失敗事例

事例名称 原子力潜水艦スレッシャー号沈没事故
代表図
事例発生日付 1963年04月10日
事例発生地 米国マサチューセッツ州ケープコッドの東沖350Kmの大西洋
事例発生場所 海中
事例概要 1963年4月10日午前9時16分頃、原子力潜水艦スレッシャー号は米国マサチューセッツ州ケープコッド(ボストンの近く)の東沖350kmを潜航中、突然異変が起こり、不明瞭な通信と船体が壊れるような音を最後に連絡が途絶えた。この事故で乗員108名、試験将校4名、民間人17名、計129名全員が死亡した。スレッシャー号の性能・耐圧性は世界一を誇り、実際の安全潜航深度は水深約700m、速度は30ノットであった。船体が受けた衝撃については様々な仮説(巨大生物説や内部波原因説)がたてられたが、アメリカ海軍は衝撃については「現在も原因は不明」としている。
事象 1963年4月10日午前9時16分頃、スレッシャー号は米国マサチューセッツ州ケープコッドの東沖350Kmを潜水中、船体に何らかの衝撃を受ける。その結果、原子炉が停止し、パワーを失い、艦首を調節することができなくなった。緊急浮上システムもうまく作動しなかったため、スレッシャー号は海の底へと沈没していった。
経過 1963年4月10日早朝、スレッシャー号は米国マサチューセッツ州ケープコッドの東沖350Kmを潜航。安全潜航深度400mまで潜り、異常のない事を確認するテストを行った。当日の天候は、くもり、風速20m、波の高さ3mであった。支援艦スカイラーク号と無線電話で連絡をとりあいながら潜水を開始。支援艦はスレッシャー号の直上を航行していた。午前9時16分頃、突然、スレッシャー号から異変を予感させる連絡が入り、不明瞭な通信と船体が壊れるような音を最後に連絡が途絶えた。海軍査問委員会で、スカイラーク号のA中尉は、「押しつぶしたような鈍いドスンという音がした」と証言。おそらく、何かの衝撃の後、スレッシャー号は原子炉停止のためパワーを失った模様。艦首を調節しようとしたがうまくいかず、原子炉が復活するのに15分かかるため、艦首の調節は自然の流れにまかせるしかなかった。結果、スレッシャー号は完全に停止してしまい、海流にのって海の底へと沈没していった。緊急浮上システムも作動しなかった。
原因 船体が受けた衝撃については次の2つの説が有力。1.ウミヘビやウナギなどの巨大生物説(1963年、事故地点から程近い海域で奇妙な生物らしきものが目撃されている)。2.内部波原因説(海水の水深500~1000m付近では、太陽熱が届かないため急激に冷たくなっており、水温の差による水の層が存在する。その層に力を与えると水中でも波が発生する)。東京水産大学の松山優治教授によると、内部波の大きな原因は海流と海底地形にあるという。南から流れてくるメキシコ湾流は内部波の源になりやすく、またアメリカ東海岸に沿った浅い海底が急激に深くなる大陸棚が内部波を発生させやすい。軍事評論家の青木謙知氏も、「内部波の影響で急激な水圧の変化を受けた場合、潜水艦は破壊される可能性がある」と語った。スレッシャー号の場合、巨大な内部波にのって艦首が上向きになってしまい、後部タンクの海水を捨てることによって水平を保った。が、水平を保ってしまったことで、かえって内部波の力に押されやすくなり、波の頂上辺りまで押し上げられた。その後一気に下へ押し下げられ、急激な水圧変化を受けたと考えられる。しかし、アメリカ海軍は、船体が受けた衝撃については「現在も原因は不明」としている。いずれにせよ、スレッシャー号は何らかの衝撃を受け、 艦内やエンジン・ルームに海水が浸透し、エンジンおよび電気回線に支障が生じ、浮力を維持することができずに沈没に至ったと推測される。
対処 支援艦スカイラーク号がすぐに救助にあたるが、スレッシャー号の乗員・乗客129名全員が死亡。その後、1963年4月から9月にかけてロバート・D・コンラッド海洋観測艦による調査が行われた。ロバート・D・コンラッド海洋観測艦は、深海用いかり付きブイ、レーダー応答機、深海用カメラ、LORAN航海システム、磁力計等を使用して調査に当たった。後に水深2500mの地点に沈没している船体を発見。
対策 米政府は潜水艦の構造およびメンテナンスにおいて、設計、品質保証、検査の改善を勧告。緊急浮上はスレッシャー号沈没後、対策として訓練されるようになった。また、この沈没事故を機に、潜水艦用テストおよび構造基準が、海上船から原子力推進システム、NASA宇宙飛行船にまで適用されることになった。
知識化 万が一の事態を考慮して対処する。万が一の事を考えて安全対策を立て、事故が起きても被害を最小限にすることが重要。
背景 1960年、アメリカ海軍は最新鋭の原子力潜水艦スレッシャー号を完成させた。原子力攻撃型潜水艦としてポーツマス(ニューハンプシャー)工廠で1958年5月28日起工、1960年7月9日進水、1961年8月3日竣工。同年11月2日プエルトリコのサンファンで原子炉の再起動不能、補助機関故障により機械室内温度が140℃に上昇し、全乗員に対して退去命令が発令された。1962年春、サブロックの発射試験に成功。同年6月3日停泊中、海軍曳船と衝突しバラスト・タンク近くに900mmの穴を開けポーツマス工廠で特別修理。1963年4月10日沈没事故に至る。
後日談 国際協力事業団や環境団体が、スレッシャー号を含む原子力潜水艦の海への放置に抗議している。2000年にはロシアの原子力潜水艦クルスクが沈没し、その引き上げを行うか否かが問題となった。ロシア政府によれば放射能洩れはないということだが、今後放射能が洩れたら深刻な環境破壊が起こる。また、クルスク以外にもこれまで沈没した原潜が海に残されているが、これらは、海の生き物にとって格好の家となり、どんなに微量でも毎日放射能を浴びた魚を人間が食べたらどうなるか、その危険性を考えるべきだと抗議。
当事者ヒアリング スレッシャー号と交信していた支援艦スカイラーク号のA中尉「押しつぶしたような鈍いドスンという音がした」
データベース登録の
動機
原子力潜水艦の沈没事故ということで、環境問題にも関連があるので選択した。
シナリオ
主シナリオ 不良現象、電気故障、未知、未知の事象発生、機能不全、システム不良、不良現象、電気故障、回路、破損、破壊・損傷、割れ発生・成長、水の浸入、破損、大規模破損、沈没、身体的被害、死亡
情報源 http://www.ldeo.columbia.edu/Alumni/stories/Gerard_Sam_Thresher.htm
http://www.tcnj.edu/~rgraham/failure2.html#04
http://www.ntv.co.jp/FERC/research/19981101/f1647.html
死者数 129
負傷者数 0
物的被害 スレッシャー号および乗員・乗客の貴金属や持ち物など数々の物品。
社会への影響 スレッシャー号は核艦船であったため、海の汚染が心配された。
分野 機械
データ作成者 エツタイノ (SYDROSE LP)
中尾政之 (東京大学工学部附属総合試験所総合研究プロジェクト・連携工学プロジェクト)