事例名称 |
ミサイル誤射によるA社航空機の爆発・墜落事故 |
代表図 |
|
事例発生日付 |
2001年10月04日 |
事例発生地 |
ロシア共和国ノボロシースクの南方190Kmの黒海沖 |
事例発生場所 |
黒海沖 |
事例概要 |
2001年10月4日午後1時44分(モスクワ時間)、イスラエル、テルアビブ発ロシア共和国、西シベリア・ノボシビルスク行きA航空(本社:ロシア)A便、B社製B型機が、高度36000フィートを巡航中に同国ノボロシースクの南方190Kmの黒海沖に墜落した。事故当日ウクライナ共和国は、過去数年間で最大規模とされる軍事演習を実施していた。当初、ウクライナ共和国は否定していたが、事故原因は、事故現場から約240Km離れたクリミア半島東部の軍事施設で地対空ミサイルの発射訓練を行っていたウクライナ軍のミサイル誤射であると結論づけられた。 |
事象 |
2001年10月4日午後1時44分、イスラエル、テルアビブ発ロシア共和国・西シベリア、ノボシビルスク行きA航空A便、B社製B型機が、高度36000フィートを巡航中に突然爆発し、炎につつまれながら黒海に墜落した。 |
経過 |
墜落機はテルアビブとノボシビルスクの間を週1回往復する定期チャーター便。テルアビブ・ベングリオン空港を飛び立った後、モスクワ時間の午後1時44分高度36000フィートを飛行中、機影が突然レーダーから消えた。乗客66人のうち大半はイスラエルのロシア系ユダヤ人で、家族に会うためロシアに向かっていたという。墜落機が空中と海面で計2回爆発し、爆発の前に機体から炎が出ていたのを事故機近傍を飛行中のC航空機のパイロットが目撃した。 |
原因 |
事故当日ウクライナ共和国は、軍事演習を実施しており、事故直後から原因として、ウクライナ軍のミサイル誤射・撃墜説が唱えられた。当初、ウクライナ共和国政府は演習に使用したミサイルは、10Km前後の射程距離しかなく、また発射した方角とも航空機が爆発した地点とは一致しないとし、さらにミサイル発射演習が開始されたのは事故の16分後の午後2時であるとし、関与を全面否定していたが、事故翌日には、演習に長距離地対空ミサイルが使用されていたことを暗に認めた。しかし、撃墜については、事故4日後の記者会見で、演習で発射したミサイル23基の全軌道を確認しており撃墜はあり得ないと改めて否定し、事故5日後には、ミサイルの発射角度に旅客機が存在せず、疑惑が持たれている午後1時41分に発射されたミサイルは、2分後に海に落下したと述べた。ロシア共和国政府は事故の2日後、ウクライナ軍が午後1時41分に発射したS200ミサイル(射程距離300Km)が命中した疑いがあると述べ、事故の5日後には政府の調査委員会が、ウクライナ軍のミサイルが事故機を撃墜したとの見解を示した。そして、2001年10月12日、ロシア政府調査委員会は事故機は地対空ミサイルに撃墜されたと発表した。発表の中でロシア政府は、ミサイルの出所を敢えて明言しなかったが、この発表を受けてウクライナ共和国側はウクライナ軍のミサイルの可能性があることを公式に認めた。結局、事故現場から、事故機以外の破片(ミサイルの破片と思われる)が発見され、また、事故機の残骸には地対空ミサイル中の金属球を被弾したために生じたと見られる多数の銃弾痕のような穴が認められ、ミサイルが事故機に命中もしくは近傍で爆発したために墜落したとの結論が出された。本件につき、アメリカ政府当局者も、偵察衛星の赤外線センサーの記録によるとウクライナの軍事演習で発射された地対空ミサイルが命中したようだとの見解を述べていた。 |
対処 |
現場付近の海底は深さ1000メートル。ロシアの黒海沿岸の都市、ノボロシースクから救助隊が出動したが、残念ながら乗客、搭乗員ともに全員絶望的だと見られた。イスラエル政府は、テルアビブ・ベングリオン空港を飛び立ったロシア機が墜落したのを受け、すべての航空機の離陸を停止した。イスラエルの運輸省当局は、情報収集に努め、事故原因が明らかになるまではテロの可能性も否定できない、と述べた。テルアビブ・ベングリオン空港は極めて厳しいセキュリティー・チェックを行うことで知られている。特に米国への同時多発テロ事件以降は、大型で制度の高い金属探知機を使用するなど、通常以上に厳しい検査を行っており、ハイジャックや爆弾を仕掛けるのは容易ではないとの見方が一般的だった。 |
対策 |
ロシアのプーチン大統領は国防省、国家緊急事態省に救助活動と事故調査を命じた。ルシャイロ国家安全保障会議事務局長を事故調査委員会の委員長に任命。墜落原因がウクライナ軍のミサイル誤射であると正式発表されてからは、ウクライナ共和国のクジムク国防相は懲戒免職、ウクライナ共和国は軍事演習に一層の注意を図ると約束。 |
知識化 |
軍事演習および施設の見直しが必要。航空機事故は天候、機体故障、または操縦ミスから発生すると一般的に言われているが、他国の軍事演習という国際的問題も要因のひとつに成り得ることがわかった。 |
背景 |
ウクライナ共和国国防省は隠蔽していたが、実は今回の事故の一昨年前にも、キエフ郊外でウクライナ共和国のミサイルが民家を直撃する事故が起きていた。今回の事故により、ウクライナ共和国軍の技術的な面での弱さが暴露された。ミサイルを発射した演習場はロシアのもので、ミサイルもソ連時代のものらしい。様々な面での軍改革が必要とされているのは言うまでもない。ちなみにウクライナ共和国は1922年12月、旧ソ連邦の形成に参加。1990年7月に共和国主権宣言。1991年8月24日に独立宣言。ウクライナの独立はソ連邦崩壊の契機となる。面積は約60万平方キロ、人口は約5000万人。首都はキエフ。86年に事故を起こしたチェルノブイリ原発は同国の北部に位置する。 |
後日談 |
ウクライナ共和国が、演習で発射したすべてのミサイルの全軌道を確認しており撃墜はあり得ない、などといいかげんな発言を押し通したために、ロシアのプーチン大統領も不信をあらわにし始めた。ウクライナ共和国とイスラエル、ロシアとの関係悪化が懸念されていたが、交渉は案外ビジネスライクに進んだ。国際的な問題だったが、結果としてはウクライナ国内問題が浮き彫りにされた象徴的事件となった。軍の気質が相変わらず事故を握りつぶすソビエト体質のままであること。軍の中には、「前だったらこんなことは公にならなかったのに」と言う人もいるらしい。米国務省筋によると、国連の禁止をよそにイラクにレーダ装置売却したと思われることで、2002年ウクライナに対し追加の制裁措置をとる可能性があると伝えた。ブッシュ政権はウクライナにたいする経済援助をさらに大幅に削減すると仮決定している。ワシントンはウクライナに対し5千4百万ドル援助削減した。これまで米国は年間約2億3千万ドル経済援助していた。 |
よもやま話 |
ウクライナ共和国のクチマ大統領はロシアやマスコミから攻撃を受けたため焦燥感を強め、霰もないことを口走った。「航空機墜落なんてよく起きている」「航空機墜落よりも、今アフガニスタンで起こっていることの方がもっと悲劇である」等々。もちろん、このような失言は、マスコミに火を注いだだけで、事態の収拾は悪化する一方だった。 |
データベース登録の 動機 |
ウクライナの旧体制然とした政府の内部事情を浮き彫りにした事故だったので選択した。 |
シナリオ |
主シナリオ
|
組織運営不良、管理不良、組織運営不良、運営の硬直化、品管制度不備、不注意、注意・用心不足、取り扱い不適、定常操作、誤操作、破損、大規模破損、ミサイル、衝突、破損、大規模破損、墜落、身体的被害、死亡
|
|
情報源 |
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/1580949.stm
http://www2.justnet.ne.jp/~satoshitoyama/cadb/wadr/accident /20011004a.htm
http://ukraina.hp.infoseek.co.jp/arekore/plane.html
|
死者数 |
78 |
負傷者数 |
0 |
物的被害 |
機体、乗客および乗員の貴金属、持ち物など数々の物品。 |
社会への影響 |
ウクライナ共和国の軍事演習によるミサイル誤射のため、78人の人命が失われたことに人々はショックを受けた。また、それに対するウクライナ共和国の不誠実さがウクライナ共和国に対する不信感を強めた。 |
分野 |
機械
|
データ作成者 |
エツタイノ (SYDROSE LP)
中尾政之 (東京大学工学部附属総合試験所総合研究プロジェクト・連携工学プロジェクト)
|