事例名称 |
架設時の座屈によるWest Gate Bridge落橋事故 |
代表図 |
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事例発生日付 |
1970年10月15日 |
事例発生地 |
オーストラリア、メルボルン市のヤラ川河口 |
事例発生場所 |
ヤラ川河口の斜張橋、ウエストゲート橋 |
事例概要 |
オーストラリアのウエストゲート橋は、メルボルン市のヤラ川河口に位置する斜張橋(中央径間336m)を含む 全長2,580mにわたる橋梁である。斜張橋に隣接するアプローチ部分の支間112mの鋼箱桁を架設中に、鋼箱桁が径間中央部で 突然崩壊して落橋し、工事従事者35名が犠牲となる大事故となった。落橋に至る原因は、架設時の桁剛性不足 による座屈崩壊である。本橋の場合には、両ブロックを空中で接合する工法には適した断面構成ではないにも拘らず、十分な検討や 対策を施さずに実施した架設法に重大な問題があったことは明白である。また、地上における組み立て時に両ブロックのキャンバーを 正確に管理しておらず、実際の施工段階においても不適切さがあった。 |
事象 |
オーストラリアのウエストゲート橋は、メルボルン市のヤラ川河口に位置する斜張橋(中央径間336m)を含む 全長2,580mにわたる橋梁で、この斜張橋に隣接するアプローチ部分の支間112mの鋼箱桁を架設中に、鋼箱桁が径間中央部で 突然崩壊して落橋し、工事従事者35名が犠牲となる大事故となった。 |
経過 |
ウエストゲート橋では、桁を橋軸方向に二分割 して支間全長を地組みした後、各ブロックを橋脚上にジャッキアップし、最後に両ブロックの上下フランジと横リブ等を橋軸 中心線に沿ってボルト接合する架設工法が採用された。 橋脚10-11の両側からボルト接合を開始したところ、支間中央部における両ブロック間のキャンバー差が 約115mmに達し、接合が続行不可能になった。このキャンバー差調整のため、一方の桁ブロック 上にコンクリート錘を載荷してキャンバー差の解消を試みたが、かえって上フランジに生じた座屈変形を増加させボルトが挿入 できず接合が不可能となった。そこで、載荷したコンクリート錘を撤去し、更に桁の上フランジ添接ボルトの一部を取り外すこと にとにした。支間中央付近でボルト撤去を開始し、30数本抜き取った時点で上フランジ部分が次第に膨れ上がり、これに伴い変形が進行し落橋するに至った。ボルト抜き取りを開始してから約3時間後に、桁は径間中央部で折れるように崩壊し、その桁が衝突した ことにより橋脚11も倒壊した。 |
原因 |
落橋の直接の原因は、桁上フランジ部からボルトを抜き取ったことによる。その結果、部分的な座屈変形が上フランジ 全般に伝播し、更に上フランジに取り付けられていた内側ウエッブも座屈し始めて桁断面は死荷重を支持出来なくなり沈下を始め、 ダイヤフラムを介してその自重が他方の桁に荷重として付加され、その集中荷重に耐え切れず桁が崩壊して落橋するに至った。 本橋の架設では、空中で2つの桁ブロックの相対位置を調整しながら接合することとなっていた。桁は架設時には開断面で 非対称のため捩れやすく、しかも接合される上下フランジ部分は2.5m近い自由突出端となっており不安定な構造である。特に 上フランジはコンクリート床版と合成させる設計であったため肉厚が薄く(約9.5mm)、反りや座屈が生じやすい断面であるにも かかわらず十分な補剛がなされていなかった。このように剛性の小さな桁構造にも拘わらず、架設時の検討を十分にせず難度の高い工法を採用したことが本事故の最大の原因である。 |
対処 |
橋脚10-11間の桁に先立って架設された橋脚14-15間の桁にも両ブロック間のキャンバー差が約90mmあったが、ジャッキを 用いて桁の高さ調整を行い、どうにかボルト接合を終えることができた。この経験に基づき橋脚10-11間も同様な方法で調整を試みたが、 相対差も大きく桁がややカーブしている影響もあり困難を極めた。そこで、時間を節約するためにジャッキを用いる 方法に替えてコンクリートの錘を乗せて調整する方法に変更された。しかし、これは十分な検討もせずに 現場で考案した安易な対策案であり、座屈変形を助長してかえって接合作業を困難にし、事故の起因となった。 |
対策 |
本橋の事故調査を担当したメルボルン市近郊のモナッシュ大学は、事故後30年以上も経過した現在も落橋した桁そのものの 残骸の一部を大学構内に展示し、事故調査の結果を公開して教育活動の一助としている。展示スペースには崩壊状況に 関する解説とともに、本橋で発生した座屈現象を再現したパネルや設計変更後の鋼床版なども陳列されている。事故を工学教育に 生かす事例として参考にしている。 |
知識化 |
建設工事の計画・設計においては、架設時の安定性や架設工法を十分に考慮することが必要である。当然のことであるが、完成時の安全に対する照査のみならず、各架設段階に応じて応力照査を行い、検討不足や未確認の状態で実施に移してはならない。架設管理基準を満足しない場合は、手戻りとなっても調整し直すことが肝要である。本橋の架設においては、地上でキャンバーを再調整すれば事故は防げた可能性がある。 設計上の軸線の不一致、製作・施工誤差による荷重の偏心、変形、板の平面からのずれなどがある場合には、所要の耐荷力が得られない可能性があり注意を要する。事故後の調査によると、フランジ縦リブ接合部において添接板が片面のみにしか取り付け られておらず、偏心による曲げで座屈強度が低下したことが指摘されている。これは、図面上の記述が明確でなかったために生じたものであり、設計者と施工者が異なる場合には、設計と施工の業務範囲と責任区分を明確にし、工事関係者間における情報伝達を十分に行なうことが重要である。 |
背景 |
本橋の設計者であるコンサルタントが具体的な架設検討を施工業者任せにし、管理体制が十分でなかった。更に、労働争議による工事遅延の影響で工程短縮を図ったことや架設途中での施工業者の交代による工事関係者間における連携不足などの要因も加わった。このように、本事故は計画・設計面、工法の選定、実際の架設管理においての不備が重なって生じたものと言える。 |
後日談 |
事故の当日から橋をサイド建設するための工事が始まり、1978年に完成した。 |
よもやま話 |
この橋の建設の予算は当時のオーストラリアドルで3千万ドル(約21億円)で、約40年かけてこの費用を橋の通行料金から払う計画であった。 |
当事者ヒアリング |
事故調査に関わったMonash大学Grundy名誉教授は、故Murray教授の元で事故の調査の実験を担当していただけではなく、破損したデッキを大学内に残置する作業にも 直接かかわり、本事故については強烈な印象として今も鮮明に記憶していると語っている。崩壊した部材の展示は、学生ばかりでなく大学を訪問する人々が構内にある崩壊した橋梁の実物を直接見ることによって、それを今後の 事故防止の教訓にしてほしいというMurray教授の信念に基づいて行われたことを強調。また、現在でも大学構内に 保存していることについて、工学教育に役立つと信じており大変誇りに思っているという。 |
データベース登録の 動機 |
5年もの月日と多額の予算をつかって建設していた橋が、管理体制が不十分であったり、責任感が欠けていたために崩壊し、大きな損害をもたらし、35名の命を奪った。このような事故が再度起こらないために、人々に知らせたかった。 |
シナリオ |
主シナリオ
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調査・検討の不足、事前検討不足、審査・見直し不足、企画不良、戦略・企画不良、計画・設計、計画不良、手順の不遵守、連絡不足、手順の不遵守、連絡不足、図面不備、ボルト・ナット、非定常操作、操作変更、フランジ、破損、破壊・損傷、材料強度不足、破損、大規模破損、崩壊
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情報源 |
Report of Royal Commission into the FAILURE OF WEST GATE BRIDGE,Reproduced July 2000
http://teachit.acreekps.vic.edu.au/cyberfair/West%20Gate%20Bridge.htm
ウエストゲートブリッジ,Graeme Burkittほか,橋梁と基礎, 1998-5
./../../shippai/html/shippai/member/index.php?name=article12
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死者数 |
35 |
負傷者数 |
0 |
物的被害 |
1965年から建設をはじめた橋が崩壊。 |
被害金額 |
再建設にオーストラリアドルで31百万ドル((約217000万円)がかかった。 |
全経済損失 |
完成までにオーストラリアドルで合計3億ドル(約210億円)かかり、当初の予定の10倍かかった。 |
備考 |
負傷者の数は不明であるが、負傷者もでた。 |
分野 |
機械
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データ作成者 |
タカミハマダニ (SYDROSE LP)
中尾政之 (東京大学工学部附属総合試験所総合研究プロジェクト・連携工学プロジェクト)
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