失敗事例

事例名称 有珠山の噴火
代表図
事例発生日付 2000年03月31日
事例発生地 北海道
事例発生場所 有珠山
事例概要 2000年3月27日北海道有珠山で、火山性地震が始まり、地震の回数が日増しに増加した。3日後、有珠山西側で新しい断層、地割れが見られた。次の日、3月31日の13時7分西山山麓から23年ぶりに噴火し、噴火による降灰は虻田町、壮瞥町、大滝村のほか、苫小牧市、千歳市など広範囲に及んだ。4月2日、金毘羅山で泥流、噴石を伴う2度目の噴火が発生し、熱泥流が洞爺湖温泉街に迫った。その後も熱泥流により橋の流出もあった。
噴火の原因は、有珠山の地下10km余りのところに存在していると推定されるマグマに、もっと深いマグマの発生源からここにマグマが供給されて、噴火したものと推定される。
これだけの規模の噴火にもかかわらず、迅速な情報提供、各関連部門の連携、ハザードマップの作成や住民の災害に対する普段の意識付けなどによって、1人の犠牲者も出なかった。なお、住宅被害は、全壊234戸、半壊217戸。道、市町村の被害金額は、約103億円であった。写真1は最初の噴火状況である。
事象 2000年3月27日北海道有珠山で、火山性地震が始まり、地震の回数が日増しに増加した。3日後、有珠山西側で新しい断層、地割れが見られた。次の日、3月31日の13時7分西山山麓から23年ぶりに噴火し、噴火による降灰は虻田町、壮瞥町、大滝村のほか、苫小牧市、千歳市など広範囲に及んだ。4月2日、金毘羅山で泥流、噴石を伴う2度目の噴火が発生し、熱泥流が洞爺湖温泉街に迫った。その後も熱泥流により橋の流出もあった。
これだけの規模の噴火にもかかわらず1人の犠牲者も出なかった。
住宅被害は、全壊234戸、半壊217戸。道、市町村の被害金額は、約103億円であった。
経過 3月27日、室蘭気象台や北海道大学有珠火山観測所で、有珠山周辺で8時24分を皮切りに12時までに3回の地震が観測され、19時から20時までの1時間に7回、以降1時間あたり13回、24回と増え、23時からの1時間で42回にも達した。この日だけで109回(平常時は20~30回/月)を数えた。
3月28日には、火山性地震は590回、うち有感地震は69回にものぼった。
翌3月29日、7時8分に有珠山周辺でM(マグニチュード)3.4、9時42分にはM3.5のひときわ大きな地震が発生した。この日の火山性地震は1,628回、うち有感地震628回であった。
3月30日、北大有珠火山観測所(壮瞥温泉の山側にある)所長の岡田教授らは、陸上自衛隊のヘリコプターで有珠山上空を飛んだところ、有珠山北西側の北屏風山西尾根内側斜面に100m以上にわたる新しい断層、地割れ群を確認した。洞爺湖温泉街の洞爺協会病院前、壮瞥温泉街付近でも断層発見の報告が続いた。
この日の火山性地震は2,454回、うち有感地震は537回であった。
3月31日、13時07分、西山山麓西側の虻田寄りから23年ぶりに噴火し、黒っぽい噴煙が14時には上空3,200mまで上がり、幾重にも吐き出される噴煙は西風に流され、東北東方向に拡大した。15時ごろには上空800mほどになった。噴火による降灰は
4月1日、3時12分、これまで最大のM4.8地震とともに前日の火口より北西側の金毘羅山麓、国道230号の真上で新たな噴火が発生した。壮瞥町では震度5を記録している。さらに、11時50分ごろこれまでの火口群から約600m東側で3度目の噴火があった。洞爺湖温泉街からわずか350m南の地点であった。
4月2日、金毘羅山で泥流、噴石を伴う噴火が発生し、熱泥流が洞爺湖温泉街に迫った。
4月9日、熱泥流が西山川流路工より溢れた。
4月10日、西山川で熱泥流により2つの橋が流出した。
避難指示が出された区域の住民は伊達市と壮瞥町、虻田町の1市2町で約16,000人にものぼった。避難生活は短い人で5日間、長い人で5ヶ月にも及んだ。
原因 噴火の原因は、有珠山の地下10km余りのところにはマグマが存在していると推定される。もっと深いマグマの発生源からここにマグマが供給され、マグマが地表に向かい始める。この時岩盤を壊すので地震が発生する(噴火の前兆)。地震の発生源が段々浅くなるので地震の頻度も規模も大きくなる。地下2~3kmにくらいまでマグマの頭が達すると、地表の弱い場所を探し始める。弱い場所に地割れが出現し、ついにマグマのごく一部が地下数100mまで達して、地下水に接触し、急激に水蒸気を発生し、細かく急冷破砕されたマグマとともに噴出した。
図1から図6に、噴火発生および沈静までのステップを示す。
対処 この噴火に対する対処方法は以下の通りであった。
その前に、気象台が出す火山情報には4段階あることの理解が必要である。
活動の活発な雌阿寒岳、十勝岳、樽前山、駒ヶ岳、有珠山の5つの火山は、地震計や観測カメラなどが設置され、常時監視が行われている。この常時監視火山の活動状況を定期的に発表するのが「定期火山情報」。やや緊急度が高いのが、火山活動を定期または臨時にきめ細かく発表する「火山観測情報」。そして、人の命にかかわる活動が発生した場合に発表する「緊急火山情報」である。
3月28日 0時50分、室蘭地方気象台臨時火山情報第1号「有珠山で火山性地震が増えている。有珠山付近を震源とする有感地震が発生した」を発表した。
11時、岡田教授が杜瞥町役場で会見し、「噴火の前兆は始まっている」と述べた。
11時50分、気象庁予知連絡会の井田喜明会長が会見し「今後噴火が発生する可能性あり。火山活動に警戒が必要である」と述べた。伊達市、虻田町、杜瞥町が一部地域に自主避難を呼び掛け、約400人が避難した。
3月29日 11時10分、緊急火山情報第1号「今後数日以内に噴火が発生する可能性が高くなっており、火山活動に対する警戒を強める必要がある」を発表した。
18時15分、岡田教授らが会見し「(噴火は)一両日の可能性が高く、間違いなく遅くとも1週間いないに噴火する。噴火箇所は有珠山北西部の可能性が高い」と述べた。伊達市、虻田町、杜瞥町に「避難勧告」を出し、18時30分、「避難指示」に変更した。約9,500人が避難した(当日、火山性地震1,628回、うち有感地震628回があった)。
3月30日 10時、有珠山現地連絡調整会議がハザードマップ(図7)を見直した。
3時20分、緊急火山情報第2号「北屏風山西尾根内側斜面に長さ100mを越す断層と地割れ群を確認」と厳重警戒を呼び掛けた。虻田町月浦、入江、高砂地区に「避難指示」を出した(475世帯、1,319人対象)。(この日、火山性地震2,454回、うち有感地震537回)。
3月31日 13時07分、西山山麓より23年ぶりに噴火した。
午後2時、官邸で関係閣僚会議を開催「有珠山噴火非常災害対策本部」「非常災害現地対策本部」(伊達市役所内)設置を決定した。虻田町に清水・花和地区を除く全域に避難指示(避難住民15,815人になる)。
4月1日 金毘羅山麓で新たな噴火が発生した。
4月2日 金毘羅山で泥流、噴石を伴う噴火が発生し、熱泥流が洞爺湖温泉街に迫った。伊達市の一部避難指示解除(123世帯、375人対象)。豊浦町に避難する虻田町民のうち、約2,000人が長万部町、洞爺村の避難所へ移動した。
4月5日 気象庁噴火予知連絡会有珠山部会が「爆発的噴火は2,3日前から1,2週間の可能性大」と発表した。
4月7日 応急仮設住宅500戸の建設を決定した。
4月8日 杜瞥温泉、昭和新山地区で日中1時間の一時帰宅を開始した。
4月9日 熱泥流が西山川流路工より溢れた。
4月10日 西山川で熱泥流により2つの橋が流出した。
4月12日 気象庁噴火予知連絡会が「山頂の大規模噴火の兆候はなく、当面は現状の噴火で推移」と発表した。
4月13日 1市2町の避難指示が一部解除。4,700人が帰宅。伊達市の避難対象人員がゼロとなった。
4月22日 火山噴火予知連絡会が「噴火が終息に向かう可能性あり」との統一見解を発表した。
5月2日 杜瞥町、豊浦町の応急仮設住宅完成。
5月22日 火山噴火予知連絡会が「噴火が終息に向かう可能性。活動火口周辺は、引き続き警戒が必要」との統一見解を発表した。
6月8日 JR室蘭本線の通常運転を再開した。
7月10日 火山噴火予知連絡会が「深部からのマグマの供給はほぼ停止しており、一連のマグマ活動は終息に向かっている」との統一見解を発表した。
7月13日 有珠山ロープウェイの運転が再開された。
7月18日 洞爺湖温泉観光協会加盟の19軒のうち16軒が営業可能になった。
8月8日 北海道が有珠山周辺関係市町企画課長会議に「危険性に応じて4つのゾーンに区分けする案」を示した。
8月10日 火山噴火予知連絡会有珠山部会事務局が「西山山麓を中心とする隆起など地殻変動はほぼ停止状態にある」と発表した。
8月11日 有珠山噴火災害非常災害現地本部が閉鎖された。
8月27日 虻田町が2カ所の避難所を閉鎖した。避難所はゼロになった。
11月1日 火山噴火予知連絡会が「深部からのマグマ活動は終息しつつあると考えられるが、火口から500m程度の範囲では、噴石や地熱活動に対する警戒が依然必要」との統一見解を発表した。
12月28日 北海道が有珠山噴火災害復興方針を発表した。
翌2001年5月28日 ようやく火山噴火予知連絡会が有珠山の噴火活動について「マグマ活動は終息したと判断される」と発表し、有珠山部会を廃止した。
対策 2000年6月下旬、北海道は地元3市町の実務者による対策会議を設置した。ここでは、20年前の1980年道が集めた火山、砂防などの専門家らのプロジェクトチームがまとめた報告書(1977年噴火の3年後と、まとめた時期が遅すぎたこと、論議に地元市町が参加していなかったため、この提案はほとんど実行されなかった:岡田教授)の考え方を生かし、「職住分離方式」によるまちづくりを検討した。すなわち、観光関連施設は当面温泉街に残しながら、学校などの公共施設や住宅は安全な地区に長い期間をかけて誘導していくというものである。また、北大大学院の宇井忠英教授はこの方式に加え、火口で被害を受けた橋や住宅の一部を残して公園化する「噴火記念公園構想」を提案した。この公園を、修学旅行などを呼び込む火山学習の場にする一方で、噴火時には、砂防施設に応用できる構造にするというものである。
7月23日、伊達、虻田、壮瞥3市町がそれぞれ策定していた今後のまちづくりの指針である有珠山噴火災害復興計画がまとまり、発表した。将来の噴火被害が予想される地域の住宅移転などを視野に入れた道の土地利用区分(ゾーニング)を受け入れたことについて「全国でモデルとなる」と意義を強調した。
図8および図9は、その土地利用区域と区域図である。
また、今回の避難で非常に有効だった有珠山火山防災マップ(ハザードマップ)が2002年に新しく作られて配布されたのはいうまでもない。
知識化 情報の伝達方法が、災害からの避難行動に大きく左右する。
災害対策は常日頃の訓練、防災教育、啓蒙活動によって住民が防災知識を共有することが非常に大切である。
岡田教授は、論文(本噴火以前に書かれた)「火山災害軽減(減災)の正四面体(テトラヘドロン)構造」で、災害の主人公たる「住民」の自覚と行動を他の3つ「行政」「科学者」「マスメディア」が支援することが、災害軽減につながるとしている。
復興計画の策定は、災害発生後すみやかに行なわないと、実行が困難となる。災害の強烈な印象はすぐに風化してしまう。
背景 有珠山付近での火山活動は、少なくとも10万年前までにさかのぼるという。10万年前に巨大噴火で大きな火砕流で洞爺カルデラができ、4万年くらい前には、カルデラの中央部で火山活動が繰り返され、ほぼ現在の中島が出来た。2万年前からはカルデラの南縁上で噴火が繰り返され、有珠成層火山が成長した。およそ7千年前に有珠成層火山は南西側に落ちて現在の南西山麓がある。その後7千年間の眠りを覚まして火山活動を再開したのは1663年であった。その後は20年~50年の休止期間をおいて8回の噴火を反復していた。これらの噴火はいずれも継続期間が1~2年と短く、休止期間が長い。
また、いずれの場合も噴火直前に局地的な有感地震が頻発しており、この前兆地震の継続期間は多くは3~10日で、最長は1944年の6ヶ月、最短は前回1977年の噴火で32時間、泥流で3名の犠牲者を出していた。
よもやま話 この噴火で、もっとも世界が注視し驚嘆の声をあげたのは、噴火予知が的中し1人の犠牲者を出すこともなく16,000人もの人々の避難が行なわれたことであった。
噴火予知が的中したのは、過去の有珠山噴火の発生プロセスが把握されており、有珠山が、岡田教授のいう「うそをつかない山」であったこと。そして観測体制が整っていたことなどである。そして、1人の犠牲者も出さなかったことの理由の1つとして、「ハザードマップ(火災防災地図:万一噴火した場合にその地域がどれだけ危険性があるかを示す地図)」が作られて全戸に配布されていた(1995年9月)ことである。しかし、噴火予知が当たって、火山監視が始まり、ハザードマップも間に合って作られたが、その予想どおりの災害(アルメロ町の破壊と2万人を超す死者)が1985年南米コロンビアのネバド・デル・ルイス火山の噴火で起こっている。
そこには、刻々と変化する状況に関しての、情報の伝え方の違いがあったと考えられる。
岡田教授の北大有珠山観測所がとった措置は2つあるという。1つは正式な火山情報。つまり、火山活動の判断については気象台が監視および情報の責任を持っているので、札幌管区気象台を窓口としてコンタクトし、一方、災害対策については北海道庁の窓口。つまり、北海道庁防災消防課を通じて防災助言を行なうという、この2つの正式ルートを使った。そして、3番目としては、非公式情報の活用(一部観測所に集まった地元の役場の人たちやマスメディアへの理解しやすい説明と情報交換)であり、これらの3つのルートを意識的に行なったという。このことで、迅速で正確な情報の伝達によって、緊急避難の行動を取らせることが出来たといえる。社会心理学者の提言「危険が迫っているとき、それが住民にとって理解できるような現象ですすんでいるときには警報はかなり有効である。」を踏まえた情報伝達体制であった。
もちろん「ハザードマップ」への住民への理解も、雲仙岳噴火による火砕流災害から「ハザードマップ」による事前対策、あるいは事前に勉強しておく必要を強調した岡村前虻田町長の啓蒙運動も大きな要素であった。
また、公式情報、非公式情報によって、市長や町長が避難指示を出したり、避難を説得したりしたこと、内閣安全保障危機管理室による第1回目の噴火直後の住民避難用列車の運行手配など、人命優先の対応が功を奏したといえよう。
シナリオ
主シナリオ 未知、異常事象発生、非定常動作、状況変化時動作、破損、大規模破損
情報源 北海道新聞社編:2000年有珠山噴火 北海道新聞社(2002年7月25日)
物的被害 住宅全壊234戸、半壊217戸
被害金額 約103億円
マルチメディアファイル 写真1.23年ぶりに噴火し、空高く噴煙を上げる有珠山
図1.噴火発生および沈静までのステップ
図2.噴火発生および沈静までのステップ
図3.2000年噴火に際して緊急に修正した有珠山ハザードマップ
図4.2000年有珠山噴火災害復興計画基本方針による土地利用区域
図5.土地利用の区域図
備考 ハザードマップで犠牲者なし
分野 機械
データ作成者 張田吉昭 (有限会社フローネット)
中尾政之 (東京大学工学部附属総合試験所総合研究プロジェクト・連携工学プロジェクト)