事例名称 |
蒲原沢の土石流 |
代表図 |
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事例発生日付 |
1996年12月06日 |
事例発生地 |
長野県北安曇郡小谷村 |
事例発生場所 |
災害関連事業等の工事現場 |
事例概要 |
標高1,300m付近の崩壊が引き金となって大規模な土石流が発生した。土石流は5波(小さいものを含めると8波)にわたって流下した。最も規模の大きかった第1波によりコンクリート打設直後の未堆砂の谷止工2基のうち1基が半壊、1基が全壊した。土石流はさらにその下流にある未堆砂の砂防ダム2基、建設中の砂防ダム、流路工を通過して姫川本川に到達した。この土石流の流下によって当時の建設省(現国土交通省)、林野庁及び長野県が発注した災害関連事業等の工事現場が直撃された。 |
事象 |
標高1,300m付近の右岸側斜面の崩壊地を発端として土石流は発生する。上流部で崩壊した3万9,000m3の土砂は、治山の谷止工を破壊(1基全壊、1基半壊)し、2基の砂防ダムを乗り越え、5波(小さなものを入れて8波)にわたり、土石流となって下流を襲った。 |
経過 |
12月1日から2日にかけて積雪深35cmを記録し、降水量は32mmであった。そして土石流発生の前日の12月5日に低気圧が通過し降雨量は49mmであった。そして5日21時以降土石流発生まで降水は記録されていない。また低気圧の通過により、気温が10℃程度上昇し、0℃を越えている5日から6日にかけて、積雪深は18cmから6cmに低下した。算定融雪量を合計すると24時間雨量で109mmであった。これは特に多い雨量とはいえない。 |
原因 |
土石流が発生した主因は地形条件と地質条件に分けられる。地形条件としては1995年7月11月に発生した崩壊によって不安定化した斜面の「拡大崩壊」であり、かつ崩壊地が侵食前線で急勾配斜面であったことである。地質条件としては脆弱な安山岩質溶岩類と堅固な砂岩層の境界であったことが挙げられる。 |
対処 |
自衛隊が緊急出動した。現地災害対策本部が設置され1,600人規模の捜索態勢で行方不明者の捜索に当たった。 |
対策 |
第1に流域状況の把握と工事関係者の周知である。第2に土石流発生の予知・検知手法の開発である。第3に警戒・避難体制のあり方である。 |
知識化 |
自然災害が発生する可能性のある工事現場では警戒・避難のための基準を区分に応じて設けること |
背景 |
1995年7月11日、局地的な大雨により地滑りや土砂崩れなどが発生、3000人以上が避難した。また1996年6月25日には、大雨の影響で、県道わきの土砂が崩れて橋をふさいだ。 その後もさらに土石流が発生する恐れがあるため、砂防ダムの建設工事を始め、翌年1月には完成する予定だった直前の工事現場を土石流が襲った。 |
シナリオ |
主シナリオ
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価値観不良、安全意識不良、安全対策不足、不注意、注意・用心不足、気象状況を看過、局地的大雨、調査・検討の不足、環境調査不足、特異な地形、計画・設計、計画不良、土石流予測せず、破損、破壊・損傷、斜面の拡大崩壊、土石流、破損、破壊・損傷、砂防ダム崩壊、土石流が工事現場を直撃、身体的被害、死亡、14名死亡、身体的被害、負傷、9名負傷
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情報源 |
12.6蒲原沢土石流災害調査報告書 社団法人砂防学会
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死者数 |
14 |
負傷者数 |
9 |
マルチメディアファイル |
図2.国土交通省松本砂防事務所HPより引用
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分野 |
建設
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データ作成者 |
國島 正彦 (東京大学)
長谷川 智章 (東京大学)
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