失敗事例

事例名称 SARS流行
代表図
事例発生日付 2002年11月
事例発生地 中国広州地域、その後全世界に拡散
事例発生場所 一般居住地
事例概要 2002年11月中旬に中国広州地域でSARSが発生した。しかし、翌年2月11日で、広州地域の患者数は300人に達していた。3月に入り、中国国内および周辺の複数の国から「原因不明の急性呼吸器系疾患」が相次いでWHOに報告され、その疾患であるSARSは、その後アジアを含めた世界各地に拡散、短期間の内に患者数が激増し、大きな社会不安が引き起こされた。WHOの集計(2002年11月~003年7月31日)によると最終的には感染者数8098例、死亡者数774例で死亡率9.6%に達した。中国政府の隠蔽により、WHOに報告されたのは2月11日と発生から約3ヶ月も経過し、対応策が遅れたことが、急拡散の要因であった。
事象 2002年11月中旬に中国広州地域でSARSが発生。翌年2月11日で、広州地域の患者数は300人に達していた。この時点で中国政府ははじめてWHOに報告。3月に入り、中国国内および周辺の複数の国から「原因不明の急性呼吸器系疾患」が相次いでWHOに報告され、その後SARSはアジアを含めた世界各地に拡散、短期間の内に患者数が激増し、大きな社会不安が引き起こされた。WHOの集計(2002年11月~003年7月31日)によると最終的には感染者数8098例、死亡者数774例で死亡率9.6%に達した。
経過 2002年11月16日、ProMed(米国の新興感染症モニタリングシステム)が広州地域で「非定型肺炎」の発生を報告。
11月27日、中国政府は、「非定型肺炎」の患者の隔離を非公式に指示した。
2003年2月11日、中国政府は「非定型肺炎」305例の発生と5例の死亡を、WHOに報告した。
2月20日、香港政府は、広州に旅行後鳥インフルエンザウイルスに感染した2例を、WHOに報告。
2月21日、広州の初老の中国人医師が、香港のホテルにチェックインした。
2月23日、WHOチームが北京に到着した。
2月26日、広州の中国人医師が、香港のホテルからハノイ市に移動し入院。
2月28日、ベトナム駐在のWHO医師がWHO事務所に連絡した。
3月1日、上述の香港のホテルを訪問した女性がシンガポールで入院。
3月5日、中国系アメリカ人が香港プリンスマーガレット病院に移動。香港に滞在していたカナダトロント市の女性が死亡。家族が入院。
3月8日、WHOチームがハノイに到着。
3月7日~10日、香港やハノイ市の病院関係者に症状が頻発。
3月10日、中国政府らは、広州における感染症対策として、WHOに技術的サポートを要請した。
3月12日、WHOから緊急安全性情報が発令される。
3月14日、シンガポール政府が3例の感染を報告、カナダ政府が安全対策を講じた。:この時点での推定患者数150例
3月17日、中国政府は、広州における感染は収まったとWHOに報告した。
3月26日、中国の報告例792例が追加された。:推定患者数1323例
3月27日、病原がコロナウイルスであると仮同定された。
4月2日、WHOから渡航制限勧告が発令された。中国政府がWHOチームに広州入りを許可。感染が沈静化に向かっているとの談話を首相が発表した。:推定患者数2000例
4月3日、北京市で12例の患者を確認するが、感染拡大はみられないと発表する中国政府の積極的な対応をアピールした。
4月6日、国際会議参加目的で北京滞在のILO委員が、SARS感染により死亡。
4月28日、推定患者数5000例
5月2日、推定患者数6000例
5月8日、推定患者数7000例のピークとなり、これ以降、感染は終息に向かった。
原因 1.直接原因
当初、病原体は不明であったが、その後の精力的な研究により新種のコロナウィルスであることが判明した。後にSARS(Severe Acute Respiratory Syndrome:重症急性呼吸器症候群=新型肺炎)と命名された。
2.拡散の原因
・各病院の対応ミス
未知の感染症に対する対応が、SARSの感染症および感染経路が当初不明だったとはいえ、医療関係者の院内感染が多数みられたことから、マスクの着用や手の洗浄などの感染防止のイロハが不十分だったと考えられる。
・中国政府の隠匿
発生源と推測される中国からWHOへの最初の報告が発生から3ヶ月も遅れ、また、情報提供が約5ヶ月にわたって不十分であったこと。また、北京市においてはWHOチームの調査を妨害する目的で、患者隠しが行われたとも言われている。
・情報網の不備
新興感染症の発生を検知する世界的なネットワークが十分に機能していなかった。現在、世界には複数の感染症をモニターする地域ネットワークがあるが、地球全体をカバーする単一のネットワークは存在せず、それぞれの地域ネットワークの連携も必ずしも理想的とはいえない。
対処 中国政府に対する国際的な圧力が強まり始めた4月6日以降を、対処の内容とする。
4月6日、米国タイム誌が「第309PLA病院だけで60例が治療をうけており、7例が死亡した。第302PLA病院では、5例が他病院から転院してきた」と中国政府の情報隠匿を指摘する批判記事を掲載。
4月9日、WHO広州調査チームが報告書を発表し、強い懸念を表明する。
4月15日、WHOチームが北京市の調査を許可される。英国の医学誌「ランセット」が、中国政府の情報隠匿を強く批判。
4月16日、WHOチームは北京市の患者数は200例と推測する。
4月18日、WHOは100例以上の患者が隠されていると批判する。中国政府はSARSを政府のトッププライオリティと位置付ける。
4月20日、北京市長および衛生部長(厚生大臣に相当)に対する突然の解任が発表される。399例が未報告であったことを認める。
4月23日、WHOは渡航制限勧告を一層厳しくする。
4月29日、中国首相がタイのバンコクで開催された東南アジア諸国連合の新型肺炎・SARS特別首脳会議に出席し、「SARS感染が発生した時、この種の予防と抑制の経験が無く、対応は不適切だった。(感染者数過小報告など)隠蔽もあってはならないことだった」と、対応に問題があったことを公式の場で認める。
5月5日、中国首相が、「現状は依然として厳しい」との見解を示すが、5月中旬から患者数が急激に減少した。
対策 財団法人日本国際協力システム(JICS)によれば、日本からの援助した医療基材等を各地の医療機関に設置し、発熱患者の診断、患者発生の場合の治療、医療従事者の感染防護、感染地区の消毒に備えたという。2004年4月、安徽省の研究者が感染し、再びSARS騒ぎが起こった際、200着の防護服や薬剤噴霧器が活用されたという。
知識化 1.今回のような新興感染症のような場合は、情報を早期に共有化し、国際的に対応することが重要である。国境や空港での水際作戦がとれず、感染者が他の地域や国に自由に移動することで、感染地域が拡大してしまう。
2.経済のグローバル化は、人の移動を増加させ感染症のグローバル化ともなり、経済的や文化的な活動にも大きな影響を与える。
3.隠匿は、結果的に大きな損失を生む。
背景 1990年代に、中国でSARSと同じ感染症であるHIV/AIDSの感染拡大が起こった。当時HIV患者が確認されたにもかかわらず、中国政府は情報の隠匿などで対応が遅れていた。1990年代後半に今回と同様、中国人女性産婦人科医を中心として複数のグループから内部告発がなされ、同時に国際的な批判を浴びた。結果としてHIV感染患者の激増を招いていた。中国衛生部によると、2004年4月までに確認されたHIV感染者数は84万人、AIDS患者は8万人という。
シナリオ
主シナリオ 未知、未知の事象発生、無知、知識不足、不注意、注意・用心不足、誤判断、狭い視野、誤判断、状況に対する誤判断、価値観不良、安全意識不良、組織運営不良、運営の硬直化、誤対応行為、連絡不備、誤対応行為、自己保身、不良行為、倫理道徳違反、非定常行為、非常時行為、身体的被害、発病、身体的被害、死亡、組織の損失、経済的損失、組織の損失、社会的損失、社会の被害、社会機能不全
情報源 畑村洋太郎、飯野謙次、失敗年鑑2003、特定非営利活動法人失敗学会、PAGE91-98
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/zhuanwen/200505/tebie46.htm
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2004&d=1129&f=national_1129_004.shtml
死者数 774
社会への影響 アジアを含めた世界各地に拡散し、短期間のうちに患者数が激増し、大きな社会不安を引き起こした
備考 事例ID:CZ0200721
分野 その他
データ作成者 張田 吉昭 (有限会社フローネット)
畑村 洋太郎 (工学院大学)