行なわれなかった為、被害を最小減に食い止めることが出来なかった。谷に落ちなかった部分のA社製列車は、川に落ち、この事故により合計64人の怪我人と92人の死者を出した。
事象 1876年12月29日午後7時半頃、乗客を乗せた西部行きのA社製列車が予定より、2時間半以上遅れ、レイク・ショーアとミシガン南部鉄道上のアシュタブラ支流に掛かっている鉄橋を移動中、最先頭車から突然60フィートの深さの小峡谷に転落した。落下の直後、一つのエンジンから発火、それが大火となった。又、谷に落ちなかった部分のA社製列車は、川に落ち、合計64人の怪我人と92人の死者を出した。
経過 1876年12月29日午後7時27分、乗客を乗せた西部行きのA社製列車が予定より、2時間半以上遅れ、レイク・ショーアとミシガン南部鉄道上のアシュタブラ支流に掛かっている鉄橋に南路線から接近。鉄橋は橋台から橋台(140フィート)間を二つのトラス(ホウ・タイプ)で構成されていた。7時28分西側の橋台の東のトラスが砕け、橋の南部の桁の弦材が蒸気機関車が進むにつれ、緩み始めた。汽車がその橋台を通過した直後、橋の南側のトラスが落ち始め、橋の甲板が南に傾斜した。これにより、北側のトラスが落ち始め、その橋の上部が、北側に位置する川に落ちた。7時29分、北側のトラスが完全に落ち、先頭車両が西側の小峡谷に落ちた。引き続きその次の車両が、先頭車両の上に落下した。他の車両は、他の車両の上に落ちたり、川に落ちたり、又、落下していた北側の橋に落ちた。7時40分、落下した車両から発火し、燃え広がった。8時、アシュタブラの消防隊が現場に駆けつけたが、救助作業のみ行われ、消火作業は行われなかった。8時30分、この状況を見かねた市民がバケツをもって消火活動を開始した。12時、消防隊は破損した部分がまだ燃えているにもかかわらず、消防署に戻った。
原因 この事故の主な原因は、橋のデザイン、構造、建築上のミスと欠陥によるものとされている。例えば、一つ一つ固定されるべき部分のトラスが、固定されていなかったり、交差する部分の最上部の桁の弦材と主要補強材に欠陥がみられたり、先端部分の主要補強材と対材を固定する際に使用されている取っ手や出縁が不充分であったり、橋の建築の際に、薄い角材が使用されるべき部分に、厚い角材が使用されていたり、又、薄い角材を使用されるべき部分には、厚い角材が使用されていた。この事故が起こるまでの11年間、その鉄道会社が橋の検査を行っているにも関わらず、上記の欠陥を発見することが出来なかった。又、この蒸気機関車の暖房設備の構造が、汽車が線路を脱線し転覆した際に、火がすぐ消火されるような仕組み(法律で規定されている)のものではなかったので、転覆した際に車両から発火し、大火となった。
対処 アシュタブラの消防隊が現場に駆けつけたが、救助作業のみ行われ、消火作業が行われなかった。その理由は、鉄道会社からの要求で、消火はせずに救命活動のみを行うようにとの命令が消防所長に出ていた為。8時30分、この状況を見かねた市民がバケツをもって消火活動を開始した。12時、消防隊は破損した部分がまだ燃えているにもかかわらず、消防署に戻った。
対策 この事故が起きてから数年後、アメリカ政府は、 鉄道会社の安全管理と事故時の捜査を目的とする各州相互の商業委員会を設置した。この委員会は後に、政府の機関、米国州行政府運輸局連邦鉄道管理となった。
知識化 大きな橋の欠陥が事故後、次々と発見されているのに、事故前の橋の検査では、その様な欠陥が発見されていなかったと鉄道会社では断言しているが、鉄道会社で行われていた検査が怠慢なものであったか、それとも橋の欠陥を熟知していていながら、何の対策も取っていなかったことが、この事故を引き起こした原因と思われる。政府の橋に対する安全規定を設定することと、定期的な政府機関による検査が必要と思われる。又、消防隊が駆けつけたのにもかかわらず、消火活動が行われなかったことが、この事故の被害を増したことから、消防隊の事故時の活動に対し、再検討する必要があると思われる。
背景 事故当日、オハイオ州と北ペンシルベニア州は、風速40マイルの吹雪にみまわれ、その日の午後の気温は29度(F)と、大変寒い日であった。A社製列車は、この天候により、予定より2時間半以上遅れて、ペンシルベニアを出発していた。
後日談 1876年12月30日(事故の翌日)にこの事故の捜査が始まり、その捜査は68日間にわたって続けられた。
よもやま話 未確認の遺体は、アシュタブラの村の共同墓地にアシュタブラ市民によって埋葬された。
シナリオ
主シナリオ 組織運営不良、構成員不良、構成員経験不足、組織運営不良、運営の硬直化、審査手順不備、無知、知識不足、教育・訓練不足、不注意、注意・用心不足、企画者不注意、組立作業、計画・設計、計画不良、製作、ハード製作、建設的要因、建設、非定常行為、無為、使用、運転・使用、不良現象、機械現象、構造の問題、破損、大規模破損、崩壊、不良現象、化学現象、発火、身体的被害、死亡、身体的被害、負傷
情報源 http://www.alltel.net/~arhf/bridge.htm
死者数 92
負傷者数 64
全経済損失 495722
分野 機械
データ作成者 ヤエココン (SYDROSE LP)
中尾政之 (東京大学工学部附属総合試験所総合研究プロジェクト・連携工学プロジェクト)