失敗事例

事例名称 原子力発電所のトラブル隠し
代表図
事例発生日付 2002年08月29日
事例発生地 福島県、新潟県
事例発生場所 東京電力株式会社 福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所、柏崎刈羽原子力発電所
機器 炉心シュラウドの構造を図2に示す。シュラウドは多くの短かい円筒を重ねて溶接した細長い円筒状の構造で、シュラウドサポートによって垂直に支持されている。シュラウドは炉心(燃料集合体)を支持する機能、炉心を冷却する冷却水の流れる路をつくる機能、および事故時に炉心を水で満たすための仕切りの機能をもっている。
原子炉再循環系配管の構造を図3に示す。原子炉再循環系配管は、原子炉圧力容器内の高温純水(一次冷却水)を浄化装置を介して循環させる配管で、復水器とも接続している。
事例概要 原子力発電所は約1年に1回停止し、定期検査を行うことが法律で義務付けられている。東京電力株式会社は福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所、柏崎刈羽原子力発電所において、1980年代後半から1990年代にかけて定期検査中に自主点検作業を実施した。その際に、原子炉圧力容器の内部に設置された炉心シュラウドという機器にひび割れがあることを発見しながら、その評価、修理、記録、国への報告が不適切であった。  
その後、東京電力株式会社、中部電力株式会社および東北電力株式会社の原子力発電所において、原子炉再循環系配管にもひび割れが発見されていながら、国への報告がなされなかったことが判明した。また、日本原子力発電株式会社の原子力発電所においても、シュラウドのひび割れが発見されていながら、やはり国への報告がなされていなかったことが判明した。
このように多くの原子力発電所の機器にひび割れが発見され、それが国への報告なしに放置され、または修理されていた。社会はこれを知って、原子力発電所の健全性について強い危惧を抱くことになった。
これを契機として、電気事業法が改正され、原子力発電所の健全性評価制度が施行され、日本機械学会の維持規格が活用されることとなった。
事象 原子力発電所の設計・製造規格として、発電用原子力設備に関する構造等の技術基準を定める告示(第501号)がある。この告示は設計・製造における技術基準としてばかりでなく、その後の供用期間中検査における技術基準としても適用されてきた。すなわち、製造時の性能が供用期間中にも維持されなければならないという要求である。
製造時には、しばしば溶接欠陥が生ずる。設計・製造規格の非破壊検査基準では、欠陥が検出されれば補修または取替えが原則であり、欠陥の有無という定性的な判断のみが要求される。設計・製造規格の非破壊検査の方法は、放射線透過試験が中心である。
供用期間中には、建前としては溶接欠陥はなく、しばしば疲労、応力腐食割れなどのき裂(割れ)が生ずる。非破壊検査の方法は設計・製造規格と異なり、超音波探傷試験が中心となる。供用期間中検査に設計・製造規格の非破壊検査基準を適用すれば、き裂が検出されれば補修または取替えが原則となる。これは放射線透過試験と超音波探傷試験という方法の相違、さらにき裂の種類と寸法によらない判定である。
実際には、供用期間中に十分な時間を経てき裂が生ずるのは当然の結果であり、き裂の寸法とその後の進展を評価することによって、補修または取替えなしで一定期間の供用の継続が許容できる。しかし、この評価と許容は建前としては認められず、補修または取替えが原則となるのである。  
多くの原子力発電所において、炉心シュラウドと原子炉再循環系配管で応力腐食割れを検出しながら、その評価、修理、記録、国への報告が不適切であった。関与する技術者の判断という観点からは、その原因として以下の2つが考えられる。
(1)供用期間中検査への設計・製造規格の非破壊検査基準の適用は合理性を欠くので、これを無視した。
(2) 応力腐食割れへの対策は材料と環境で十分に考慮されていることが建前で、応力腐食割れは設計の想定外事象であるので、応力腐食割れが生じたことを隠ぺいした。
経過 経済産業省 資源エネルギー庁 原子力安全・保安院は、2002年8月29日に、「原子力発電所における事業者の自主点検作業記録に係る不正等に関する調査」を発表し、東京電力株式会社の3原子力発電所において、1986年代後半から1990年代にかけて、GEII社( General Electric International Inc. )に発注して東京電力が実施した自主点検作業において、応力腐食割れとその兆候の発見、修理作業等について、不正な記載等が行われた疑いのある事件を公表した。本件調査のきっかけは、2000年7月に通商産業省(当時)に寄せられた申告(情報提供)である。その後、9月20日に至り、上記東京電力の事件以外に東京電力、中部電力株式会社および東北電力株式会社の原子力発電所において、国に対して報告がなされていない原子炉再循環系配管における応力腐食割れの事件が明らかになった。また、9月25日には、日本原子力発電株式会社の原子力発電所において、国に対して報告がなされていない炉心シュラウドの応力腐食割れの事件が明らかになっ た。これらについて、10月1日に、原子力安全・保安院の調査結果(中間報告)がまとめられた。
原因 関与する技術者の判断は、真の原因ではない。問題はそれがチェックなしで通る組織にある。法規制による安全の確保から、自主規制による安全の確保へと変革しつつある現状において、事業者の自主規制による安全の確保は、的確な品質保証とリスクマネージメントの実行に尽きる。原子力発電所のトラブル隠しの本質的な原因は、品質保証体制とリスクマネージメントの欠如である。
対処 再発防止策を検討するために、総合資源エネルギー調査会 原子力安全・保安部会 原子力安全規制法制検討小委員会が設置された。第1回(9月13日)から第5回(10月31日)の小委員会で、再発防止策(中間報告)をまとめた。具体的な再発防止策を以下に示す。
○ 事業者の安全確保活動に対する信頼の確保
○ 事業者の安全確保活動における品質保証体制の確立
○ 事業者による法令遵守への取組の強化
○ 規制制度の運用の明確化および透明化
○ 申告制度の運用の改善
○ 軽微な事象に係る情報の公開と共有化
○ 安全規制に対する信頼の回復への取組
○ 安全規制の制度および運用の点検
対策 上記の再発防止策のいくつかがすでに実行されている。特筆すべきは、健全性評価制度が2003年10月1日から施行されたことである。
健全性評価制度の流れを図4に示す。電気事業法の改正によって定期事業者検査と健全性評価を義務づけ、具体的には民間規格(日本機械学会規格)を活用する画期的な制度である。
○ 定期事業者検査
事業者によって任意に実行されている現行の自主点検を、法令上に「定期事業者検査」として位置づけた。定期事業者検査においては、非破壊試験(超音波探傷試験)を行うことが義務づけられている。具体的な検査方法としては、日本機械学会の維持規格2002年版を活用する。
○ 健全性評価
定期事業者検査において、設備にき裂が検出された場合には、当該き裂について進展を予測し、設備の構造上の健全性を評価すること(健全性評価)が義務づけられている。
健全性評価の対象設備は、原子炉圧力バウンダリを構成する機器(クラス1機器)に属する容器および配管と、炉心シュラウド(炉心支持構造物)である。なお、クラス1機器のうちで、SUS316(L系)材を用いた再循環系配管などは除外されていたが、超音波探傷試験の信頼性が確保され、対象設備に追加される見通しである。
健全性評価の項目は、き裂のモデル化、評価不要欠陥、き裂進展評価、破壊評価であり、方法としては日本機械学会の維持規格2000年版(維持規格2002年版にも同一内容が規定)を活用する。
破壊評価(許容されないき裂)の判断基準を、技術基準(原子力発電設備の技術基準を定める省令、「省令62号」)に規定する。具体的な判断基準としては、日本機械学会の維持規格2000年版の破壊評価の許容基準を活用する。
○ 評価結果
記録事項と国への報告事項の詳細が定められている。健全性評価の結果は報告の対象であるが、評価不要欠陥は報告の対象としない。
○ 関連の民間規格の制定
以上は法規制の改正であるが、これとは別に対策として民間規格が制定された。本質的な原因である品質保証体制の欠如への対策として、日本電気協会の電気技術規程の品質保証基準を抜本的に見直し、新しくJEAC4111-2003「原子力発電所における安全のための品質保証規程」を規定した。これはISO9001をベースとし、品質を原子力安全に置き換え、トップマネージメントの役割を明示している。
さらに、健全性評価のベースとなる超音波探傷試験における欠陥寸法測定の技術指針を、日本電気協会の電気技術指針JEAG4207-2004「軽水型原子力発電所用機器の供用期間中検査における超音波探傷試験指針」に追加規定した。
知識化 以上、一見、事故(トラブル)が規格をつくったかのように見える。しかし、事実は異なる。維持規格の必要性は関係者の間で古くから認識され、1993年頃から規格作成の作業に着手し、2000年に日本機械学会規格として制定された。これが国の技術基準に引用されることは既定方針であったが、実現の直前に原子力発電所のトラブル隠しが発覚したのである。すなわち、維持規格なしの設計・製造規格の適用がトラブルをつくり、トラブルが維持規格の活用を加速したのである。本来、規格は事故が起きる前に、未然に防ぐためにある。しかし、事故が起きなければ対処できないのが現実である。大きなダメージを経験しなければ、ものごとは変わらないというのが、すべての分野における日本の体質のように思える。
これに対処する方法は、法規制の性能規定化と民間規格の活用以外にない。法規制のみでは安全は確保できない。ものづくりに限定すれば、事業者は自分達で規格をつくり、自分達で規格を守る。これが安全の確保の王道である。
後日談 以上によって今後、日本機械学会の維持規格が公的に認知され、原子力発電所の維持に適用されることになる。ここに至るまでの道のりは長く、また平たんではなかった。ASME規格Sec.XIの制定は、1972年である。当時、我国は破壊力学の研究のれい明期であって、破壊力学の適用として欠陥評価の重要性を認識しつつあり、ASME規格は研究者にとって破壊力学適用のバイブルであった。
1988年に至り、日本電気協会にSec.11対応検討会が設置され、ASME規格の調査とASME Sec.11委員会への参画を組織的に開始した。ほぼ同時に、日本非破壊検査協会、日本溶接協会、日本高圧力技術協会などで、我国への維持規格の導入を目的として、我国独自の研究を実施するための委員会がいくつか設置され、成果を挙げた。特に、1991年に設置された日本高圧力技術協会の原子力発電設備の供用期間中健全性評価に関する研究委員会は、その後、3年ごとに名称を変えて現在も継続しており、維持規格の技術的基盤の構築に大きく貢献した。
このように、関係者の間で我国における維持規格策定の機運が熟した。そして、1993年に至り、発電設備技術検査協会に原子力発電設備維持に係る技術基準等検討委員会が設置され、技術基準(告示)への維持規格の取込みを目的として、維持基準原案を作成し、現在も追補、改定を継続している。
1997年に至り、国の技術基準の性能規定化と民間規格の活用の方針を受けて、日本機械学会に発電用設備規格委員会が設置された。そして、原子力専門委員会と維持規格分科会が総力を挙げて、上記の維持基準原案をベースとして規格化に取り組み、日本機械学会規格の第1号として、懸案の維持規格が2000年に誕生した。
その後、2002年7月に、総合資源エネルギー調査会 原子炉安全・保安部会 原子炉安全小委員会は技術基準の性能規定化と民間規格の活用に向けて、早急に取り組むべき課題として、日本機械学会の維持規格の技術的検討を行い、事業者が採用できるように制度面の整備を行うことを提言した。さらに、2002年2月に設置された総合資源エネルギー調査会 原子炉安全・保安部会 検査の在り方に関する検討会は、同年7月の第7回委員会において、検査制度見直しの方向性を示し、上記の維持基準の整備を審議・了承した。
東京電力問題などが公表されたのは2002年8月末であり、それ以前に維持基準の整備が既定の方針となっていたことは、明記しておく必要がある。東京電力問題などの処置のために、泥縄式に維持基準を導入したという批判は、的を射ていない。
シナリオ
主シナリオ 価値観不良、異文化、信条の違い、組織運営不良、運営の硬直化、情報連絡不足、誤判断、狭い視野、規格不良、使用、運転・使用、炉心シュラウド、使用、保守・修理、検査、破損、破壊・損傷、応力腐食割れ、組織の損失、社会的損失、信用失墜、社会の被害、人の意識変化、原子力不信
情報源 (1)原子力発電所における自主点検作業記録の不正等の問題についての中間報告、原子力安全・保安院、平成14年10月1日
(2)総合資源エネルギー調査会 原子炉安全・保安部会 原子炉安全規制法制検討小委員会 中間報告、平成14年10月1日
(3)小林英男、原子力発電所の安全性の確保と技術の進歩、広領域教育、No.52、pp.47-52、(2003-7)。
(4)小林英男、原子力発電所の健全性と維持規格、非破壊検査、Vol.52、No.5、pp.229-234、(2003)
(5)班目春樹、小林英男、鹿島光一、R.E.Gimple、R.L.Dyle、原子力発電所の維持管理における規格・基準の重要性(電力不祥事に関し、維持規格の重要性を訴える)、日本機械学会誌、Vol.106、No.1013、pp.290-296、(2003)
(6)成合英樹、前川 治、小林英男、班目春樹、シュラウド問題における原子力発電所の安全性、日本原子力学会誌、Vol.44、No.12、pp.867-872、(2002)
死者数 0
負傷者数 0
物的被害 なし
被害金額 不明
全経済損失 不明
マルチメディアファイル 図2.炉心シュラウドの構造
図3.原子炉再循環系配管の構造
図4.健全性評価制度の流れ
備考 WLP関連教材
・事例に学ぶ技術者倫理/原子力発電所点検記録の不正な取扱い
分野 材料
データ作成者 小林 英男 (東京工業大学)