失敗事例

事例名称 リバティー船の脆性破壊
代表図
事例発生日付 1943年03月
事例発生地 米国オレゴン州
事例発生場所 オレゴン造船所艤装岸壁に係留中
機器 戦時標準船(DWT 11,000トン貨物船、リバティー船)のスケネクタディ(Schenectady)号(T-2タンカー)
事例概要 米国は第二次世界大戦遂行のための国家プロジェクトとして、全溶接の戦時標準船(DWT 11,000トン貨物船、リバティー船)の連続ブロック建造を計画し、日米の太平洋戦争突入を機に、1942年から本格生産に入った。
リバティー船は1939~1945年の6年間で2,708隻が建造された。1946年4月1日までに、リバティー船の脆性破壊の損傷と事故が1,031件も報告された。そのうち200隻以上が沈むか、または使用不能という重大な損害を受けた。スケネクタディ号はその1隻で、岸壁に係留中に突如大音響とともに船体が真二つに折損した(図2参照)。
原因は鋼材の溶接継手の破壊靱性の不足による脆性き裂の発生と進展である。この大量の事故は、正に高価で壮大な世紀の大実験と言えるものだった。米国は脆性破壊について貴重な知見を世界に示し、これが破壊力学の体系化への出発点となった。
事象 米国はルーズベルト大統領の一大号令によって、第二次世界大戦遂行のための国家プロジェクトとして、全溶接の戦時標準船(DWT 11,000トン貨物船、リバティー船)の連続ブロック建造を計画し、日米の太平洋戦争突入を機に、1942年から本格生産に入った。
この戦時標準船は、米国が太平洋で勝利を収めるために必要な莫大な量の兵站(へいたん)物資の輸送に当てられることから、リバティー(自由)と名付けられた。
リバティー船の建造には、19の在来造船所に加え、専用の18の新設造船所が充てられ、これら37造船所が日夜流れ作業で短工期のフル稼働生産をした。船体を溶接構造としたことが、連続ブロック建造の生産方式を可能とした。この生産方式は、同時期における我国の戦時標準船建造工法とほとんど同じである。せっぱつまった人間の究極の知恵は、同じものを生み出すということである。
米国では1939年の第二次世界大戦勃発以来、戦時標準船の建造を開始したが、なかでも太平洋戦争開始以来の需要に応えるためのリバティー船などの戦略物資輸送船の急造は、目を見張るものだった。最盛期には合計37にも増加した造船所(船台210基)で1939~1945年の6年間で延べ5,777隻(内 リバティー船2,708隻)、DWT 5,600万トンという驚異的大量の戦時標準船を建造した。
戦時標準船に損傷と事故が多発したが、それはリバティー船に多く、ほとんどが脆性破壊であった。1946年4月1日までに、戦時標準船970隻に損傷総数1,441件(内 リバティー船1,031件)、損傷個所4,720件が報告された。
上記の数値は文献によって異なる。Parkerの著書によれば、戦時標準船の建造数は4,694隻、リバティー船の損傷数は1,289隻、沈むかまたは使用不能という重大な損傷は233隻となっている。分類と年数の違いと考えられる。
脆性き裂の発生と進展は、条件が揃えば突如壊滅的な破壊事故を誘発する。1943年1月、スケネクタディ号はオレゴン造船所で艤装岸壁に係留された状態で、突如大音響とともに真二つに折損した。その他に、1943年3月にニューヨーク港外を航行中に真二つに折損したマンハッタン(Manhattan)号など、合計7隻が瞬時の折損事故を起こした。
経過 戦時標準船の事故の結果、米国では海軍長官の命によって官と民からなる事故調査委員会が発足し、3年後の1946年7月15日付け、つまり戦後ようやく最終報告を出し、委員会は解散した。
事故の原因調査について、大規模で系統的な構造と溶接の研究が展開された。この結果、中間報告では、設計の改善として構造上の応力集中の減少策、溶接割れなど工作不良による初期の欠陥削減策、および溶接残留応力の軽減策が提言された。しかし、肝心の破壊靱性不足という鋼材の品質不適合の認識は、必ずしも十分ではなかった。脆性破壊防止には、リムド鋼(縁付き鋼)よりもキルド鋼(脱酸鎮静鋼)が望ましいという程度で、決して強い要求ではなかった(現在の知見とはかなり異なる)。したがって、破壊靭性と耐溶接割れ性が優れた、いわゆる溶接性鋼は戦中の建造船には採用されず、戦後になって初めて溶接性鋼が生産され、船体適用に義務付けられるようになった程度である。
最終報告では、事故の原因調査の結びとして、溶接構造の事故は統計的に少ないとし、対策によって今後の溶接船は問題がなく、むしろ溶接の採用による大量生産がなければ、戦略物資輸送に事欠き、戦争の遂行はままならなかったとし、全溶接の戦時標準船の大量生産計画は成功だったと述べている。事故にもめげず、溶接の採用に対して肯定的で、前向きの理念を頑固に守り通した姿勢に、米国の国民性が見られる。米国では最終的に、リバティー船計画は、技術的に問題があったものの、戦争を勝利に結びつけた大成功策と受けとめられている。物量作戦で消耗戦を制した米国らしい発想である。技術の進歩の過程では、失敗は付き物なのである。
しかし、この大量の事故の経験は、正に高価で壮大な世紀の大実験と言えるものだった。米国は脆性破壊について貴重な知見を世界に示し、これが破壊力学の体系化への出発点となった。
原因 リバティー船の脆性破壊の原因について現在、鋼材の溶接性不良が主原因であり、これに加えて応力集中を生ずる構造設計不良と溶接施行不良が二次的原因と考えられている。
鋼は高温で延性破壊し、低温で脆性破壊し、延性-脆性遷移挙動を示し、温度が低く、変形速度が高く、応力の三軸性があるほど、脆性破壊が生じやすい。これを評価するのがシャルピー衝撃試験で、吸収エネルギーを切欠き靭性という。低温切欠き靭性が低いと、脆性破壊が生じやすい。脆性破壊の防止には、低温切欠き靭性の確保が必要である。鋼材の溶接性不良は低温切欠き靭性の低下を招き、かつ溶接割れを誘起する。
リバティー船の脆性破壊は、溶接継手の低温切欠き靭性が低く、溶接割れなどの溶接欠陥または構造上の応力集中箇所を起点として、外力に加えて溶接残留応力が寄与して生じたと考えられている。多くの脆性破壊事故は冬期(低温)に生じ、またスケネクタディ号のように停泊中(波浪荷重なし)に、溶接残留応力が主原因で生ずる場合があった。
対処 リバティー船の脆性事故を契機として、世界的に溶接性のよい鋼(溶接性鋼)が開発され、使用されることになった。これは低温切欠き靭性の確保にほかならない。低温切欠き靭性の金属学的な改善策、例えば低炭素化、脱酸元素であるMnとSiの添加などは、溶接割れの防止にも有効である。
一方、物理学に端を発した破壊力学の理論が脆性破壊の問題に適用され、工学における体系化が構築されるに至った。これは、欠陥やき裂を対象としてき裂先端の応力場の強さを応力拡大係数Kという力学パラメータで表示し、それが材料の破壊特性Kcを超えると破壊するという破壊基準をベースとした体系である。材料の破壊特性Kcを破壊靭性という。破壊靱性は従来の切欠き靭性に代わる材料特性である。破壊力学の導入によって脆性破壊の定量的評価が可能となり、鋼材への溶接の採用によって多発した20世紀の脆性破壊事故は、世紀末に終えんした。
対策 ○ 溶接性のよい鋼(溶接性鋼)の使用による低温切欠き靭性の確保
○ 破壊力学の導入による脆性破壊の定量的評価
知識化 リバティー船の脆性破壊事故から低温破壊靱性、溶接欠陥、溶接残留応力、そして溶接継手がリベット継手と異なり、脆性き裂の進展を阻止できないなどの溶接構造における問題が浮き彫りにされ、これが破壊力学の体系化への出発点となった。
しかし、一般の機器の破壊事故に共通したさらに重大な教訓は、破壊様式に及ぼす寸法効果の問題である。船舶の主要な材料は低炭素鋼板であり、規格の小型平滑試験片によって引張試験を行えば、よく伸びてから破壊する(塑性崩壊支配)。ところが、同じ材料で製造された大型機器が破壊する場合には、塑性変形をほとんど伴わない(破壊靭性支配)。すなわち、軟らかい材料でも寸法が大きくなれば、硬い材料と同じ破壊様式を示し、壊れやすくなるのである。
背景 19世紀に近代製鉄技術は完成し、20世紀は鉄鋼の大量生産、大量消費の時代となった。特に、20世紀初頭に鉄鋼生産の中心はヨーロッパからアメリカに移り、U.S.スチールは一社でドイツ一国に匹敵する生産量を誇る巨人となった。さらに、第一次世界大戦と第二次世界大戦が鉄鋼の大量消費に拍車をかけた。その結果、鉄鋼の機器と構造が世界にあふれ、破壊事故の多発を招いた。
鉄鋼の需要拡大を支えたのは、リベット継手に代わる溶接継手の採用である。そして、溶接継手の採用が脆性破壊の事故を介して、破壊力学誕生の駆動力となった。
我が国では、世界に先駆けて全溶接の軍艦、機雷敷設艦八重山(1932)と潜水母艦大鯨(1933)、を建造したにもかかわらず、脆性破壊事故が皆無であった。また、早くからHT鋼(50キロ級鋼)、HHT鋼(60キロ級鋼)に代えてMn添加のデュコール鋼(DS鋼)を導入し、鋼の靭性についての認識があったことは評価に値する。
ドイツでは、潜水艦Uボートに1940年頃から高張力鋼St-52が採用された。溶接構造には溶接性鋼が必須であるとする先見性は称賛に値する。この系列の高張力鋼が、現在の我が国のJIS規格にSM490として採用されている。
よもやま話 破壊力学の萌芽はGriffith(1921)というのが一般の認識であるが、正確にはCharpy(1912)であろう、破壊は人間が道具を手にしてからの課題であり、20世紀以前にもそれなりの研究はあった。しかし産業革命(18世紀末~19世紀末)以後、鉄の時代を象徴する重厚長大産業の隆盛期となった19世紀後半から20世紀前半にかけて、鉄鋼造物が潰滅的に壊れるという脆性破壊事故を経験するに至った。これは過去に知見がなかった鋼の延性-脆性遷移の問題である。高強度・高延性のはずの鋼が突如、予期せぬ低強度・低延性で壊れるというミステリーに遭遇した。Charpyは延性-脆性遷移という鋼の持つ特性を明らかにし、これの評価手法としてのシャルピー衝撃試験を開発した。
一般に鋼は、小型試験片の室温引張試験ではよく伸びてから引張強さに達して壊れるが(延性破壊)、大型構造部材では実環境(特に低温)で伸びずに、引張強さに達する以前に瞬時のうちに壊れることがある(脆性破壊)。
脆性破壊は、(1)温度が低く、(2)変形速度が高く、(3)部材寸法の増大や構造不連続(切欠き)の存在による塑性拘束(3軸応力)の程度が強くなるほど、起こり易くなる。材料側から見れば、(1)~(3)の実環境条件のもとで、十分な靭性を持つこと、または延性-脆性遷移温度が十分に低いことが要求される。
シャルピー衝撃試験には、延性-脆性遷移の支配因子が実に巧妙に取り込まれている。塑性拘束が強い切欠き試験片を用い、変形速度を高くするために振上げハンマーの衝撃で負荷し、試験片温度(雰囲気温度ではない)をパラメータとして吸収エネルギーを測定する(図3参照)。
シャルピー衝撃試験の目的は、(1)吸収エネルギー、(2)延性-脆性遷移温度の2つを決定することにある(図4参照)。吸収エネルギーは材料の評価試験としての定性的な意味はあるけれども、応力拡大係数で表示する破壊靱性のように、設計に直接適用できる量ではない。
遷移温度は極めて有用で、機器の最低使用温度を遷移温度以上とすれば、脆性破壊が生じないことが保証できる。シャルピー衝撃試験の塑性拘束と変形速度は、一般の機器で想定されるものよりも、かなり厳しく、遷移温度が上昇する側に設定されている。材料規格や設計規格では、遷移温度ではなく、指定する温度での要求吸収エネルギーが規定されている場合が多い。これは延性破壊によって上部棚となる要求吸収エネルギーを規定しているのであって、指定する温度が遷移温度以上となることを意味する。したがって、遷移温度を規定することと本質的に同じである。
シャルピー衝撃試験は簡便さと有用性から、1世紀の間、適用分野を拡大し続け、今もなお生き長らえている。破壊力学の適用が最も進んでいる原子力の分野ですら、中性子照射脆化による破壊靱性の低下は、シャルピー衝撃試験の結果から予測している。すなわち、破壊力学の温故知新としては、20世紀はシャルピーに始まり、シャルピーで終わったのである。
シナリオ
主シナリオ 未知、未知の事象発生、調査・検討の不足、事前検討不足、審査・見直し不足、製作、ハード製作、船の建造、全溶接、溶接性鋼の不採用、低温切欠き靭性の欠如、破損、破壊・損傷、脆性破壊、破損、大規模破損、船体折損、組織の損失、経済的損失、戦争終結の遅延
情報源 (1)尾上久浩、溶接技術者から見た帝国海軍艦艇建造技術、平成12年11月1日。
(2)長沢建夫、造船技術を支えた先輩たち、(株)神戸製鋼所溶接事業部、1993年5月。
(3)E.R.Parker, Brittle Behavior of Engineering Structures, John Wiley & Sons, 1957年。
(4)小林英男、破壊力学の温故知新、機械設計、44巻3号、18-23頁、2000年2月。
(5)小林英男、破壊力学、共立出版、1993年4月。
マルチメディアファイル 図2.静かな港で突然破壊した戦時標準貨物船、スケネクタディ号
図3.シャルピー衝撃試験
図4.吸収エネルギー、脆性破面率と温度の関係
備考 死者数:多数(詳細不明)
分野 材料
データ作成者 小林 英男 (東京工業大学)